2019年3月2日土曜日

30年ぶりの春

今日からこの『ちゅーりっぷ』の仕上げにかかった。覚悟と気合を入れて棚の隅から引っ張り出したのだけれど、一人で持ち上げるのに大して苦労しなかった。このくらいならまだ大丈夫だ。開け放った窓から入って来る春の息吹が加勢してくれた。水で綺麗に洗ったら、30年前の意識が思い出された。ぶっきら棒なところはあるけれど、なかなかセクシーだ。形に生命力があるか無いか分かるようになった今なら完成させることが出来るだろう。

手がふたつ重なった『ふたりの手』も作業台に載せて眺めた。これは今月のぞうけいのモチーフに使うことにしよう。大理石の手の彫刻なんてそこらにそんなに無いはずだから、皆喜んでくれるだろう。

今日は仕事用のメガネも出来上がった。メガネ屋に取りに行った帰りに途中のスーパーに寄って、ドラゴンフルーツと、マンゴーと、パイナップルを買った。食べる為ではなくこれもやっぱりモチーフ用だ。ひと月保たせるにはマメに冷蔵庫に保管するしか無いようだけど、食べてみたいなドラゴンフルーツ。(K)


2019年3月1日金曜日

交霊

今日は1日雨が降っていたので山に行かなかった。昨日は行ったものの寒くていたたまれなくなりすぐに引き返して来てしまった。トワンがいないように思えた。精霊は見える場所と見えない場所があり、時と場合、状況によるのも事実だ。
今夜鏡の前で手を洗っていてふと、左側後ろの足元に小さな精霊を呼び出そうと思ったがやめた。用もないのに試したりしてはいけない。
その気になりさえすればいいのだ。精霊はいつでもそばにいる。トワンがそれを教えてくれた。(画)

2019年2月28日木曜日

妖精の住む場所

「花の中の妖精はどうするの?彫らないの?」とゆうべガハクに言われた。あれはね何となく花の軸にも人にも見えるということであれでいいの、とその時は答えた。

アトリエに着いて、じっと花の真ん中の突起部を見つめた。砥石の小さなかけらを持って吸い込まれるように頭の部分を削り始めて、右手、左手、足元を線彫りしてみた。すると、花は花ではなく小さな宇宙に見えて来た。高い場所へと移動したようだった。世界が広がったのだ。

形を与えると崇高さや神秘性が消えてしまいそうでつい曖昧にしたままにしておく。決定的な線を与えるのが怖いのだ。それでも前に進めるのは勇気じゃなくて、そこに大好きなものがあるからだ。いい香りのする方へと素直に導かれて行くだけだ。 (K)


2019年2月27日水曜日

脇道

自転車で遠出をしていた頃、目的地に向かう道の途中にある脇道が気になって、できたらそこへ入ってみたい、そしてそこにはどんな風景が広がっているのか、それを見たくて仕方なかった。だからそういう時はその旅に目的地があるのを恨んだ。その日の目的地さえなければ全ての道を走り回れる、そしていつか目的地のない旅をしてみたいと思った。
今絵を描いていてその時の気持ちを思い出す。
確かに完成に向かって描いている。そうでなければ描くということはただの時間潰しの作業に過ぎない。イメージを追求し、曖昧さを超えてそれが明瞭に完全に固定できたら、その時絵は完成するはずだと思い描いている。しかし同時にできるなら目的地に沿った全ての脇道を自己の旅の地図に見出し全体の完全な地図を作り出したいという思いも同時に持っているようなのだ。(画)

2019年2月26日火曜日

強い視線

人は太陽を見つめることは出来ない。直視したら目が潰れてしまうからだ。サングラスをかけるか、雲を透かしてしか見ることが出来ない。神とはそのような存在なのだそうだ。死んで戻って来た人はいないのだから怖いのは当たり前だけど、誰も本当には自分が死ぬとは思っていなくてただただその日が来ることを感じながら怯えている。元気が出ないのはそのせいだ。

トワンの最後の日の一々のシーンが美しくて強くて優しかった。あのように死の瞬間を生きながら通り抜けて行けたらと思う。今まで知らなかったし見たこともなかった新しいイメージを与えてくれた。大好きなものをじっと強く見続けていること。大きな試練とは屈辱悔恨堕落に苛まれることだけど、その時、愛するものを見つめていると堕ちることなく浮かび上がることが出来るんだ。そういう綺麗な目をしていた。(K)




2019年2月25日月曜日

寓話

「スウェーデンボルクの幻視」と題したこの絵、こいつは寓話みたいに見えるな。
見た夢を描こうとしただけだが、描き方をブリューゲルみたいな絵から借りている。彼らと技術やイメージ力に雲泥の差があるのは別にして。マニュエリスムの画家たち、ボッシュやデューラーなどにもある「寓話性」、最近なんとなく流行らない手法のように思えたりするが、近年でいえばフランシスベーコンに特徴的だし、ポップアートにも顕著だ。
僕のこの絵が「寓話」かどうかは「?」だが、自己のイメージに忠実にというその点だけを指針にして描いている。
今見直してみると、以前できなかったこと、できそうもないと諦めていたこと、できるのにしなかった事、それら全てが今はよく見える。だからきっともっといい絵になるだろう。(画)

2019年2月24日日曜日

花のまわりで

花びらの輪郭を美しくしたい。もっと精妙で軽やかに。そう思いながら粗めの砥石でごりごり削っていたら、ぴょんと歌が浮かんで来た。「花のまわりで鳥が回る〜鳥のまわりで風が回る〜回れ回れ回れ〜」というところが素敵だ。この歌のイメージは幼い子らに絵を描かせる時と全く同じだ。

花の香りはぐんぐん回りながら広がっていく。そういうダイナミックなものが命だ。形が香るようでなければ彫刻ではない。楽しいとか嬉しいとか、内側から湧き出てくる気持ちが石を彫らせるエネルギーだ。

嘘の涙や感動は人に伝播しない。聴いた人見た人触れた人が、弾きたくなる描きたくなる作りたくなるものが真の芸術だ。そうでないものは人を寄せ付けない冷たさがあってそんなものは競争心をそそるだけの偽物だ。これはもうはっきりとしている。(K)



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