2020年12月31日木曜日

『アンドレ・ルブリョフ』

 タルコフスキーの映画5本目にして、涙してしまった。しかも最後のシーンで。それまでは戦争や教会の因習に縛られた世界の重苦しい場面が続いていたので、目を覆うことはあっても、ハンカチは要らないと思っていたのにだ。報われない熱意、理解されない意欲、もっと言えば動機が違うと言うところが周囲には全く見えていないんだな。

人が他人のためにやることが社会を作っているわけだけれど、人が神のために動かされた時に何がそこから生まれるかは予想できないものなんだ。出来上がるまで待ってやらないと、途中で横道に逸れてしまう。中断したり立ち止まったり動けなくなったりしながらも、ずっと最初の動機が忘れられずにその人の中の意欲を動かし続けて行くものなのだ。

アンドレ・ルブリョフという画家が描いた壁面の絵が(そこだけ)カラーで映し出された。中世の率直な表現は線がシンプルで、生身の感情に満ちている。動物たちが可愛らしいのだ。トワンによく似ている馬や犬。「愛がなければどんなテーマだって描けやしない」と言うアンドレと同じ言葉をよくガハクからも聞いている。それは、描くことが愛することに等しい時代のイコンだった。(K)





2020年12月29日火曜日

千里の道の2歩目

今日も片付けから始めた。

棚の奥から石膏どりの時に使う麻の繊維のスタッフがどっさり出て来た。ネズミが寝床にしていた形跡があった。ふかふかして気持ちが良かったのだろう。変色しているところをクンクン嗅いでみたが、別に臭くはない、まだ使えそうだった。しばらく迷ったが、ストーブに放り込んだ。あれもこれも残しておいたって仕方がない。今までだって忘れてたじゃないか。これからも石を彫ることに邁進しよう。

夕暮れ近くになってやっと奥の部屋に戻った。ガハク像の髪に砥石をかけ、トワンの胸の辺りを彫った。こうやって毎日、半分は片付けと取り壊しに時間を割き、後半は仕事をする。これを建てた時もそうしたんだ。そうしないと魂が死んでしまうのを知っている。(K)



2020年12月28日月曜日

黒の存在

 昨日のことだ。ガハクが山の中を歩いていて、「黒を練ってみよう」と思い立ったという。そこだけ聞いたら、別に特別なことだとは思えなかったのだけど、その後に次々と湧き起こってくる絵の中の出来事を聞いていたら、黒の存在は大きいのだなあと納得した。

そもそも黒の顔料を真っ白の大理石板の上に広げ、オイルを少しずつ垂らしながら大理石のすり棒で練って行くこと自体が、横で見ていても気持ち良くない景色なんだ。実際にガハクは滅多に黒は練らない。それに、なるべく黒を使わずに描こうともして来た。この絵の黒猫だって黒は使ってないのだそうだ。

でもずっと若い頃は好んで使っていたという。グレートーンが綺麗な絵が彼の実家の鴨居にかけてあったのを思い出した。高校生の頃の絵だろう。

練り上げたばかりの黒を森のあちこちに使ってみたら、ぐいぐい絵が変わって行く。それが面白くて、「やっと良くなったよ」と喜んでいる。

山でふと思いついたことが大きな飛躍を生んだと言う話。
どこに何が転がっている分からんねえ〜(K)



2020年12月27日日曜日

微笑む犬

実際に地主さんに会って話をしたら、安心した。 36年もの長い付き合いだ。アトリエを建てさせてもらってここまでやれたのは珍しいことかもしれない。他じゃ、できなかったことだもの。地主さんも入院したのだそうだ。もう人生の先が見えて来たという感じかな。「お互い体に気をつけてやりましょう」と言われて、領収書を受け取った。早めに片付けが終われば、その分の地代は返してくださるそうだ。半年分払って来た。目標は、夏至!この家の庭と工房に理想の仕事場を作ろう。

今日はトワンの顔を彫った。犬だってちゃんと唇があるんだ。トワンの唇は、小さく薄くきれいな形だった。(K)



2020年12月26日土曜日

山の神様

 アトリエの蛇口が凍って出ないので、沢まで汲みに行った。自転車でほんの1分のところだ。杣道の脇には小さな祠があって、横を通る度に「お世話になります」と一言挨拶をしてから沢に降りる。石の前には水の入ったプラスチックのコップが置いてある。他には何もない極めてシンプルな敬い方をされている神様だ。

沢の水はほとんど流れていなかったが、貯水槽の蓋を開けると水はちゃんと注ぎ込んでいた。ザックから空のペットボトルを出して水を詰めた。5ℓ背負うと肩にずっしりと来た。そのまま上流まで遡行して、水取り口も点検。水が枯れてパイプの半分は水面から露出していた。

しかし、こんなことをやったのは35年間で初めてのことだ。去年までは、水が出なくなると家から車で運んでいた。水場まで行くのは面倒だったし、誰かに会うのも嫌だった。無意識に肩身が狭い想いがあったのだ。こんな寂しい山の中に女一人で石を彫り続ける意欲も、時と共にだんだんとくたびれていたらしい。だからこそ自分の中の野心や自尊心を削り落としながら戦って来たのだけれど、、、この戦場もあと少しになった。

そう思って辺りの山を眺めると、細く小さく可憐な美しさが見えた。この意識はまるで死んだ人のようじゃないか。水を汲みながら、死者の意識について考えていた。(K)



2020年12月25日金曜日

馬に運ばれて

この馬の背中だったら、きっともっと平和なところに運んでくれるだろう。地上で燃える赤い花を見つめる目のなんと優しいことか。「来年になったらトワンが来るよ」というガハクの予言は、この馬のような存在のことかもしれない。

35年使って来た彫刻のアトリエをついに片付けることになった。来年のうちに元の土地に均して返さねばならない。大きなモニュメントの彫刻をどうしようか?寄贈先を探すか、この庭に置くか、どっちも並行して進めて行く。石を彫る仕事はまだやり続けたい。庭の工房なら、もっと集中できるだろう。

剥奪は自分ではできない。運命も自分で選べない。ただこのタイミングなのは良かった。ガハクの体調が万全になって、私の焦りや迷いが消えているから。(K)



2020年12月24日木曜日

石の色と彫刻の色

素晴らしい彫刻には色がある。つまらない形は石の色のままだ。だから石が透き通るまで磨いてみたかった。ノミ痕の白い線を消して行くと、、、果たしてどうなるだろうか?

