2019年12月7日土曜日

ノアの方舟

人生が再度やり直せるものならばそうしたいと思わないでもない。しかし赤ん坊からやり直すのはいやだ。だってあの子供時代そして青年期のものすごく退屈な時間を延々と過ごす事になるんだよ。いやどこかの時点からでいいと?じゃそこはどこがいい…?数十年前のあの時か?いや何年か前の?それとも…と随分迷って決められないよきっと。
今までの一切の記憶はなしでの再始動ならばって?…いやそれは何だか結局今とほとんど変わらない人生になるのが精々で、逆にもっとずっと悪い運命に落ち込みそうな気さえする。
きっと人生を新しく始める人間には善へのよほどの強い意志がなければいけないってことなのだ。
ノアの方舟はそれを示唆しているんだよ。(画)

2019年12月6日金曜日

美しい話をしよう

明け方の夢はいたってシンプルだった。丘を登っている自転車放浪者が野犬の群れに襲われているのが遠目に見えたので、慌ててガハクに「救急車呼ぼうか?」と話しかけたところで目が覚めた。まだガハクはぐうぐう寝ているから、あゝこれは夢かと気が付いた。

海外で善き活動をしている人が銃で殺されたというニュースがこの夢に反映している。暗澹たる思いにさせようとして霊達が私の記憶の中にある人物や風景をピックアップしてこしらえたショートムービーは小さな箱庭の出来事だった。夢の主人公になった自転車おじさんは、実際にこの辺りをいつも行ったり来たりしている実在する人物だ。どこで寝泊りしているのか不明。パンを買って食べているのを見かけるから、お金はあるのだろう。誰かと話しているのを見たことはない。アトリエに行く時によくすれ違うから、向こうも私の顔を知っている。生き方もいろいろだが、丈夫な体でいる限り彼はああやって過ごすのだろう。自分の運命を変えようとは思わないのかな?

人は意識が変わらなければ何も変わらない。まず内側から湧き起こる切羽詰まった意識の革命があって初めて動き出すんだ。(K)


2019年12月5日木曜日

絵を描かずには死んでしまう?

山に行くと未だにトワンの重みを感じる。でも数ヶ月前に比べれば今はずっと身軽だ。風景のどこにでもその姿を浮かべるのは容易なのに以前より悲哀の感情はかなり薄い。
画家とは絵を描くのが好きで、それが高じると取り憑かれたように描かずにはおれない人々のことを指す。僕はそういう人達のことを畏敬の念で眺める。自分がそうだからではなく、そうではないからだ。
だからこそ絵描きの指南書に「絵を描かずには死んでしまうと告白する君こそ画家になるべきだろう」とあるのを読んだ20代の若者の忸怩たる思いがその後40年以上ずっと錘のように身につきまとっていたのだった。
思えばずいぶん長いことぶら下げていたなぁ。(画)


2019年12月4日水曜日

服の中身

ほんとうに美しい人ならその人を包んでいる衣の襞さえも美しいだろう。そういうことを考えながら、誰も気が付かない後ろの下の方の柔らかな布の揺れ動く様を出そうと、平ノミで抉っては、荒砥で擦ったりしていた。

今夜は秩父夜祭りだから帰り道はさぞ車が多いだろうと思って国道に出たら、10台ほどに追い抜かれただけで大したことはなかった。マナーも良かった。私の自転車を大きく避けて通り過ぎて行く。オリオンを見上げて走る季節になった。(K)


2019年12月3日火曜日

絵の発見

絵を描きたいと思った人が色を発見したのではなく、絵の発明と色の発見はおそらく同時だったに違いない。素材の発見が表現を生んだのだ。表現への意志があり表現形式を求めたのではなく、焚き火の後の消し墨の色を見た古代人がそれで絵を描き始めたのだ。黄色い泥、焼けた窯跡に見つけた赤い色などは独自の絵の形式を可能にしていく。
表現に優先するものは意志ではなく愛だ。結婚の意志があり愛が生まれるのではなく、愛する人を見つけた時結合への意欲が起こるように。
一つの色一つの形一つのタッチから表現が生まれることだってあるのだ。愛は全てのものに優先する。(画)


2019年12月2日月曜日

無知の領域

柔軟体操はもう30年やっているけれど、体が柔らかいだけじゃダメなんだと気が付いてから筋トレを始めて早5年3ヶ月。それからは腰痛が出なくなった。

ガハクは今年の春から腕立て伏せを始めた。それから少しずついろいろ足して行って、とうとう居合もやり始めたから、急速に筋力が付いている。やるとなると本気度が違う。刀は最近ずっと二階の画室に置いてあって、寒くなると刀を振っているらしい。

これから未知の領域に踏み込む。だから精一杯の準備をしている。そういう気合いが彫刻の背中にも現れて来た。 (K)


2019年12月1日日曜日

林檎の樹の精霊

ゴッホの「花咲く林檎の樹」というのを画集で見た時から絵よりもその題名に妙に惹かれたままだった。実際に林檎の花を間近で見ることができたのは我が家の庭。土地に合わないのか死にかけた樹を妻が大変な労力をかけて世話したおかげで綺麗な花をつけ、実まで立派に成らせた。僕にとっては樹が再生したことよりも彼女の努力が実を結んだことの方に感動したのだった。(画)

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