2020年5月23日土曜日

ガハク生還の記念樹

裏門のところに出て来た松をずっと観察して来たが、どうも中庭にあるでっかいアメリカ松の子孫のようだ。大きくなったら手に負えないので切ることにした。背丈ほどの小さな松だったけど、無くなってみたら苺畑も菜園もうんと明るくなった。

塀際に自生しているフサザクラも伐採することにした。夏になると(線路の信号機が見え難いからと、)西武鉄道の作業員が刈り込みにやって来るくらい邪魔な木だったのだ。久しぶりのチェーンソーだったが、さすが機械力、あっという間に切り倒せた。

リンゴの木に接近し過ぎていたライラックは移植。引っ越し先の穴をガハクが掘っている間に、私は根っこの周りを掘る作業をした。このところの雨で地面はよく湿っている。きっと根付いてくれるだろう。このライラックは、皇室の美智子さんの何かの記念に自治体から配られた木なのだそうだ。(近所の80の婆様が話してくれた。)そうとは知らずに何度も枯らしたり切り倒したりして来たけれど、丈夫な木で根っこからまた芽が出て広がって、これで4本目だ。

 このライラックはガハク生還の記念樹としよう。(K)


2020年5月22日金曜日

筋肉痛と心配症

順調に回復して来たガハクだが、今朝は深く息もできないほど背中が痛いと、胸を押さえながら起きて来た。昨夜調子に乗って腕立て伏せを15回もやったのがいけなかった。肩甲骨の周りを指圧したりマッサージしたり、、、やっと少し楽になったところで朝食。

鎮痛剤が効いて来たので、山に一緒に竹を取りに出かけた。胡瓜とトマトの支柱にするためだ。

ガハクは毎日山に出かけているが、私は冬の薪拾い以来だ。久しぶりに登る林道はブルドーザーで均されていて歩きやすかった。ガハクの足取りは軽くて速い。胸と背中の筋肉をほぐす為にはもっとゆっくり歩いた方がいいよ。そう、いっしょに話をしながら歩くと楽しいじゃん♪

竹が林道のずっと奥に勝手に生い茂っている。 種が飛んで来たんだな。そのうち道を塞ぐほど増えるぞ。ゴリゴリゴリ、、、チョンチョンチョキン、、、ガハクの鋸、私の剪定鋏が白い人の谷に響き渡った。

 「これから30年経ってさ、何事もなかったねってことになるよ。あんなに心配していたけど、楽しくやって来れたねって。2回倒れてもさ」とガハクは未来を予見する。
え、2回も!ま、何度でも戦いましょう。

午後も一人でまた山散歩に出かけたそうだ。山の中には前には見えなかった美しい色や空気や味わいや匂いがいっぱいあるのだそうだ。ガハクが描いている白い馬の胸が優しく強いように、夕食の時には腹式呼吸でなら深く息ができるようになっていた。鍛えることと回復することが凌ぎを削りながら互いを支え励まし合って前進している。動かないものは固くなって生きているようですでに死んでいる。(K)


2020年5月21日木曜日

思うがままに行くが良い

これを見てガハクが言う。「好きなように彫ってるねえ。これは相当良くなるぞ。もっと何年もかかるかもしれないけど『思うがままに行くが良い』」ロシアの詩人の言葉を添えて二階に上がって行った。ガハクは夜も絵を描くようになった。体力が戻ったと同時に、気力も満ちて来たようだ。

思うがままに行くが良い 信じるままに
情熱などあざ笑え 
彼らの言う『情熱』は心の活力でしかない 
魂と外界の衝突でしかない

大切なのは自分を信じること
子供のように無力になること
無力こそ偉大なのだ
力に価値はない
人は無力かつ無防備に生まれ
死ぬ時は乾いて固まる

木もそうだ
しなやかに育ち 
乾いて硬直して枯れてゆく

硬直と力は隣り合わせだ
柔軟さと無力は生命の源
硬直したものに勝利はない
(タルコフスキーが大好きだった19世紀ロシアの象徴派詩人フョードル・チュッチェフの作。映画『ストーカー』の中にも使われている)

 翼を大きくした。尾羽を後ろにそらせた。やわらかな袖にしている。手と胸をもっとやわらかくしたい。(K)