表情が穏やかになった。奥行きが出た。静かさが増した。

昔の人が皆でやっていたことを独りでやっている。長い時間がかかるけれど、この目で探し、この手で試したことは決して忘れることはないだろう。歩いたことのある道は覚えているものだ。(K)



2020年12月23日水曜日

赤い城への道

「僕もトワンのことを悲しみを持たずに思い出せるようになりたい」とガハクが言う。昨日私が、「トワンのことを思い出してももう悲しくなくなった」と言ったからだ。

でも、さすがにガハクまで死ぬとは思っていなかったから、突然そこに立たされた時は怯えた。その時、呼びかけるものはトワンしかいなかった。毎日毎時間呟く相手は、空に浮かぶ雲。で、その形はトワンに見えた。夕陽に照らされていれば強く返事が返って来たし、真っ白い雲ならばキッパリと不安を切り離せた。

一方ガハクはと言えば、混濁した意識から抜け出してすぐに、私が独りでこの家にいることを可哀想に思って心配になったのだそうだ。自分の周りにはたくさんの人がいて面倒を見てくれているけれど、一人でいるのはさぞ寂しいだろう「こんな時こそトワンがいてくれたらなあ」と。

一人で生きるということの練習ができた。どっちが先であってももう孤独は怖くはない。「死を受け容れたんだね」とガハクに言われた。どんな時でも「トワン!」と呼びかけると楽しくなるのは、何故だろう?

今日は4枚の絵に筆を入れたそうだ。『赤い城への道』の途中に止まっている荷馬車が夕陽に輝いている。(K)



2020年12月22日火曜日

太陽の気配

冬至から1日経っただけで、もう光が強くなったように思える。今朝は日の出前にゴソゴソ起き出してお茶を飲んだりしていた。その後また寝たけれど、そのくらい興奮していた。アトリエから自転車で漕ぎ出すのだって、いつもより30分も遅くしたくらいだ。ま、気が早いと言うか、単純に嬉しいのだ。

山の影が伸びる場所に家があるので、冬至さえ過ぎればあとは明るくなるしかない。だから今日は1日じゅうずっとお正月みたいな気分だった。

冬至を挟んで面白いことを言うガハク、「人は成長し続けていて、その成長が止まった時に死ぬんじゃないかな」と昨日は語り、今朝は「内なる悪から遠ざかるのは、外なる悪から遠ざかるよりもっと難しいよ」という。剣士の間合いの取り方みたいだ。「鬼滅の刃だって、きっと内なる鬼との闘いの話だぜ」と、読まずしてもう知っている。(K)



2020年12月21日月曜日

やってみたかったこと

髪の毛の房がよじれたりカールしたりしながら流れていくのをどうやったら自然で美しく彫れるだろうと、あゝでもないこうでもないと、いろんな方法で刻んでみたが、結局最後に分かったことは、やり切ることしかないという単純なことだった。川底の起伏を探るのには、水の中に潜ってみなけりゃほんとのことは分からない。シャシャッと手っ取り早くカッコいい線を数本刻んで終わりにする訳には行かないんだ。私の後ろにいるのは凄い目を持った人たちだからね。ミケランジェロ、ウィリアム・ブレイク、デューラー、ジャコメッティ、形を探った人たち。 嘘つきは嫌いだ。嘘をつかずに生きて行けたらそれだけでもいい仕事に近づく。(K)



2020年12月20日日曜日

燃える家の内意

 今夜は、燃える家が描き加えられていた。辺りに燃え移らねばよいがと絵に近づいてしげしげと眺めたら、トワンのような犬がいる。炎に照らされじっと家を見つめていた。犬の顔が火の色になっている。この炎の色は何?と聞けば「カドミウムレッドのライト」と答えるガハク。そう言えば、今日は画材をネットで注文したそうだ。筆10本と筆洗油2ℓで5千円ほどで「超安かった!」と絶好調のガハクである。

タルコフスキーの『鏡』にも小屋が燃える場面が出て来た。『サクリファイス』では、家が燃える。あのシーンを撮るのに、1度目が気に入らなくて、また同じ家を建てさせて撮り直したのだそうな。家なんてものがあったからこんな不幸が起こったのだと言わんばかりのストーリーだ。

家は、真理と善が一つになったものを表す。片方だけじゃ、暗くなるか、冷たくなる。どっちも無けりゃ、そこは地獄だろう。(K)



2020年12月19日土曜日

彫刻を見る目

 彫刻は、大昔の人たちの方が見る目を持っている。牛や馬がいて、犬や猫がそこらを歩き回っていた。朝になると鶏の声が聞こえた。音や声を聞けば、その姿を思い浮かべることができた。

ときどき山からぴゅーっと鋭い口笛のような声が聞こえて来て、ずっと猿だと思っていた。ところが、ガハクが山散歩を毎日するようになって、あれは鹿の声だと分かったんだ。歩いていると、突然近くてぴゅーっと鳴いて斜面を駆け上がっていく。

アオサギの声も覚えた。ギャーッギャーッと汚い声で叫びながら飛ぶ。たまに大量の糞を上空から落としたりもする。あんなに大きな鳥が絶滅もせずに川に舞い降りたりしているのを眺めるのは、楽しい。脅かさないように、横目で観察しながらペダルを漕ぐ。彼らは神経質で、視線を感じるとすぐに飛び立つ。

