2020年11月7日土曜日

トワンの彼女

アガノ村のどの犬とも仲が良かったし、どの犬にも好かれたけれど、トワンには彼女はいなかった。村のほとんどの犬は虚勢や避妊がなされていたが、トワンは獣医さんのアドバイスにより(大人し過ぎる犬だから男の子らしさが消えないようにと)自然のままだったのだ。それでも、春先にどこからか漂って来るメスの臭いにはどうしても反応してしまう。落ち着きがなくなる。もしどこかの雌犬に孕ませてしまったら申し訳ないから発情期には緊張した。でもメスを追うこともなく、呼べば戻って来た。

トワンにとってガハクはリーダーで、私のことは守るべきものと思っていたようだ。野原の隅っこで用足しをすると、すぐに飛んできて周りを警戒し始める。
夏のぞうけい教室に大勢の子供達がやって来たときは、まるで牧童犬のようだった。山にスケッチの材料を探しに出ると、集団の前に出たり、後ろに回ったりして走り回っていた。

「来年はトワンが来るよ」とガハクが言う。どうやって現れるのか全く分からないそうだ。ただその事実だけの予言だ。

今日は「また絵を描きたい」という人が現れた。嬉しかった。どういう風にやろうか、これからゆっくり考えよう。教室運営のような商売ではなく、芸術が生きる力になるということを自覚した人に教えたいとガハクは言っている。(K)

2020年11月6日金曜日

陽だまり

山の中に陽だまりができる。もう少し進むと道は陰に入って暗くなる。 ここは山の北斜面だから明暗がはっきりしている。

「時間というのは、山の中を歩いたり、草や木を眺めたり、薪を集めたりしている時に作っているんだね。そういうことをやるには時間がないとか言うけれど、そういうのは時間じゃないんだ」と、山で考えたことを話してくれた。

ガハクが山に行っている間、私はバイオリンを弾いている。やっと一つの曲を何も見ないで弾けるようになった。何の目的もないのに弾く。こういうのは初めてじゃないかな。楽しいとか嬉しいとか面白いというシンプルな気持ちが、悲しいとか寂しいとか苦しいという想いにまさって来て、救い上げてくれる。日々鍛えている筋力は馬鹿には出来ない。

今日は今シーズン初めてアトリエの薪ストーブに火を起こして暖を取った。煙突掃除も完璧にやったから、紫色の透き通った煙がすーっと上がって西風にゆっくり押されてたなびいた。この冬はいい仕事ができそうだ。(K)



2020年11月5日木曜日

How cool ♪

三日前に埃をかぶったように燻んで立っていた自画像が、今夜は一転してカッコよくなっている。人間が生まれ変わると、絵の中の人まで変わるのか。リラックスした姿勢。カットしたばかりの髪。床屋をやった時の感触が思い出された。すーっと立ち昇るスフィア。

大自然の写真を撮って来て、家に帰ってそれを見ながら絵に仕上げ、それをまた写真に撮って画集に仕立てている人がいた。「あまり絵を描いたことがないんだなあ。数枚描いただけで飽きちゃうだろうに」とガハクが言う。内側を通って来た風景はもっと、面白いものなんだ。(K)



2020年11月4日水曜日

薪拾い

「ちょっと遠過ぎたな。もっと近くでも拾えるのにね。でも集めちゃったから仕方なく持って降りて来た」と言う。山裾にだいぶ薪が溜まったようだから、雨が降る前に車でアトリエに運ぼう。

山を降りる時に、後ろ足を持ち上げて蹴り出すようにすると、腰が前に出ざる得なくて、スッと背中も伸びて良い姿勢になるそうだ。「でも最初は慣れなくて脚が攣りそうになったよ」と言うので、どっちの脚?と聞いたら、両足とも攣りかけただと!体のバランスも筋力も足の裏の感覚から始まるんだな。木の根っこのようなものだ。

「落ち葉を踏む音が響くようになった」という山散歩、今日は晴れたり曇ったり。(K)



2020年11月3日火曜日

内なる人

今日は暖かかったので、庭の工房の土間に回転椅子を置いて、ガハクの床屋をやった。退院してから2回目だ。 頭頂部の髪が元気よく立ち上がって来たので、ヘアスタイルを考えながらカットするのが楽しかった。つむじにびっしり生え出している産毛に驚いたのは春の頃だけど、それがだんだん伸びて来て、今は部分的にピンと跳ねている。諦めていたところにも変化が起きている。以前にも増して元気になった。

今朝は山道を80回も飛び込み打ちをしながら登ったそうだ。坂道を跳躍しながらの打突は相当な運動量なのだが、「僕はガハクを応援しているんだよ。応援している僕もガハクだけど、応えているのもガハクだ」と言う。

そう言われて思い出した。救急車を呼ぶ直前、ガハクが苦しい呼吸の中で声に出して自分を励ましていた。自分を励ますもう一人の人がいる。内なる人が覚醒すると、こういう人が生まれるんだ。(K)






2020年11月2日月曜日

埃を取り除いて出て来るもの

古い絵を引っ張り出したら、ひどく埃が被っていたので布で拭いたそうだ。拭いたら綺麗になるはずだと思って。そしたら、ぜんぜん綺麗にならない。まだぼんやりしているし、色もくすんで見える。尚しっかり拭きながら、ガハクは気が付いた。

「埃やカビや色の劣化もあるのだろうけど、僕はすっかり変わったんだなあと思ったよ。これも描き直さなきゃ」

絨毯の色が鮮やかになっているから、ここから描き始めたのが分かった。この喜びのシーンのインパクトはそのままにして、もっとくっきりとはっきり現れて来るものがあるはずなんだ。(K)



2020年11月1日日曜日

トワンの場所

「今日はトワンの命日だねえ。いい天気だ」今朝起きて来てのガハクの第一声はこれだった。

山散歩から帰って来たガハクが紅茶を二人分入れながら、「トワンはトワンの場所に戻って行ったんだよ」と唐突に言う。すぐに「トワンの場所ってどこ?」と聞き返したら、「トワンがいた場所だよ」と言う。そこは トワンの故郷なのか、トワンにふさわしい場所のことか、トワンがトワンに戻るという観念的な意味で言ったのかさっぱり分からなかったが、後でこの写真を見たら、そうか、、、と静かに納得した。

ビデオニュースの今週の話題は映画だった。宮代真司氏の解説の『鬼滅の刃』に聞き入った。鬼に取り憑かれて鬼と化した元人間 VS 剣士集団 というストーリー。正に現実に起こっているこの世の内的世界をスペクタクルに描いているらしい。

自分の中に鬼が住む苦しさは身につまされる。挫けそうになる度に揺さぶり助け起こしてくれる人がいればこそだ。価値観の違いがぶつかった時、ただ一言「それがどうした!」と言い放つ勇気を奮い起こすのは、幼いときに植え付けられた無垢だ。(K)



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