2020年5月20日水曜日

赤い方舟

『月夜の方舟』を白く描いたガハクが、この『Mの家族』の方舟は赤く塗ったのは何故か?
本人に聞いてみたら、「鉄みたいな感じにしたかったんだ。他の色との関係で。空の色とかさ」というのが今の雰囲気らしい。唐突なものが小さく目立たずいつまでもそこにあるというのは素敵じゃないか。

そこから皆が生まれて来たのに、その存在について何とも思わないのが自由への道。親離れの始まり。故郷からの出奔。だが、忘れてしまっては自分が今ここにいる必然が全く失われてしまう。そのくせ出自と純粋の両方を欲しがる。手に入れたものがコピーであることも忘れて自分の無垢を言い立てる。だったら最初にいた場所に戻るか、ずっとそこにいれば良かったんだ。自由なんか望まずに。

赤い方舟は、『峠の地蔵堂』に繋がる。中世のヨーロッパの医者が残した書物に、霊視された2つの道について書き留められているそうだ。それを読んだユングが、自分が見た夢とあまりにもそっくりだったので驚いたと。私はそう書いているユングの本の方を読んだのだけれど。
 (二つの道が分岐して、川を挟んで再び合うことのない道を人々は歩いていく。川の向こう側は工場のような箱状の建造物がひしめき合っている。こちら側は森を抜ける小道が続いている。その先には小さな赤い建物が見えたそうだ。)

今日も霧雨。サヤエンドウが今まで見たこともないくらい大きくなった。やっとアトリエの畑が肥沃になったということだ。猪ブルドーザーが去年の夏から秋にかけて散々掘り返してくれたおかげだ。これも「悪いことさえも善いことに撓められる」現象の一つか。(K)


2020年5月19日火曜日

霧雨の畑

カボチャには雌花と雄花がある。放ったらかしでも毎年立派なカボチャが採れるから、きっとカナブンか蜜蜂あたりが受粉してくれているのだろう。カナブンは花びらが大好きで、バラの花に潜ってもりもり食べている姿をよく見かけるし、カボチャの花に入って食い散らかしてもいる。それでも実が付くから、カナブンだって役に立っているんだ。それが花と虫の関係だ。

 そう言えば去年、友人宅の庭のカボチャは全く実を付けなかったそうだ。都会では虫が少ないということもあるのかな?検索してみたら、人工授粉する方法が出ていた。朝の9時までの花が乾かぬうちに、咲いたばかりの雌花に同じく開花したばかりの雄花の花粉をくっ付ければいいらしい。

カボチャはこれからずんずん繁茂して、徐々にジャガイモと交代する。芋をすっかり収穫し終わった頃から、カボチャの実が大きくなるという仕組みだ。このやり方をもう10年くらい続けている。我ながら良いアイデアだ。植え付け場所も右と左で二分して、連作障害が出ないように工夫している。ほんとは、三つか四つに分けてゆっくり土を休ませた方がいいらしいけれど、猪と猿のせいで畑の広さが限られてしまった。ネットの中で効率的に回している。

今日はずっと柔らかな白いカーテンのような霧雨が降り続いていたので、何も採らずに眺めていただけの休農日だった。(K)


2020年5月18日月曜日

初発刀

ここ1週間、片膝を立てた座位から立ち上がる練習を毎日やってはいたけれど、果たして刀を持ってやれるかどうか、、、血ぶりしながら立ち上がるのだから、今のガハクにはかなりキツい動きだ。カメラを構えて静かに連写していたが、立ち上がった時は思わず拍手をした。

難易度の高い技となると大事な場面で抜刀が遅れてしまって、「あゝ間に合わないよ。。。これじゃ斬られてしまう、、、」と言いつつ苦笑いしている。

戦う為にやっているのだと思っていたが、これは挑戦なのだと分かった。自分自身を励まし跳躍させているのだ。飛べた時は愉快そうに笑っている。 鳥が歌うように描きたいというガハク、居合も翼になった。(K)


2020年5月17日日曜日

スカートと尻尾

スカートの模様が変わっていた。北欧風だったのが、この土地の風土から出て来たような色彩になった。女の顔も変わった。他所の文化に染まって帰って来たような人だったのだけど、顔が凛々しくなっている。

トワンの尻尾、よく描けてるなあ。ふわっと浮かんで揺れていた尻尾が、中空で止まった。近づいて来る者を警戒している風だ。何を見てるの?トワン♥

あゝそうか!赤ん坊の揺り籠を警護しているんだね。(K)


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