横からのシルエットがやっと決まって来て、後頭部の形を探り始めたところで今日は時間切れ。置物の犬から、生きている犬になりつつある。(K)



霜の道

ガハクの山散歩ルートもすっかり冬の世界になった。ここは、このまま夕暮れになる。

彫刻のアトリエも今日は0度だった。 ストーブに薪を焼べ始めたら、屋根からカサコソ音がして、やがて壁に下りて来た。たぶんネズミだ。部屋が暖かくなって喜んでいるみたいに思えた。体操をやり始めても音は止まない。壁をコンコン叩いても、一向に静まらない。まるで私のことを知っているみたい。水のバケツの辺りでゴソゴソ大きな音がするので近づいて観察していたら、現れた!お尻がぷりんした黒っぽい太ったネズミだった。ちょっと可愛い。

安全靴に栗を入れられたこともある。胡桃の殻が転がっていることもある。ネズミの冬期小屋になっている。(K)



2020年12月17日木曜日

黒猫を抱く少年

最初に飼った猫が黒猫。その次に舞い込んだ猫も黒猫。その猫が産んだたった一匹の猫も黒猫だった。影か実態か分からぬ黒い輪郭。頭だけが、やたらにでかい子猫の姿。さすがによく描けている。よく知っているからだな。

少年の姿も素敵だ。もう40年も子供らに絵を教えて来たから、自分の子はいなくても子供との付き合いは長い。彼らはずっと子供なんだ。自分の子なら、だんだん大きくなって子供ではなくなるものね。少年の心は傷つきやすく繊細でストレートで歪みやすい。そういう柔らかさが描けている。さすがだ。

森のこと。樹木のこと。そこに住む妖精のこともそのうち描けるようになるだろう。こんなに毎日山の中で遊んでいるのだもの。今日は、寒空に風が舞い上げる木の葉がちらちらキラキラ光る一日だった。(K)



2020年12月16日水曜日

半ズボンの少年

今朝「あの子は半ズボンにしたよ」と話していたので、夜になって見に行った。サッカー少年みたいだ。顔もすっかり変わっていた。

何かが外れていなくなると、新しい何かが入って来る。それまでは、どう足掻いても雰囲気というのはなかなか変わらないものだけれど、知らない間にじわじわと動いていたんだろうな。風がさらって行ったように 大きな絵が一気に変わった。

最近は、絵具練りもぜんぜん疲れなくなったと言う。体が丈夫になった。胃弱だった体質も変わった。この冬の寒さに耐えられれば、この変化は本物だ。ヤマユリの枯れた茎をハサミで切ったのが、ガハクの孫の手だ。先端が少し曲がっている。それで背中をコリコリ掻いている。背中にも筋肉が付いて、ガッチリして来た。(K)




 

2020年12月15日火曜日

樺の木に出会う

太陽に照らされて白く光っていた木に感動したガハクが、「賢治が書いているのはこれかと思ったよ」と言う。『土神と狐』が恋した樺の木のことらしい。つやつやと白く光っていて、触るとすべすべして、まるで女の人の体のようだったとも話していた。

スエデンボルグによれば、人が植物を眺めている時はその内側では人のことを想っているのだそうだ。逆に動物を見つめている時には、草花や樹木のことを考えていると書き残している。

ときどきハッとするような輝きに出会う。出会ってしまうと、もう戻れない。冬の乏しい太陽の光に真横から照らされてこんなにくっきりと鮮やかに、青と白。(K)



2020年12月14日月曜日

2匹のデュエット

犬だからと言って、人の像より密度が薄いわけじゃない。でも犬のことをよく知っているかと言うと、曖昧なところが多々ある。 特にこの子の顔がなかなか決まらなくて苦労したが、やっと良くなって来た。やっぱり目だね。目さえ出来れば、あとは自然に、そうでしかあり得ない形になって行くようだ。分かりもしないのに強引に、見えてもいないのに性急にやらないことだ。

やる気がない時はパンをかじりながら眺めたり、ときどきサボっているくらいがちょうどいい。2匹の耳がいい感じに触れて来た。(K)



2020年12月13日日曜日

膝の赤子

「おゝ 描けたじゃないか!」と思わず口に出して独り喜んだと言っていたのは、これか。

膝の赤ん坊をしげしげと見つめた。母親に抱かれて安心して中空を眺めているこの子のどこがそんなに難しかったのだろうと思いながら…出来てしまえばごく自然なポーズだ。絵の中の出来事の全てがそんな風だ。

母親の手が素敵だな。膝の深さがゆったりしている。草履を履いた白い足袋の位置が美しいじゃないか。この赤ん坊が大きくなるまで、この森はあるだろうか?

その人はぽーっとして、内なる興奮を抑えている夢見るような目を辺りの山々に向けて、駅下の売店のベンチに座ってパンを齧っていた。瓶入りの牛乳をときどき口に含みながら。その様子は、声をかけるのが勿体ないような美しい時間に見えた。でも、さっと車を降りて、「テルオおじちゃん!」と呼び掛けたあの日。

『Mの家族』は、そういう未来まで描き尽くすガハクの試みである。(K)



2020年12月12日土曜日

誰も教えてくれなかった彫り方

 磨いてからまた刻むと、さらに奥の形が見えて来て、もっと彫ったらさぞいい形になって美しいだろうなあと思う。

昔の人はこういう風に彫っていたに違いないんだ。磨くと石の色が変わるし、形が一旦甘くはなるのだけれど、そこに線を入れるとくっきりとして来て、ちょうどイラストみたいなお洒落で見た目は派手な感じになる。

