好き勝手に描くというのは簡単なようでいて実に難しい。自己の意識としては過去の体験、特に修行時代ともいえる過去の色々な失敗や発見が今の「好き勝手さ」を許さない。個性や独創性や歴史的論理性や問題提起や…いわばしっかりした価値を実現せずにはおれないようにさせる。これを打ち破るには、世間は俺の絵などどうとも思ってやしないと気づくだけで充分なのだが、それこそ自意識が一番抵抗をみせる所だから始末が悪い。
どこか別の場所、今まで思ってもみなかった所へ行きたい。そこがどんな場所だとしても私は引き受けます。(画)
2018年6月16日土曜日
2018年6月15日金曜日
美しい人
目が育つのは手が育ってからなのだろうか?彫れないうちは見えて来ないということのようだ。天女の首の角度と肩口を直したら、スッキリした。男の顔は緊迫感が出ていい顔になったけれど、天女の顔の方が遅れている。優しく強い輪郭線を引かなければ。(K)
2018年6月14日木曜日
色彩感覚
始めは「いい色」というのがどこにあるかを必死で探したものだ。それなりに分かって来たと思うと今度は「自分らしい色」というのを決めたくなる。なぜならそいつを「売り」にしようと思うからだ。でも本当はいつの間にか「縛られ」ているのに気づくのだ。
新しい色にたどり着けたら何て素敵なことだろう。(画)
新しい色にたどり着けたら何て素敵なことだろう。(画)
2018年6月13日水曜日
慧眼
何でここまでしか彫らなかったのか、こんな所で止まってしまったのかと自問する。早く仕上げたくて焦っていたのか、鈍い形のまま砥石をかけたりしている。とにかく今は見えるようになったのだからゆっくり彫り直そう。時間を細切れにして売っていることの不幸から開放されよう。顔に続いて、体の方にも美しい光がさすようにと、胸から腰にかけてのねじれたラインを探りながら彫り直し始めた。(K)
2018年6月12日火曜日
ガジュマルの木
30号の山の絵を夏休みに描いていたのを後で知った。画面の真ん中に田舎に行けばどこにでもあるような杉山が、ウルトラマリンを中心に青の変化で描いてあった。そんな山はアガノ村でもあちこちにある。今思えばあの絵は山の形を抽象的に捉えようという試みだったのかもしれない。
そんな背後でガジュマルの木は、絵を描く人をずっと見守っていたのだ。(画)
そんな背後でガジュマルの木は、絵を描く人をずっと見守っていたのだ。(画)
2018年6月11日月曜日
生還率
大事なことは勝つことよりも生還することだ。敵陣に突っ込んで爆散しちゃ何にもならない。たとえチームが勝利したところで、そんなの勇気でもなんでもない。
自己のニュアンスに従うことだ。微細なものを見落とすな。神が宿るのは小さく優しく細やかな場所。そういうところで傷はゆっくり癒される。道はやがて二つに分かれ、左の道は大きな工場やビルが立ち並ぶ街へ通じている。右の道は小高い丘へと続いていて遠くに小さなお堂が見える。間を隔てる川はどんどん深い谷になる。そういう風景を霊視したのは中世の医者。ユングも同じような夢を見たが、工場じゃなくて病院街だったそうな。
今夜は瀕死の男の顔を包む手をほっそりさせた。目も彫ったら少し生き還ったようだ。(K)
自己のニュアンスに従うことだ。微細なものを見落とすな。神が宿るのは小さく優しく細やかな場所。そういうところで傷はゆっくり癒される。道はやがて二つに分かれ、左の道は大きな工場やビルが立ち並ぶ街へ通じている。右の道は小高い丘へと続いていて遠くに小さなお堂が見える。間を隔てる川はどんどん深い谷になる。そういう風景を霊視したのは中世の医者。ユングも同じような夢を見たが、工場じゃなくて病院街だったそうな。
今夜は瀕死の男の顔を包む手をほっそりさせた。目も彫ったら少し生き還ったようだ。(K)
2018年6月10日日曜日
思い出したこと
またSの顔の続きに戻った。
色をずっと単純にしたい。一旦潰してやり直す。形も色も今初めて気づいたというような新鮮な息遣いを表現しなければいけない。
Sの思い出。野球の試合でバッターボックスに立ったS、白いタオルを頭に巻きバットを構えてギョロ目でピッチャーを見つめる。ガニ股に開いた脚。あまり打てそうになかった。
禅坊主が師匠に海の水を飲み干せと言われて困った挙句、目の前の茶碗に入った湯をぐっと飲んだら、それだと言われたと。つまらん話だと思ったが彼は面白いと感心して見せた。
絵は本当に上手かった。絵に対する真摯な姿勢と努力による手堅い技術を持っていた。今ならもっと適当に描いた方がいいと俺は思うけどな。(画)
色をずっと単純にしたい。一旦潰してやり直す。形も色も今初めて気づいたというような新鮮な息遣いを表現しなければいけない。
Sの思い出。野球の試合でバッターボックスに立ったS、白いタオルを頭に巻きバットを構えてギョロ目でピッチャーを見つめる。ガニ股に開いた脚。あまり打てそうになかった。
禅坊主が師匠に海の水を飲み干せと言われて困った挙句、目の前の茶碗に入った湯をぐっと飲んだら、それだと言われたと。つまらん話だと思ったが彼は面白いと感心して見せた。
絵は本当に上手かった。絵に対する真摯な姿勢と努力による手堅い技術を持っていた。今ならもっと適当に描いた方がいいと俺は思うけどな。(画)
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