2019年10月12日土曜日

腰が入る

右から見たらいい感じなのだが、左側から見ると腰が抜けたように何とも気に入らなかったんだ。石の色や模様がちょうどいい感じになるまでジリジリ削っては彫り、彫っては削りしながら、色と形がぴったりする場所まで突き進んで来た。そして今夜やっとまっすぐ立った。必然を受け止めるとはそんなに簡単じゃなかった。ずっと先まで、もっと探検せよということだ。「コルテスは船を焼いたんだよね」とガハクがいうので調べたら、16世紀のスペインには征服事業というのがあったのを知った。ベンチャー企業みたいだ。侵略と野望。そんなことから無関係に生きれないだろうか。探検は続く。腰を入れて挑む。(K)


2019年10月11日金曜日

絵に生きる

一枚の写真の記憶を元に描き始めたこの絵は僕にとっては大きな冒険だった。作品としてまとめられるか、描ききれるか、そもそも絵になるのか…などという心配を振り払って描き始めた。
今ではすっかりそういう危惧や恐れを持たないでも済むようになったのはこの絵自体のおかげだ。だからと言って何か確実なものが手に入ったとは思わない。むしろ絵はあちこちで崩壊しているとも思える。例えばこの3人の関係は?と訊かれても答えられない。
でもそれでも描き続けることができる。正に僕自身の生活がここにあるという証明なのだ。(画)



2019年10月10日木曜日

生まれたばかりのような顔

生まれたばかりのような顔をして目覚める人は幸いだ。夢を見ても見なくても起きた時から始まるんだ。酒はいっときの快楽、朝の光が濁ってしまう。どうして人は苦しい時は下を向いて歩くんだろう?暗い方に向かうんだろう?暇を持て余すと火を燃やすのだろう?そんなことを考えながら挨拶をしても応答してくれない人の闇について考えていた。眺めている風景と角度がまるで違うのだろうな。子供の視野は60度くらいなのだそうな。だから何かに夢中になると迷子にもなる。大人の迷子は誰も探しに来てはくれないから可哀想だ。独りのまま放っておかれる。芸術しかないんだ。美は天界の入り口。

やっと内なる人が彫れた。外の人に繋がる姿になった。そっと隠され守られているいと小さき者。(K)


2019年10月9日水曜日

「山から来た人」

何を描くべきか迷っていた頃、石を彫りたくなり小さな大理石の塊に向かった。ノミとハンマーは技術不足で使えないので手持ちの小さな電動工具を使って彫った。Kの大きな大理石像からテーマを借り形はアフリカ古代の面からヒントを得たつもりだったが、慣れない作業に難渋、挙句に真ん中で二つに割れてしまった。石の性質も知らない。
それでも白い大理石の次は黒い御影石だと思って同じ方法で彫り始めた。しかし大理石より数倍硬い。数時間かかってもほとんど形が変わらなかった。磨いて真っ黒にしたかった部分もあるのだが中途で挫折。彫刻家というものはホントに偉いもんだと思った。
絵の下の場所に置いてある。自分でもちょっと怖いので横を向かせたりw
閉じた唇と開いた唇葉っぱの唇、木の葉の髪と森の髪、単純な象徴だ。笑止。思い出。(画)


2019年10月8日火曜日

腹黒い者たち

変性せずに泥炭のまま大理石の中に残っている黒い粒からは汚泥の臭いがする。花崗岩を彫っている時に硫黄の臭いがするのも同じこと。石化できずに封じ込められたものは地球が変わって来た太古の名残だ。人の腹の中に潜む黒いもののことを考えた。鬱とはこの黒いものが成せる仕業。外から入って来たばい菌みたいなものじゃないかなと昼間ガハクが話していたのを思い出しながら、この子のお腹の黒い粒を削り取っていたら、だんだん形がしまって良くなって来た。腿の付け根の辺りの黒い縞模様もずんずん削った。黒いものが取り除けるのだったら、少しぐらい形が崩れても構わない。そんな気持ちになったのは、雨がトタン屋根を打ち始めたからだろう。外で焚き火をしていた鬱のジイさんもこの雨じゃ家に入ってしまっただろう。安心して仕事ができた。人の中に闇はある。闇の中に鬼は住む。黒いものが口から出るようになったら重症だ。下から出るんだったら正常だ。(K)


2019年10月7日月曜日

余剰

二、三割の人間が働いて残りの七、八割を食わせている、後者は余剰生産力としての価値を持っている、前者がそれを重荷と考えるのは間違いだと書いてあった。経済学の優生思想。
余剰。
画面の大きさに比べると隅の小さな部分に数時間もかけタッチを積み重ねるのはムダか?まぁムダとまでは言わないにしても効果は少ないかもしれない。というような考えを引きづってきた。絵を始めた頃から効果的で決定的な表現に純化するのがいい絵を描くコツだと思って来た。
「余剰(過剰)こそ美だ」という考えに出会って大きく道が開けた。余剰を如何に作り出すか。(画)


2019年10月6日日曜日

トワンの不在

トワンが死んで腐ってもうこの世にはいなくなったのだと認めてしまうと、風景に被せていた感情もなくなった。流れる雲、浮かぶ雲、赤く染まった夕焼け雲の、色や形そのままを眺めている。それを薄情とも思わない。そういう時期に来たのだろう。トワンと呼べば満たされていた意識にも変化が起きた。夜道を自転車で漕ぎ出す時いつも「トワン帰るよ」と声に出していたのを、昨夜は「主よ」と変えた。気持ちにしっくりとした。元々トワンとは、インドネシアで家の主人に呼びかける敬称なのだそうだから、これからはこれで行くか。

ねばつく感情ともおさらばだ。(K)



よく見られている記事