でも、そこでやめちゃうと品がなくなるんだ。そこをもう一つ先までやるのが一流の仕事であったはずなんだ。

現代では機械でそこをすっ飛ばすから、霊的なものが何にも残らなくなったということだ。全ての工程を 人の頭と、目と、手が、ひと繋がりになってやれた時に初めて、時間なんていうものが持ち込んだ焦りや抑圧や欲望の欺瞞が失くなる。

やりたいだけやってみたらいいと自分に言えるし、あゝよくここまで来れたなあと思えるし、もっと先がありそうだぞと希望が湧いて来て、その為に始めた筋トレだって面白くなって来る。

独りでアトリエにいてコツコツコツコツ、ゴシゴシゴシゴシと何時間も彫ったり削ったりしていることが無為だなんて感じないんだ。それでも私のことをキチガイと言う人は誰もいない。自転車で通り過ぎると、手を上げて合図を交わす人もいる。長生きはいいもんだ。こんな生き方もあるということを示せるのだもん。(K)



2020年12月11日金曜日

進化する妻の肖像

こういう美しい色が出せるのは、光で見てないからだ。熱でとらえているからなんだな。 薄っぺらにならないように力強く野太く無骨に描こうとしていたように見えたのに、急に繊細な形に大胆な色を載せているので驚いた。絵は、教わり教え学んだ器に、ある日突然どどーっと注がれるものらしい。どんどん描き変えられていくガハクの絵から発するエネルギーに 圧倒されている。

今夜のギターの音は柔らかくて、1音ずつがきっちりしている。クリスマス頃には合奏できるだろう。ピアソラの『Coral』という曲を毎晩弾いている。(K)



2020年12月10日木曜日

オーブンが壊れたので

よく膨らんだパン生地をいつものように焼こうとしたら、オーブンが温まっていない!パン焼き係のガハクは慌てて、オーブンを分解して修理できないかと、あれこれ試みたそうな。しばらくやってみたがどうしても分解できないブラックボックス(アナログの電気オーブンなのだけど)に突き当たり、すっかり諦めて、フライパンで焼き始めた頃に私は帰宅した。 玄関を開けたら廊下にオーブンが置かれていたので、事情はすぐに察した。

自然酵母のパンは発酵がゆっくりだし、膨らみ方にも腰があってどんな風にも焼ける。食パン4斤になるはずだったのが、5枚のぎゅーっと中身が詰まった重くずっしりしたパンになった。薄く切って食べてみたら、ちょっと酸っぱくて焦げ臭い素朴な味がした。見た目もワイルドじゃないか。原始パンと名付けよう。

オーブンは、また同じものを注文した。明日届くそうだ。火さえあればパンは焼ける。(K)



2020年12月9日水曜日

月を見上げる犬

昨日は鼻の穴を彫っていた。犬の鼻は意外に大きいのだ。穴の縁が崩れぬように慎重にやらねばならない。深さはそれほど必要ではないけれど、鼻の向きが大事で、ピチッと角度が決まると品がいい。

今日は耳を直した。犬の耳の穴は人と同じで、目の後ろにある。耳を立てても穴の位置が変わる訳じゃないのに、つい側面を彫り過ぎてしまって量が足りない。でもそこは彫刻、何とかなるだろう。

彼は何を見ているのか?大好きなもの、大好きな人、大好きな何かだ。目と鼻と耳は三ついっしょになって同じ方向をじっと見つめ、風の匂いを嗅ぎ、小さな音も聞き逃さないように耳を立てている。

もうすぐ山から月が出て来る。今年最後の満月は三十日。冬の月は天頂を通る。(K)



2020年12月8日火曜日

太陽と共に行動すると

アトリエの畑は、秋野菜と冬越しの苗で、足の踏み場もないくらいになっている。

サヤエンドウが育ち過ぎてしまった。こんなに暖かいと分かっていればもっと遅く蒔いたのだけど、タイミングを図るのが難しい。

真ん中の苗はキャベツとブロッコリー、左奥にはレタスの小さな苗が植っている。食べるのは6月。気が長い話だが、次々と種を蒔き続けていれば、畑にはいつも何か食べるものがあるという訳だ。

地面にヒビが入っているのは、モグラが通った跡だ。そのまま放っておくと根っこが地中で浮いて乾いて、やがて枯れてしまう。上から押さえつけて空洞を押し潰して回った。

玉ねぎのまだ細く小さな苗の周りに枯れ草を敷き詰めた。霜除けの為だ。あとは、雪に押しつぶされないように棒を渡す作業が残っている。

太陽があるうちに行動すると、畑の野菜がよく育つ。当たり前か。(K)



2020年12月7日月曜日

クリスマスみたいだね

天使の足が綺麗なので、そこを中心に撮りたかったのだけど、画面が光ってしまってよく見えない。羊を見下ろすこの天使は、風に流れて来た雲のようだ。

「ここだけ見るとクリスマスみたいだね」と、ガハクが言う。確かにクリスマスカラーがぜんぶ揃っている。赤、緑、金色、銀色、、、小鳥たちの歌。羊の群れもいるし。「あ、ラッパを持たせるのを忘れた」羊飼いの少年が描きかけのままだ。明日はこの子の手には金色のラッパがあるだろう。

ヒョロっと高くて青い木は霊界の木。 緑の木々はこの世に根を下ろしている。風に香りがある時は、近くに天使がいるそうだ。今夜はキッチンに焼き立てのパンが置いてあるから、いい匂いがしている。(K)



2020年12月6日日曜日

地獄の窯の蓋

 大回顧展の案内状が届いた。ガハク愕然として、「才能のある人の地獄と、才能のない人の地獄はどっちが酷いんだろうね」と言う。どっちも同じだろう。才能に頼っている限りは、地獄の釜はいつだって蓋を開けて待ち構えている。落ちて来るのを待っている。

