久しぶりにエヴァの木をしげしげと見た。あの時以来いつもちらと視線を向けはしても余り注意せずに通り過ぎた。光が強くなって来たせいもあるのだろう。木がくっきりと浮かび上がる。上へと伸びる力強さとその肌合いも冬を抜けつつあるこの日に復活したかのようだ。この木をエヴァと名づけ左の木をアダムと名づけたのもKとガハクの象徴として感じたからだった。しかしそれをKyokoに伝えたことはない。
悲哀が心の底に鉛でできた錘のように据えられて体全体から蠢くような勢いが出てこない。どうしたらこの苦しい状態から抜け出すことができるか。
悲哀を乗り越えるのではなく解消しようとするのでもなく悲哀を現実のものとして共に生きる。通奏低音のように常に聞こえている空間の中で。それでしか生きていくことはできないのじゃないか。そんな風にしか今は考えられないでいる。
Kとガハク