2019年5月25日土曜日

レースの手袋

あの頃はまだ自信がなくてここまでしかやれなかったのだけれど、この片方の手にはレースの手袋を彫りたかったのを思い出した。まずはゴム手袋をはめたようなぬるっとした手の形を磨いて、それから、そのツルツルになった滑らかな表面にレース模様を尖った鑿で刻もうという計画だったのだ。

でも、これから先の途方もない時間を想像して躊躇した。

幸いにして世に見放された私は今その続きを彫っている。
「あの彫刻はきっと良くなるよ」とガハクが予言してくれている。(K)


2019年5月24日金曜日

銅版再開

銅版久しぶりにやろうと道具を調整しつつ彫ったりガリガリ削ったり磨いたりしていたら翌朝右肩がガチガチに凝ってしまった。朝布団の上で痛い右肩を左手で指圧しながら俺も67なんだよな、とぼんやり考えていた。
その後、妻の手厚い❤️介護のおかげで夜にはすっかり回復してまた仕事ができた。
しばらく手がけていないと一番忘れるのが刷りの感覚だ。インクの拭き取りとプレス圧の関係がしっくり来ない。それでも数枚刷ったら思い出せたけども。
僕が銅版画を始めた頃に比べるとネットで技術の情報をたくさん見ることができる。おかげで色々と分かったことがある。作家が10人いれば10通りの方法があるということだ。誰もが自分の方法しか知らない。それでいいんだろうけどね。(画)


2019年5月23日木曜日

エロスの3段階

足元の彫り直しにもう1週間もかかっている。だいぶ艶っぽくなって来たから、あともう少しだ。
ここまで来るのに、3度ほど方針を変えた。ぬるっとした感触→やわらかな陰影→明瞭な線の清楚さ。この三つはバラの花の中に全部揃っている。追い込んで、考え抜いて、開放した時にやっと最後に出て来る線の美しさだ。夜になって荒砥をかけてみたら、形が強くなったように思えたので、少しホッとして道具を置いた。(K)


2019年5月22日水曜日

鳥のとまる人

だいぶ前に描いた絵、今見ると描いていた時に意識していたことなどどうでもよくなる。というかそのいくつかは忘れてしまってもいる。「今夜の自分の絵が明日の朝には他人の絵になる」という格言を知っていますか?そんな急激なものではなくとも時間が経つと当時は気づかなかったことに気づくのは確かだ。
花はダメだけど鳥は可愛く描けている。タルコフスキーの映画に鳥が飛んできて少年の頭にとまるという場面があったな。あれに似ている。そして人物に何となく存在感の薄さがあるのはそれはそれでいい、この人物は死んだ親友だし、画家なんてものは大体そんなものだし。
この絵をツイッターのアカウントアイコンにしたらいいと言う人がいるのでそうしてみよう。全然最近やってないけど。(画)


2019年5月21日火曜日

軽妙に

花は軽い。鳥はさっと飛び立つ。「その時何を言おうかなどと考える必要はない」と書かれてもいる。粘つくものには悪いものが混じっている。それを取り除きながら彫っている。イメージが先行しないように、見えて来たらその形を石にストレートに移せるように、その瞬間を逃さないように、いい時間を用意する。(K)


2019年5月20日月曜日

より道

もう何年越しの課題になっていたのだろうこの絵も、今までで一番最初のイメージに近づいたものになっていると感じるのが不思議だ。長い間描き続けている絵はこれだけではない。むしろそういう絵が今だに溜まるばかりだ。描き始めのイメージが次第に変化していく絵が多い中でこの絵は例外のように思える。今まで寄り道したりよそ見をしてきたみたいだ。(画)

2019年5月19日日曜日

ふわっと布に包まれて

ガハクの助言に従って足元の形を彫り直している。ふわっと布で包まれたようにしたいのだ。 言われたようにやってみたら、どんどん色っぽくなっていく。脚のようにも見える。他人の言うこと、いや、ガハクの言うことは聞くもんだ、やってみる価値がある。自分の殻を破れるかもしれない。

今日はガハクの67の誕生日だった。ケーキを焼いて生クリームをたっぷり塗って、庭で摘んで来た苺を10個載せた。いつもこの日から採れ始める。夕方山に散歩に出たガハクは、てっぺん付近の野原でごろんと寝っ転がって空をしばらく眺めていたそうな。小鳥の声を間近で聞き、獣の足音を感じたと。たぶんイノシシだろうと言っていた。パンを焼き忘れそうになったくらいにのんびりとしたいい日だった、ぽっかり浮かぶ太陽と月に照らされて。(K)


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