若い時からそうだったのかねえと聞いたら、「若い人はみんなそうでしょう。でも上手く行って成功したからそのままで終わったんだね」と言う。地獄から抜け出すことも欲しないまま最期まで酷い絵を描き続けていたとすれば、それはほんとうの消滅じゃないか。(K)



2020年12月5日土曜日

曖昧さが消えて

袴の腰の線がやっと決まった。このラインを導き出すのに、ずいぶん苦労した。出来てしまうと当然そうなるべくしてそうなったように見える。綺麗だなあと思いながら眺めている。ここまでやり切ったことがあっただろうか?限界までやると言うのではなく、好きなだけやってみたいのだ。興味や意欲が湧き続けていれば、いつかはきっと出来上がるだろうと確信もしている。

以前は形が見えなくなるとしばらく放置していたが、今はずっとやり続けている。やれることがそこかしこに見つかるからだ。

バイオリンを努力しなくても弾けるようになった。毎晩弾いているけど、飽きることがないし、疲れることもない。出て来る音が面白いのだ。指もちょうど良いくらいに動いてくれる。指づかいも難しく考えなくなった。やっているうちに合理的な位置が浮かんでくる。これは、天使が教えてくれるというヤツだ。ピンと来るやり方がいつか見つかるって、分かったんだ。(K)



2020年12月4日金曜日

動き始めた赤

赤い色は一様では無いということが、今夜分かった。赤い街が深く刻まれ始めた。この壁は、何世代にも渡って傷つけられ修復されて来たのが分かる。

一方、天使には年齢がない。いつも艶やかで朗らかで、そして意図を持たない唐突な行動をとる。「思うがままに行くがよい」と言われていて、その言葉のままに育った子供のようだ。

「人の中に神を見い出す行為が芸術」なのだそうだ。これは、タルコフスキーの言葉だ。彼が映し出す人たちが美しいのは、そういう風に人を見つめているからなんだな。他人に自分を映すのではなく、人に神が映っているのを見つめている。自分のことばかり言い立てているうちには、決して見えて来ない人の中の無垢。自分を忘れた時に やっと見つかる。だから映画のタイトルは『鏡』なんだな。(K)



2020年12月3日木曜日

イノシシの峰

 急斜面を斜めに横切りながら登っていくイノシシに向かって、一声「ワン!」と叫んだトワンのことを思い出した。山で獣に遭遇しても、もう決して追いかけようとはしなかった。私たちもそうだ。雪の日には山に入らず、麓を散歩するようになった。死にかけた犬は、賢くなった。死にかけたガハクは、生まれ変わった。失敗が許されるのは一度だけだ。

タルコフスキーの『鏡』を初めて観た。彼の自伝的映画ということだけ聞いて、何も知らずに見始めたら、女たちの重い感情がのしかかって来て、参ったなあと思いながらも 釘付けになった。映像が美しいのだ。霊的なものを風景や事物に語らせている。夢と現実の交錯がリアルに伝わって来る。こういうことが彼自身の日常の中で しょっちゅう体験されていたのに違いない。

いつもなら今夜は秩父夜祭なのだけど、コロナのせいで中止になってガラガラの電車が通過していく。(K)





2020年12月2日水曜日

しっぽの救出

石のグレーの縞模様からしっぽを抜け出させた。真っ白のふさふさのしっぽになって、ホッとしている。汚泥にお尻がくっ付いていたんじゃ可哀想だ。揺れたり下がったり立ったりして、感情を豊かに表現していたしっぽだもん。

最近ガハクが立て続けにトワンの夢を見た。死んでから2年経って、やっと夢に現れたと喜んでいる。家の中でも、山の中でも、いつものあの姿そのままに、パッと飛びかかってはふざけたりするのだそうな。可愛いじゃないか。

愛は試されるのか、実現されるのか、その真意が夢の中で露になる。(K)



2020年12月1日火曜日

絵の中に街が現れるまで

広場が温かく感じられたのは、正面の建物が高くなったせいだった。空も白くなっているし、家の向きもだいぶ変わった。鳥の目で見たような風景だったけれど、今は走り抜ける馬の視点も感じられる。これは視線が強くなったからだな。画家とは、裏側を描ける人のことだ。彫刻もそうだもの。(K)



2020年11月30日月曜日

陽に包まれて

 夜になっても尚明るい天界の野原を 馬に乗ってゆくこの人は誰だろう?梢は光に膨らんでマシュマロか綿菓子のようだ。

この絵はどこにも出してないなんておかしいなあ、、、どうしてだろう?派手じゃないからかな。弱く儚く脆く見えたからだろうか。すぐには理解できなかったんだな。

ガハクの絵の選定はほとんど私がやって、展示の方向性を決めている。でも偶然は必然、それで良かったんだ。赤ん坊のように守られなければ汚されるのが『美』だもの。キャンバスの裏に「2014年」と書いてあるから、まだトワンがいた頃の絵だ。(K)



2020年11月29日日曜日

翼が生えるまで

背中から出ている爽やかな霊気が彫れたら最高だ。翼が表象しているものは『深慮』だそうな。

アトリエに着いたらまず薪ストーブに小枝を突っ込み火をつける。筋トレをしている間に 9度だった室温は、12度まで上がって、やがて16度になった。作業していると暑いくらいだ。今日は風向きも良くて、煙が川上に向かって流れていく。紫の煙を眺めながら、アトリエ前の野原をジョギング。足首の筋肉が意外と弱いのに気が付いた。自転車では感じないこわばりがある。少しずつ慣らして行こう。

昨日植え付けたレタスの色が明るくて可愛らしい。「何をしていてもいいのだよ、全てがあなただから」とずっと言われて励まされて来た。どれも少しずつ出来上がっていく。ゆっくり作れたら最高だ。(K)





