久しぶりにガハクが書いている。新しい年。2022年の今日はもう3日の月曜日。2020年の冬に僕が重症肺炎で入院してから二人で交代で書いていたものをKだけが記述していた。
去年の30日の午後、いつも二人で行く裏山の頂点に立った時、彼女がうづくまり動けなくなった。僕一人ではとうてい運べず救急車を呼んだ。救急隊の他に山岳救助隊まで来て彼女を運んだ。救急車の中では寒い寒いと訴えながら握った手に気づいたのか「あなたはどこにいるの?」ボクはここにいるよ大丈夫だよと答える。頭を振りながら宙を見るようにして「頭がぼんやりしてよくわからない」
倒れたのが午後3時。5時病院に入り緊急手術。終わったのが翌日の午前5時過ぎ。案内されて医師やナースに囲まれ管やコードをいっぱい着けたKを見せられた。閉じた瞼と濡れた顎、全体がアルミニュウムでできたような顔だった。
壁には一面に計器類が張り巡らされていて波形や数字が次々と忙しく動いている。中には見慣れた数字もある。2年前の僕も見ていたものだ。
しかしそんな中で担当医が今は安定しているように見えるがいつ発作が起きてもおかしくない、最悪の場合は植物状態もありうるという言葉が恐ろしい。よく理解できない。シーツの上から足に触り、彼女の頬に手で触れて「キョウコがんばってねキョウコしっかりしてねボクがいるよトワンもついてるよ」と言うのが精一杯だった。
寝台から離れて元の待機室までもどった。何も思いつかない。考えるということが苦痛だった。手が震えた。要するに怯えていたのだ。何に?彼女が死ぬことによって俺が孤独になることが。二人の生活がこれから新しく始まるとさえ思っていた瞬間に、終わるのか、、
タクシーでの帰路雪が降って来た。アガノの道も真っ白に変わっていた。持ち帰り品の詰まった大きな青いビニール袋を家まで運ぶ道も白い。庭も玄関前も白い。家の中に袋を下ろして中を開けた時山に履いて行った彼女の靴がその中にないのを思い出した。付き添いの看護師が入院用の私物として持って行ったのだった。すぐ死ぬ人間に日常用の靴は必要ないだろう。そうだよね、すぐ死ぬと決まった訳じゃない。
2021年12月31日→2022年1月1日→2日と過ぎてだいぶ気持ちも落ち着いて来た。病院からの連絡は緊急でなければなし。順調であればなし、あれば悪い知らせ。ないことを願う。安心していよう。
料理もずいぶんやってなかった。やればできる子だからね俺は(笑)
(ガハク)
(ガハク)