2021年1月9日土曜日

後ろの木

 この女の人の後ろの木がかっこよくなっている。いつの間に描いたの?と聞いたら、「どの木も描き変えているよ」と言う。そう思って絵の中の森に生えている木を一々眺めた。確かに、木がみんな違う。ガハクは毎日山の中を歩き回っているうちに、木の色や形だけじゃなく、内部にぎゅっと圧縮されている生命力の強弱まで透視している風だ。

知識が役に立たなくなる時が来て、新しい目が開かれる。そこまで辿り着いたようだ。(K)


 

2021年1月8日金曜日

蘇った意識

 畑を片付けたら、彫刻が前面に出て来た。久しぶりの眺めだ。ここに来たばかりの頃はこうだったんだ。それが、だんだん周りにいろんなものが立ち並び、いつの間にか彫刻が隠れてしまっていたのだった。

ここでの30年間の孤独も、ガハクが生還してくれたおかげで意味がすっかり変わった。今は嬉しくて楽しくて仕方がない。これらの彫刻をうちの庭に移す手順を考えながら、毎日ゆっくりじりじりと片付けている。(K)


 

2021年1月7日木曜日

赤い空

 画室のドアを開けたら、ガハクは真っ赤な絵に向かっていた。画面がライトで反射して何を描いているのかすぐには分からなかった。人の顔だろうと思って近づいて、驚いた。真っ赤な空を馬が駆けてゆく。

「1日ずっと考えていたんだ、どうしようかと思ってさ」青が赤に塗り替えられるまで何がガハクにあったのか、、、ずいぶんダイナミックな転換だ。

朝私も一緒にパンを仕込んだ。あれからガハクは山に登ったんだ。午後に天使がやって来てピザを降らせてくれた。イタリアンクワトロなんとかピッザで、2種類のチーズがたっぷり載っている。う〜ん、どれも意識に働きかけるいい香りいい風いい味だ。いいものに触れると人は変われる。変わりたくなる。

私はと言うと、1日ずっと畑の片付けをしていた。腐った杭も、新たに打ち込んだ杭も、次々と揺さぶっては引っこ抜いて行った。横に渡した板を打ちつけた釘はとうの昔に朽ち落ちて、今は荷造りヒモで結えてある。どんどんナイフで切ってゆく。猿よけネットもハサミでジョキジョキ切っては丸めた。

 すっかり更地になった荒野に昔彫った御影石のモニュメントが並ぶ。清々しい眺めだった。ここに来たばかりの頃の意識が蘇って来る。こういうことをしたかったんだ。ありがたいことに再び元気になれた、また立ち上がれた。これから二人とも生き直せるとは、奇跡だ。(K)



 

2021年1月6日水曜日

あの頃彫ろうとした形

今朝も彫刻を運び込んだ。ガハクと二人でなら、どのくらいのものをどのようなやり方で動かせるか、だいたい分かっている。気合を入れて、ケガをせぬよう、指を挟まぬよう、慎重にそっと置いた。

大理石を彫り始めたばかりの頃のものは初々しい。細部までやり切れずに途中で放棄されてはいるが、ノミ痕が可愛らしい。この優しさを壊さずに続きを彫ろう。今なら、あの頃彫ろうとしたことが彫れるだろう。

ここは、鬼が騒ぐ荒野からやっと解放されて辿り着いた岸辺だ。 方舟の窓から柔らかな冬至開けの日差しが入ってくる。(K)


 

2021年1月5日火曜日

色の発見

タルコフスキーの『 アンドレ・ルブリョフ』の最後の方をガハクはまた観たという。ルブリョフが描いたイコン壁画を丁寧に映し出しているシーンがしばらく続く。3時間3分の映画の中で、そこだけがカラーなんだ。 

「なんでだろうね?」と切り出したガハクは、昔の絵の方が今よりずっと魅力的な理由を知りたがっている。「あの鐘だって、ほんとに秘伝なんてあったのだろうか?」と、続けて言う。何も教わらなかったはずの次男坊の若者が遂に梵鐘の鋳造に成功しやり遂げたことを思うと、彼がずっと親父や兄貴の仕事の手伝いをしながら覚えたことだけがあったのであって、「元々秘伝なんか無かったんじゃないか」とガハクは言い出した。

やりながら思い付くこと、発見の連続がそこにはあった。それを支えるのは、追い込まれた者の両肩にずっしりとのしかかる重みに耐えて前進するシンプルな熱意だ。死んだものを生き返らせるのは個人のインスピレーションで、熱意に降りた新しい発見とその理解なのだという結論に達した。

水が青く広がって行く。歌い手の衣が風に揺れ始めた。マリオネットを操る男の顔が魅力的だ。人が動き出した。(K)


 

2021年1月4日月曜日

陽だまり

冬至から2週間、もう日差しが強くなった。日陰の霜はいつまでも融けないけれど、日が当たるところはピカピカで眩しい。この明暗が冬の寂しさと美しさなんだなあ。

トワンが死んだ時はいつまでも淋しさが続いた。もしガハクも死んでいたら、、、なんて想像は決してしない。事実はこのような形で与えられたのだから、今の状態を微細に見つめて理解しようとしている。

だからだろう、毎日アトリエの片付けに追われていても悲惨さや鬱屈した気持ちに囚われることは避けられている。ガハクが生きて還って来たことを思うと、少しぐらいの過酷な労働なんかヘッチャラなんだ。一つ一つを毎日続けて行けばいつかは達成される。そのうちそれからも解放される。そして新しい場所で始まるストーリーもすでに浮かんでいる。

今まで人の命ばかりはどうしようもないと思っていた。老いに抵抗できるはずはないと多くの人が言う。しかし、とか、それでも、とかの前置き無しに、全く違う場所があることに気が付いたんだ。愛を作るのは持続的な仕事の上にやっとチラチラとその輝きを見せ始めるということを知った。タルコフスキーのおかげかもしれない。他にも道を示してくれた人たちがいる。

芸術と信仰が何の関わりもないようになったかのようなこんな冷たい時代にも 陽だまりはある。(K)


 

2021年1月3日日曜日

勇敢な犬

 トワンの様子が変わった。ギロッと何かを睨み付けている。闘争心で背中の毛が波打っている。こういう風に描かれたのは初めてだ。

霊的な領域に住んでいるからって、ぼんやりした姿で現れるとは限らない。存在は意識によるし、そこから出ているスフィアに包まれて他より輝いて見えることだってあるんだ。

『森の生活』を書いたソーローも同じようなことに気が付いていた。保線作業の為に線路を歩いて行く男たちを遠くから眺めていると、アイルランドの出身の人たちだけが明るく光って見えたと記述している。(何でアイルランド人と分かるのかは書いてないが、おそらく服装とか姿に特徴があるのだろう)彼らの中にある何かを察知していたようだ。信仰心の根っこみたいなものか。

トワンが今年うちにやって来るというガハクの予言は、絵の中では実現し始めた。あんなに寂しがって、山の中の茂みから飛び出して来るのを期待しながら歩いていたガハクが、こんなトワンを描くなんて、、、ちょっと今夜は驚いた。何かが動き出した。(K)


 

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