2020年11月28日土曜日

山のあなた

この山の向こうは切り立った崖だ。ときどき稜線に重機の黄色いアームが見えることもある。この辺りの山は石灰質の地層が広がっているらしい。石灰岩は脆くて砕きやすいのだ。発破で割り、重機で引き剥がし、サイロの中で細かく砕き、コンベアでダンプに載せて首都圏に運ばれてゆく。

でも、30年の間に騒音も埃も随分減った。衰える経済とか沈む日本と危機感を煽るけれど、このアガノ村に関しては、前よりずっと平和になった。コロナのおかげで自治会の簡素化が進んで、無駄な経費は削減され、鬱陶しい付き合いが無くなった。新しい時代は形を変えてやって来るから誰にも予測は付かないのだ。

山の向こう側は西武建材、こっち側は日本鋼管の所有地だ。向こう側は砂利の採掘、こっち側は戦争中には盛んにマンガンを採掘していた。時代の要請と需要に乗っかるようにして自然は壊され利用される。それでも鳥は飛び、リスは梢を渡ってゆく。

ふと思い出した詩のフレーズ、「山のあなたの空遠く幸い住むと人のいう」調べてみたら、ドイツの詩人の書いたものだそうな。日本の小さな子供にまで覚えられるほど有名になった詩なんだね。山のこっち側で見つける覚悟がなけりゃ、向こうに行ってもきっと見つからないのが『幸せ』というものだ。

今朝はライトバンで山に入った。ガハクが拾い集めてくれた枯れ枝が小山になっていた。二人で30分ほど積み込んで、私はそのままアトリエに向かった。ガハクは新しく作った木刀を持って山に向かった。(K)

Uber den Bergen,
weit zu wandern, sagen die Leute,
wohnt das Gluck.
Ach, und ich ging,
im Schwarme der andern,
kam mit verweinten Augen zuruck.
Uber den Bergen,
weit, weit druben, sagen die Leute
wohnt das Gluck.

山のあなたの 空遠く
「幸い」住むと 人のいう
噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて
涙さしぐみ かえりきぬ
山のあなたに なお遠く
「幸い」住むと 人のいう
『山のあなた』カール・ブッセ/上田敏 訳


2020年11月27日金曜日

音楽の効用

夜寝る前にガハクはギターを弾くようになった。私も夜にバイオリンの練習をする。同じ曲を弾いているので、だんだん上手くなって来たら合奏してみたりするけど、ほとんどそれぞれ独りで弾いている。

「独りでやれないものは、皆んなともやれないよ」とガハクが言う。絵だって独りで描けない人にはその楽しさは分からないと言う。楽器もそうだな。下手でも独りで弾いて楽しいという気持ちが湧いてくればこそ、とつとつと音を並べて愉快な気持ちにもなるんだ。芸術は孤独な場所から始まるようだ。熱意は一人の中に生まれて、やがて他の人の熱意や共感に繋がっていく。

妻の肖像がすっかり描き変えられていた。音楽が鳴っているみたいな空間だ。(K)



2020年11月26日木曜日

変わらぬ天使

この人だけは描き変えられずにずっとそのままだ。
こんなにくっきりと余計なものを何も纏わず、曖昧なものを全て排除した姿で描かれているのに、生き物のグロテスクさがない。猥褻じゃない。白く塗ると陶磁器のように冷たくなるのに、この人には尖ったところがなくてあたたかい。
こんなに大きいのにだれも気にしていないようだ。見えていないんだな。見えなけりゃ無いものとするのが大方の人のやり方だ。突然ぶつかったら、さぞびっくりするだろうな。僥倖だと思えないだろうな。この人の眼差しの届く所には、歌がある。(K)


 

2020年11月25日水曜日

根を下ろす

モミジの種子はプロペラみたいな翼を持っていて、風に乗って遠くまで飛ぶ。降りた場所がたまたま岩の上でも、そこに少しの窪みと土があれば、こんなに大きくなる。それに、もう根っこが地面まで届いて岩を抱いているじゃないの!

この木が邪魔だと思う人間が現れない限り、いや、この岩を動かそうとする重機が出動しない限りは、ここにずっと生息し続けて行くだろう。山のあちこちに 小さなモミジの苗が生え出ている。緑一色だった植林の森が、たかだか30年の間にだんだん紅葉樹で色が付いて行くのを眺めている。(K)



2020年11月24日火曜日

桜の老木の台

 どうも彫りにくいので、また元の台に載せ替えた。(高さが低いし、音が響いて煩かったのだ)彫り始めてホッとした。かちっと受け止めてくれる。無駄な音や振動が無いということが、如何に気持ちを楽にさせるか分かった。

この丸太は桜の木だ。すぐ近くの小川の縁に生えていたのだけれど、だいぶ腐って来ているし危ないからと、村の電気屋さんが隣の車屋と相談して、ユニック車で釣り上げてもらいながら伐り倒したんだ。しばらくしたら声がかかった。「邪魔だからストーブの薪にでも使わねえか」と言われれて近くでつぶさに眺めたら、まだしっかりしている。木目が緻密で美しい木だ。石の作業台が二つもできた。こうやって、もう20年以上使っている。(K)



2020年11月23日月曜日

木刀の行方

 作ったばかりの木刀が、二日目にして失くなった。林道脇のガードレールに立て掛けておいたのに、どこを探しても見つからない。木刀と言っても、山で拾った杉の枝だ。曲がり具合が良いのを 使いやすい長さに切ってヤスリを軽く当てただけの何の変哲もない棒を わざわざ持って行く奴がいるだろうか?

