2019年6月22日土曜日

色味

砥石の使い方をいろいろ試しながら自由にやってみたら面白いことに気が付いた。間の砥石を一つ飛ばして、高い番数の砥石でシツコク磨き続けると、柔らかな布の風合いが出るのだ。鑿痕を消す必要があるのは墓と宝石だけ。彫刻はキズさえもニュアンスになり、色味を与えてくれる。但しベースの形がしっかり彫られた上で。

トワンの毛の柔らかさと、布のゴワッとした感触の違いが少し出せるようになった。熱意という器に注がれる美の感情を寄り道なしで形にしたい。(K)


2019年6月21日金曜日

額が届いた

注文した額が届いたので用意した木版画を入れた。このサイズの版画を額装するのは初めてだ。刷り面が紙の端ギリギリなので別の紙で裏打ちしてからマットに合わせた。それも初めてだった。
一連の作業をしていると、まるで大勢の人前に出て行く自分の子に立派な服を新調してやっているような気分になる。だからなのか、展覧会を前にしてどこか不安定なこの気持ち、うちの子が背筋を伸ばした立派な姿でその場に立てるだろうか、どこか自信無げに俯いたりしていないだろうか。(画)

2019年6月20日木曜日

人間天使

人間天使という存在のことをスエデンボルグが書いている。思うに、それはトワンのようなものだろう。何もしてはくれないけれど彼がいることで皆が楽しくなる。誰もが知っているけれど権威も力もないものだ。誰もが愛しているけれどその見返りを求めていない。そういう人になれたらなあと、トワンが死んでから思うようになった。

今日は公会堂の掃除だったのだけれど、ガハクの油絵を入れる額縁の製材をしていたので少し遅刻してしまった。バケツに雑巾と窓拭き用のスポンジモップを持って駆け足で入って行くと、声がかかった。
「あゝよかった、来てくれて」って。そんなこと言われたの初めてだったので内心ドギマギしたけど、また別の人から同じことを言われた。 空気が穏やかで柔らかくなって生きやすくなった。

『月下の森』というタイトルにしよう。女の顔を600番の砥石で磨いたら、すーっと静まって落ち着いた表情になった。ガハクに「アルカイックみたいだ」と言われたのが、とても嬉しい。(K)


2019年6月19日水曜日

記憶と想像

遠い昔とはいえ若い頃に覚えすっかり身についていると思っていた居合の型をほとんど思い出せないのに気づいた。ネットで動画を見たりしても自分の体に実感として染み付いているはずの感覚と結びつかない。しかし何度も動いていたら徐々に思い出せて来た。
銅版画を始めた頃、カタログを見て余りに高価なものは除き使いそうな道具を片っ端から購入した。
エングレービングに使うビュランにも様々なものがある。一般的な断面が菱形のものから鋭い楔形、楕円形、長方形…。その中で一本使途不明のこの一本、反った刃の先端の断面はV字形。使い方が分からないままだったが点を打つのに便利ではと思いついた。たくさんの点を集合させるとアクアチントみたいになる。
知っているはずのことを思い出そうとすることと、知らない使い方を想像することが脳の活動として似ているような気がしたのだった。(画)

2019年6月18日火曜日

騎士の発散気

昨夜ガハクに居合をやってもらった。刀の代わりに裁縫用の1mの竹の物差しを持ってだったのだが、眼前の敵を見据える視線、後方の敵をも押さえつける切っ先、その空間の把握の濃密さに見ていて息が詰まった。

今夜も一回だけ、型の一本目にあたる『初発刀』(しょはっとう)というのをやって貰ったのだが、昨夜よりさらに緊迫した空気が辺りを占めた。意識は空間を作り出すというのは本当だ。 46年ぶりに見せて貰ったのに何も衰えてはいなかった。立派な実力派の武道家であったという先生から学んだことは、今もガハクの内部に刻まれているようだ。

天界では、必要な物は使いたいと思った時に横を見るとそこにあるという。それがあまりにも自然なことだから、何も思わずただ手を伸ばしそれを使うという生活、、、なんと楽しいことだろう。ガハクが使いたい色をパッと思い浮かべて横にあるキャビネットを見ると、鮮やかなバーミリオンやコバルトブルーが並んでいる。筆はいっぱい刺してある。そして刀もいざという時には現れる。つまり、闘う天使は蓄える必要はないということだ。

今夜レリーフの男の顔に600番の砥石をかけたら、辺りにエーテル状の発散気が広がった。くっきりと立ち上がって来るようだ。思い切って磨いていこう。(K)


2019年6月17日月曜日

輝くカデット

絵のための絵とはずっと前に別れを告げた。特権階級にいると気持ちのいい人もいるらしいが、その素敵に豪華できらびやかな大広間の隅っこにしかいられないとなると…自尊心が許さないよ。それよりもっと自由な身分でいた方がいい。素敵なワインも豪勢な料理もいいけれどパンの耳や味噌汁インスタントラーメンだって十分美味しいんだよ。他人と競争しないといられなくなるような場所ではなく、好きな時に好きな所へ行けて誰からも制約を受けない暮らし方をしたい。自由とはまず行動の自由だと言ったのは誰だっけ?
この古い版の人物なかなかいい顔をしている。これももっと彫ろう。(画)


2019年6月16日日曜日

下瞼

瞳をどう彫るかも大事だが、それを包む瞼がいろんな表情を作り出している。今日は下瞼をさらに薄くした。重ったるい印象が消えた。僅かにあった憂いも無くなった。こういうことは自分ではどうにもならない。その時まで耐えて進むしかないんだ。そこまで行って初めて分かる形なんだもの。昨夜は見えて来るというよりも、ふっと浮かんで来たので、慌てて水色のクレパスで下瞼に描いておいた。そして今日アトリエに着いてすぐに取り掛かった。何となくルノーの会長のスナール氏に似ている。あの顔は素晴らしい。形が人格と結びついていれば良いのだけれど、あのような顔を持った人が善い人であることを願う。美とは想いと知性が一致したものなんだ。(K)


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