2018年8月11日土曜日

おじさんはキミのことが大好きだよ

今朝配達に来た馴染みの宅配便の人がそう言うのを布団の中で聞いていた。同じようなことを郵便屋さんも言っていた。それ以外にもトワンを可愛いと思っている人が近所にはたくさんいる。門扉を挟んで庭の中を自由に動き回っている姿を見ているからかも知れない。ごく普通の犬にも見えるのに、可愛いと思い始めると飼い主の欲目以上に確かに非常に可愛いのだ。かわいい〜っ!のだ。
愛するものを描くのは容易だ。どういう風にでも描けると思えてしまう。画家は愛しているものを描くべきだ。もしくは描くならそれを愛さねばならないのだ。(画)


2018年8月10日金曜日

生き還った人

今朝デナリに注文していたコーヒー豆が届いた。先に走り出て行ったトワンが門のところで話しかけられている。荷物を渡し終わったら犬に向かって「おじさんは君のこと大好きだよ」と言いつつ車に乗り込んで帰って行った。飼い主より友達が多い犬である。

コーヒーの香りはいい形を作らせてくれる。トワンの瞳がやさしいスフィアを教えてくれる。意識の革命無くしては何事も成就しないと書かれていたけれど、本当にそうだ。正しいことを言う前に(あるいは言った後にも)、いつも愛する人のことが先立つようになった。感謝の念がじわっと湧いてくる。(K)

2018年8月9日木曜日

新しいホームページ

プロバイダーがサービス停止ということでホームページが消えてしまう。新しいサイトに引っ越すことになった。しかし古いパソコンでは新しいサイトにファイルをアップできない。以前のソフトは今のパソコンでは使えない。迷っていたがフリーの制作ソフトがネットでダウンロードできるのが分かった。ついでにホームページをリニューアル。何とか使っているがやっぱり移す為の情報量が多くて大変だ。
そろそろ新しいプロバイダーとの契約が始まる。その日が締切日になってるわけだから、絵よりもこっちの制作が気になって今日は1日かかりきりになってしまった。(画)


2018年8月7日火曜日

ノミが届かないところは一旦ヤスリで

ノミが届かないところにヤスリを使った。ヤスリで削り落として段差を付けてはその堤を平ノミで叩き落とし、またヤスリで段を付けてはノミで刻む。軽めのハンマーを短く持って小さなストロークで叩く。だんだん影の中の空間が広がって行き、やがて絶対彫れそうもなかったところにノミが届いた。見えないところが見えるようになって、ノミが届かないところも彫れるようになるまで随分時間がかかったけれど、この形は前には何処にもなかったんだ。帰りがけに電気を切るとき、大理石の小さなトワンをじっと見る。「また明日ね」と呟く。(K)


パレット

画家のパレットとはその人の色彩感覚に始まって描き方すら象徴するようなもの、代名詞にもなるくらいだ。確かにそんな気もする。描いている絵とその時使っているパレットの色が似ているのは当たり前だと思うし。ほらこうやってみると僕のは絵そのままだな。
でもドラクロアの使ったパレットの写真を見た記憶があるが他にはセザンヌのとか…彼らのはそうでもなかったような、天才は違うのか…まあいいや。(画)


2018年8月6日月曜日

寄り添う犬

トワンの背中が触れているのは気持ちがいい。それは大好きな犬だからだけじゃない。トワンだってこっちを信頼しているのが分かるからだ。好きな者同士だからだ。ふたつの形が接触している線の柔らかさは、そのまま感情の行き来の現れであって、隔壁ではない。だからくっきり彫れるのだ。そこには、ぼんやりした自己と無関心な他者の間には引けない美しい線がある。(K)



2018年8月5日日曜日

職業として

彫金の仕事をしながら寄宿生活を続ける、そんな事がルソーの『告白』にある。徒弟修行の半ばで出奔した彼の彫金の技術は中途半端なものだったらしいが、それでも生活はできたのだ。
アメリカ映画で刑事が犯人の住処とおぼしき家に捜査に入って言う「いやここは誰も住んでいた気配がない、絵の一枚も壁にかかっていないぞ」
今の日本では絵で食っていける人は稀だ。残念な事だと思っていたがそれはちょっと違うと分かった。芸術で食えないのはいいことなのだ。売れないからこそ勝手な絵を自由にいつまでも描いていられる。もしこれが職業であれば先方の気にいる物しか作れないに決まっている。
↓『ガジュマルの樹』人物の足元の部分。分かるかなあ?(画)

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