そこで思い出した!近くの駅に続く道の傍には、ハイカーが置いていった棒が何本も立て掛けてある。邪魔でもないし、誰も片付けないからそのままだ。置いて行った人は、次の人に「どうぞ使ってください」という気持ちかもしれない。ガハクの木刀2号もそんな風に、どこかの駅の近くに放置されてるのかもしれないな。

残念だけど仕方がないので、木刀1号を再び復活させたガハク。折れた箇所をボンドで補修して、タコ糸でガッチリ巻いた。「今日はガードレールの後ろの目立たない所に横倒しに置いて来た」と言う。木刀というのは、そもそも地面に突き刺したり立てたりはしないものなのだそうな。刀と同じ扱いをしてこそ技が身につくというのだ。なるほどと感心した。鋭い刃先を天にも地にも向けずに、そっと横に倒して静かに置く。『抜いた時は死ぬ時』という極意通りだ。(K)





2020年11月22日日曜日

変容する赤い街

今朝ガハクが、「『赤い街』も描き直そうと思う」と言い出した。去年デナリでやったKとガハク展のメインに据えた絵だ。すでに発表した作品なのに平気で描き変えるのねと言うと、「そんなもんじゃないって分かったからさ」とキッパリとした様子だ。

芸術の純粋が伝わる為には成熟した場が必要なのだと分かった。そういう環境が整うなんてことが、本当にあるかどうかも怪しいもんだ。試練を経て、ガハクは変わった。生まれ変わったに等しいほど、この人は強くなった。

黒い服を着た人は、スエデンボルグだそうだ。彼の後ろから大きな天使が付いてゆく。まだ霊眼が開かれていない彼は、今日も忙しそうだ。(K)







 

2020年11月21日土曜日

背中の表情

こんなに背中を彫るのが面白いとは、今まで知らなかった。背後、裏側、見えない部分、目立たないところにも 思いっきり時間をかけられるというのは、なんと幸せなことか!それに、広い作業台に載せ替えたのも良かった。部屋の中央に移動したら光も自然になった。夏はこの場所だと天窓からの熱気がモロに当たって辛いのだ。

冬に向かうこの季節の太陽は、大理石に美しい陰影を落とす。(K)



2020年11月20日金曜日

『サクリファイス』

やっと映画『サクリファイス』を観た。立ったままで話す人たちの重苦しい会話がいつまでも続くので、これは堪らんなあと思いながら、目を離せずにいた。「これを見ても何も変わらないなんておかしいよ。僕はタルコフスキーのストーカーを見て変わったもの」とガハクが言うくらい、彼の美意識とガハクのそれは一致する。「ダビンチよりピエロ・デラ・フランチェスカの方がいい」と映画の中で郵便配達夫のオットーに言わせていた。

うちのパソコンの背景画像がウラジミールの聖母で、タルコフスキーの部屋にも同じ絵の複製が額に入れて掛かっていたのに気が付いた時はとても驚いた。人が人に繋がるときは、わざわざこっちから出かけて行かなくても、向こうからやって来るんだなあ。

「皆死を怖れているけれど、そんなものはない」と主人公の言う台詞は、何度もガハクの口から聞いた。死の恐怖を前にしてじっと佇むより、毎日水をやる、毎日絵を描く、毎日石を彫る、そういうことが木を生き返らせ育てることになるんだ。(K)





2020年11月19日木曜日

ヘルメスの胸

 シャワーを浴びて出て来たガハクの体格を見て驚いた。胸筋がくっきり出ていて、まるで石膏像のヘルメスみたいだった。「男の人の胸の形ってほんとにあるんだねえ」と感心して眺めた。脚はウィリアム・ブレイクが銅版画に刻む人たちのようだ。

山で振る木刀代わりの枝も、ついに第二号を新調。古い方の枝は捨て難くて、庭の工房に大事に置いてある。テカテカに光っている。オイルを引いたのかと聞いたら、「木自体から出て来る樹脂だろう」とのこと。使い慣れた色と枝の曲がり具合が美しい。

私が6年かかって筋トレで鍛えた体力と体幹を ガハクは退院後の8ヶ月で作り上げた。命を救ってくれたのは先生や看護師。這い上がって来たのは本人の意欲。眠っている間も絶え間なく溺れぬように支えていたのはゴレンジャー部隊の格好をした天使たち。彼らの格闘ぶりを混濁した意識の中で眺めていたそうだ。ただ申し訳ないと思いながら。そして、祈りに応えてくれたのは、この冬のひかり。(K)



2020年11月18日水曜日

太陽を迎えにゆく

 今朝は二人とも6時に起床。まだ薄暗かった。「青白いね」と窓の外を眺めてガハクが言う。7時にやっと西の山に太陽がさして、朝ごはんを食べ終わった頃には、庭いっぱいの日差し。南天の赤が鮮やかに光っていた。

今日は早くアトリエに行けたから、いっぱい時間があってトワンも彫ることができた。1日に二つの彫刻を彫る為には、時間と体力、そして食べ物が必要なんだ。弁当だけじゃなく、おやつまで持って出かけたので余裕があった。

いい腕を持つものがゆっくり作ったものが最高なんだとミケランジェロは言ったそうだ。霊的な領域のことだろう。そういう生き方も状況も自分では選べない。与えられたら引き受けるということさえなかなか難しいのだけれど、たまにそういうことが起きる。

太陽は追いかけずに迎えに行けばいいのだ。夜明け前に起きて解った。(K)



2020年11月17日火曜日

絵の中の映画

この絵を見て一斉に「きゃーっ!」と叫んだ若い女性たちのことを思い出した。まだ隣の借家に住んでいた頃のことだ。ときどき仲間で誘い合って遊びに来てくれた。絵の中に描かれている狭いキッチンでワイワイガヤガヤ皆でコロッケや春巻きを作っては揚げ、パーティーをしていたんだ。お腹いっぱいになると、裏山に皆で登った。犬を先頭に、猫は留守番だったかな?適当に暮らしていたのだ。

