2020年7月4日土曜日

覚醒させてくれる夢

ハアハアして苦しいはずなのに、退院してから毎日欠かさずリハビリをして重ねて来たガハクは、少しずつメニューを増やしている。これはもうリハビリじゃなくて、筋トレだね。
 今日は家から駅までの一本道を50メートルほど走ってみたと言う。軽快に足が動いたのが嬉しかったそうだ。回復するに従って、やってみたくなることが思い浮かぶ。苦しいことと楽しいことが、一つになって意識を鍛えて来た。

⇩字に透明感が増した。反転した文字は空間性が鮮明だ。夢の一文字が月のように浮かんでいる。(K)


2020年7月3日金曜日

猿がいますよ!

国道から離れて田舎道を走り出した辺りで、ハイカーに呼び止められた。周りに車も人もいなかったので、低速にしてその人の方へハンドルを切って近づいた。自転車に乗ったまま、
「どうしました?」と尋ねると、怯えた表情で今来た道を指差しながら、
「 猿がいますよ!」と、まるで猿に聞かれたら困るという風に小声で言うのだ。もう70に近いその老人は、手に胡桃がいっぱい付いた小枝を大事そうに抱えていた。低山歩きを楽しんでいるんだろうけれど、獣に会ったことはあまりないらしい。
「大丈夫です。いつもここを通って慣れてますから」と笑って答えた。
数十メートル走ったところで、道路脇の斜面で猿が2匹、木苺を摘んで食べていた。ポロポロと道にもオレンジ色の粒が転がっている。逃げもせず、一定の距離を保って生息する動物たち。彼らは人間とのソーシャルディスタンスを知っている。(K)

⇩ガハクの山散歩:雨をいっぱい吸い込んだ山が、余った水をこんなに綺麗にして吐き出す。これは飲める水だ。美味しい水だ。トワンなら口を直につけて飲むだろう。あの子は川の水が好きだったからね。


2020年7月2日木曜日

頭の形

ずっと以前に、あれはもう30年前か、、、アトリエのすぐ前の空き地でおじさん二人が鉄筋曲げの作業をしていたことがある。トンネル工事に使う部品を工作していたらしい。冬の寒い時期だったから、インスタントコーヒーを入れたマグカップを持って行ったら、それを飲みながら、おじさん二人が漫才のボケとツッコミ的な会話を始めた。
「石を彫るなんて大したもんだ。俺にも出来るかな?」
「お前なんかに出来るもんか。よく見てみろよ。頭の形が違うよ」と自分の後頭部をつるんと撫でて見せたのだ。その言葉を聞いた瞬間ドキッとした。彫刻家でもないのに、何でもない人のように見えるただの労働者が、頭の形を知っている。その時の空に響く声の広がりまでよく覚えている。

 頭の大きい小さいじゃなくて、頭の形というものがある。そこに何が詰まって閉じ込められて守られているか。そこから何が発散しているか。スフィアは香る。(K)


2020年7月1日水曜日

ベートーヴェンの髪

ふわっと空に向かってそよぐ明るい緑の頭髪を見て、「おゝ、ベートーヴェンみたいだ。いや、小澤征爾かな?」とガハクが言う。去年は長雨と猿とにやられて散々だったけれど、今年はしっかり実が付いたトウモロコシが採れそうだ。一年前の日々を思い起こすと、毎日が獣との戦いだったような記憶がある。ボロボロだったな、畑も私もあの頃は。

なんと美しい緑だろう。これこそ夏の色だ!

文句がいっぱい詰まっていた頭が、さっぱりと洗われたような気持ちだ。これからムンムンとする暑い日がやって来る。面白く過ごそうと思う。「思うがままに行くが良い」という声が、今日も空から降り注いでいた。(K)


2020年6月30日火曜日

文字の力

ガハクによれば、まだ字に力が足りないという。だから一文字ずつ彫り直している。読めればいいというものではないらしい。きっと言葉が立ち上がる為には、声か、文字に、気品か野生が必要なんだろうな。素朴さだけじゃ戦えない。

怪物はこの詩が作られた頃にすでにいたのだ。あの頃はまだ名がなかったけれど、病に倒れた瞬間からICUでの混濁した意識の中で、ずっと見せられていた者や、情景や、汚泥に満ちたシステム全体を ガハクは『怪物』と呼ぶようになった。

コロナウィルスのせいで引き篭もらざる得ない人たちの呻き声が聞こえる。抑圧は外からと内からと鬩ぎ合って、とうとう隔壁が吹っ飛んだ。
その時、山の洞穴にずっと隠れていた人たちが外に出て来て光に照らされる。長い間ずっと力と喜びを奪い取られていた人たちだ。虚業と実業がはっきり見分けられ入れ替わった瞬間だ。

もう2色刷りにはこだわらず1色で、エングレービングで刻まれた強く美しい線を追求するそうだ。スエデンボルグの周りにいた天使らは、言葉の意味ではなく、文字の空間を楽しみ喜んでいたそうだ。

だから、思いっきりやったらいいよ♪(K)


2020年6月29日月曜日

歌う小鳥たち

鶯が、飽きもせず同じフレーズを繰り返している。高い声でホーホケキョ、ホーホケキョ、ずっとイントロでその先をなかなか歌ってくれない。夕暮れになったから、そろそろ鳴き止むかと思ってじっと耳を澄ましながら石を彫っていると、キョ キョ キョ キョ キョーッと鶯の谷渡りで締め括った♪

3時間も彫り続けていると、だんだんぼんやりして来る。で、ソファに寄りかかって目を瞑る。私にとっては30分は一瞬だ。今日はガビチョウの声で起こされた。アトリエのすぐ近くで高らかに歌ってくれた。目覚まし時計よりも的確なタイミングで覚醒させてくれる。以前は、空耳というか幻聴のように電話のベルが鳴った。嫌なものが聞こえたり現れたりするんだろうから、むかし嫌な電話で怯えたり苦しんだりしていた経験が呼び覚まされたのだろう。

でも、今はそういう記憶はなんでもないつまらないこととして捨て去ったからか、もう電話の音も聞こえなくなって、ほんとうにそこで鳴いている小鳥の声で目が覚める。これも夢と呼ぶの?(K)

⇩今朝のガハクの散歩:石ゴロゴロの山の小道が、昨夜の雨のせいで、石の下を水が流れて小さなせせらぎを作っていたそうな。


2020年6月28日日曜日

脳の左右差

顔の右側を彫るときは斬り込むように鋭角的に彫る癖がある。その反対に、左側を彫るときは角度が甘くなって流れてしまう。どうしてもそうなってしまうのは何故かと考えているのに、また違う顔を彫ってもそうなることに少し前から気が付いていた。

原因は、目の歪みなのか?それとも、技法的な外側の理由なのか?脳から来ているのか?現象だけは目の前の石の形になって現れるから面白い。

でも、それが最近変わって来て、とうとうここまでガハクの顔を追求することが出来た。私の頭の左右差が治ったのかもしれない。彫刻は歪みを直すだけで美しくなる。

雨戸を閉めようとして外を見たら、大きな月が出ていた。雨の合間の月だ。半月だけど光が強くて鮮やかだった。久しぶりに見た月に感動している。(K)


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