2019年11月30日土曜日

袴の襞

背中からだんだん腰の方へ彫り進んで、はたと困った。ついこの間、袴の襞の取り方に感心して眺めていたはずなのに、もう忘れてしまっている。どうだったっけ?と、家に電話したくなったが、我慢した。ガハクもきっと絵を描いている最中なんだからと、すっと横へ飛んで肘の方へ彫り進むことにした。

家に帰ってすぐに壁に吊るしてある袴を仔細に点検。やっぱりそうだった。中央の襞は左前に少し重なるように縫い合わせてある。着物の襟元と同じだ。

彫刻なのだから服や着物も勝手に作ればいいというのでもない。気になるときは何かそこには大事なものが隠されているんだ。背中に羽が生えていても、帯と袴はきしっと決めたい。(K)


2019年11月29日金曜日

季節感

アトリエの隅のキャンバスの束にかけてあるシーツをめくって中を見てみた。出来の悪いものばかりだ。どうしてくれようと思った。このまま放っておくのは忍びない。描き直せそうと出して並べ始めたら際限がない。こういうのがあるのをしっかり記憶しておく事にしてまた元どおりに積み直した。
絵を描く時「季節」を考えませんか、と聞かれたことがある。その時個展会場に並んでいた絵は黒い色しか使ってなく揶揄に過ぎなかったかもしれないが、記憶に残った。
一枚の絵を長く描いていると季節を跨いで一回りしたりする。咲いたリンゴの花の絵を冬に仕上げるというのもおかしいか。(画)

2019年11月27日水曜日

背中の一本の光

背中を彫るために投光器を柱に取り付けて照らしてみたら、思いがけず集中できた。気を良くして(電気代も気にせず)スポットライトも点灯。どこを彫るにも手元が明るくてやり易かった。

以前『ペルセポネー』を彫った時、毎晩スポットライトで照らしていたのを思い出した。最古代エジプトの彫刻が美しいのは、太陽の光の角度のせいだと思えたからだけど、もっと大きな理由は、疲れた体とぼんやりとした意識を何とかしたかった、そして前に進むキッカケを探っていたのだった。

今夜は背中を彫るのが楽しかった。やっと背後で繋がった。背中の真ん中にすーっと伸びる光の筋に護られて立つ。(K)


水は止まらない

トワンの山道を登った。久しぶりだ。この前の台風の大雨の痕が山道にくっきりと残っていた。桜の木の下の岩が流水で根元まですっかり剥き出しになり崖のようになっている。道から見上げるような具合に切り立って見えるのが恐ろしいくらいだ。いつ崩れてもおかしくない。ここには来ない方がいいかな。トワンもそう言っているかもしれない。このように周りの景色も変化して行くのだ。
川はとどまることを知らない流れる水を持つからこそ川なのだ。(画)


2019年11月26日火曜日

肩を撫でて行く雲

もうほとんど出来ているように見える。が、今まではここから先に踏み込めなかったんだ。この先に行ければ内部にいっぱい温かいものを宿すことができる。胸元の雲が肩の山を撫でながら過ぎて行く。夜の8時を過ぎたらすーっとconcentrationの透明な意識が降りて来て、左脇の筋肉が楽になった。時間の奴隷となるか、自らを奴隷とするかで違って来る。(K)





2019年11月25日月曜日

気を消す

居合で難しいなあと感じている事の一つに「気を消す」というのがある。これから何をするかを悟らせないという事が技には必要なのだ。相手の殺気を感じその先をとるのが居合だから相手にこちらの「気」を感じさせてはいけないという訳だろう。でもこれが中々難しい。速さと正確さを両立させようと気持ちを集中させればさせるほど自分の表情にも体の強張りにもつい出てしまう。だからといって行為をする時の気持ちがなければ刀を使った格好だけのものになってしまうに違いない。実際そんな感じの居合を見ることがある。だから「気」がありながらその「気を消す」。
絵でも同じことが言えそうだ。描く意図や意志や意欲を絵の表面から消したい。(画)

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