「白い人が出たのはどの辺りですか?」と、聞く。すでに彼女らは、ホームページに載せている『白い人』の絵とその経緯を知っていて、これからミステリーゾーンに踏み込むぞという感じだったのだろう。ガハクが「今立っているその辺り!」と指さした途端、「きゃーっ!」と抱きついて来たっけ。

絵の中の犬はトワンに描き変えられているようだ。前の犬は、いっしょに踊ったりはしなかったし、黒猫はトワンが来る前に死んじゃっていたし。

「ナイフを使って描いているから、新しいね。あの頃はまだこんな風には描けなかった」とガハク本人の証言もある。古い絵を引っ張り出しては描いているのは昔からやっていたことだった。燃やしたものもあるし、ズタズタにナイフで切ってゴミに出した絵もあるが、こうやって変容して成熟していく絵もある。真実が立ち上がって来て初めて鮮やかに描けるんだ。

窓から風が吹き込んでカーテンが揺れているなんてことになっているとは、今まで知らなかったよ!いつ描いたの?(K)



2020年11月16日月曜日

垂線

 背中を彫っていたら、垂線が気になって来た。

作業台に水平器を置いて傾きを修正。地面に直に置いた太い丸太が作業台だから、ときどき確認しないと、いつの間にか曖昧で不安定な空間に入り込んでしまっている場合があるんだ。

今日は肘と脇の間の空間を直した。

厚みのある背中 にふんわりとした翼を 編むように彫ろう。(K)



2020年11月15日日曜日

柚子の香りの日曜日

 こんなに柚子がどっさり降って来た。しかも木から捥いだばかりだという。いい香りだ。新鮮なうちにと、日曜日の朝から柚子ジャムと、ゆの酢作りに励んだ。

柚子ジャム:ストーブの上にかけた鍋で湯通しすること2回。それを細かく刻んで、絞った果汁と一緒にグラニュー糖を徐々に加えながらコトコト煮詰めていく。15個の柚子で4瓶できた。パンに塗って食べると最高なんだ。

ゆの酢:30個の柚子を皮付きのまま半分に切った。種もそのままで、マッシャーでぎゅーっと絞ると、じわじわと皮のオイルと果肉から滲み出るエキスが混じり合って出て来る。半透明の明るい黄色の汁は、香りもなかなか強烈だ。

ちょっと疲れたので、途中でガハクに交代。私より背が高いし、前と違って今は10Kgも重い。体重をかけて圧搾しているうちに、「もっと小さく切った方がしっかり絞れるよ」と更なる工夫も加わった。で、1ℓも採れた。

このマッシャーは、分厚いアルミで出来ている。外国製のようだ。東京に出たばかりの学生の頃、スーパーの一隅に机を出して実演販売しているおじさんから買ったのだ。フルーツジュースもマッシュポテトも野菜ジュースもこれひとつで作って来た。もうすぐ50年になるんだぜ♪(K)






2020年11月14日土曜日

キツツキの音

昨日も今日も コンコンコンコンとキツツキの音が聞こえたそうな。落ち葉を踏む音に合わせるように響いて来る。夏場はインパクトドライバーみたいな連続音だったのに、こんなに明るい晩秋の森だと、やっぱりのんびりと叩くのかな?

あゝそうか!冬が近いから、樹皮が固いのかもしれない。乾いてかっちり引き締まった木に穴を開けるのは大変だろう。嘴で彫るんだものねえ。

アトリエで大理石をコツコツ彫っていたら、山の手入れを終えて降りて来た地主さんに、「上の方で聞いてると、キツツキみてえだよ」と言われたのを思い出した。小さな力で最大限に目的を果たそうとすれば、その音は遠くまで響くんだなあ。懐かしい人を思い出した。(K)



2020年11月13日金曜日

強い額

強い額だ。男みたいに見えるが、これも妻の肖像だそうだ。もうここまで来ると、印象を描いているんじゃなくて、事実を描いているんだろう。実際この9ヶ月の間にずいぶん強くなったものねえ。

描かれる方も 描く方も 意識が立ち上がっていなければ、真の姿は出て来ないだろう。尾ひれを付けずに描くことが出来たときに、「あゝ 絵を描いて来て良かったなあ」と思えるのだ。ガハクがそう言ったのを聞いたのは、たしか数ヶ月前だった。

特別なことなんか何もないのに そのまま描くということが出来なくなるのは、そのまま描くとつまらないものしか出来ないと自分で決めてしまうからだ。尊大と卑小を行ったり来たりする意識が、どんなに人を苦しませ病ませるかということをよく知っている。

ところで、今日から筋トレメニューに軽いジャンプを入れた。ガハクがジャンプを始めたそうなので、私もやってみようと思って。足の裏の感触を感じながら柔らかく軽くジャンプしたら、体が揺さぶられて面白かった。少しずつ慣らして、そのうち縄跳びができるようになりたい。(K)



2020年11月12日木曜日

秋の大収穫!

 去年の今頃は、猪にネットを破られカボチャを食われ、次の日はそこから猿が進入して里芋を掘られ、すっかり空っぽになった畑で呆然と立ち尽くしていたのだった。

冬の間にコツコツと作り直した獣よけの柵とネットの覆いは、完璧だった。一度も突破されずに済んだ。獣たちは諦めて通り過ぎていく。

こんなに大きな白菜が採れたのは初めてだ。近所の人に頂いた小さな種生姜6個が、こんなに増えた。土って凄いな。埋めておくだけで増えるんだもん。里芋以外は、ぜんぶキムチに使う。うちの白菜キムチは美味いんだ。

手前の地面が剥き出しになっているのが分かるだろうか?毎日ここでフットワークをしているから草が生えなくなったんだ。仕事前にアトリエ前の野原で、バスケットのディフェンスで覚えた斜め走りをやっている。足腰がしっかりして、この収穫がある。今は、彫刻も畑も楽しい。(K)



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