2020年8月15日土曜日

ゴルフボールと鹿

朝6時、二階のカーテンを開けたら、山が薄紫のベールに包まれていた。森から立ち昇る水蒸気がゆっくり広がろうとしている。暑くなる前に散歩に出たガハクが、帰って来るなり「今日は鹿に遭ったよ!」と報告してくれた。

山道に転がっていたゴルフボールを沢の方に向かってポンと蹴飛ばしたら、谷底にボールがコツンとぶつかる音がして、すぐにガサッと何かが動く音がしたそうだ。飛び出して来たのは鹿だった。斜面を慌てて逃げていく。少し離れたところで立ち止まって、ガハクの方をちょっと見ているから、「脅かしてごめんねって謝った。またさっと駆け上がって見えなくなった」角は無かったそうだ。トワンに似ていたとも。さぞ美しかっただろうなあ。

「あと一年したらまた犬を飼う。その犬はトワンなんだ」というガハクの言葉の真意がだんだん分かって来た。(K)


2020年8月14日金曜日

虚言

いつも本当のことを言うように努めていなければ、何とでも言い逃れるし、そのうち自分の身を守るためなら嘘も平気でつけるようになる。

「60過ぎたらわたくし嘘を平気で言えるようになったのよ。苦しい場を切り抜けるためなら幾らでも嘘をつけるわ。それでいいと思っているの」と親子ほど歳が離れた年上の友の言葉とその時の顔を思い出す。独りで生きて来て最後に辿り着いた知恵とでもいうような誇らしい顔だった。若い頃からそういう逞しさをで窮地を何度も切り抜けて来た人の寂しい結論は、もう取り返しがつかない。大事なことを話す口が、そこから出てくる言葉が、もう彼女にはなかった。最後に自由について議論した時にそれがはっきりと分かった。「私の自由はあなたの自由を束縛するものなの。だから私は独りで生きて来た」と彼女が言ったところで別れた。

今世界がようやく本当の自由は人権なのだと理解し始めている。Black Lives Matter そして香港。分断されていた世界が繋がり始めている。

版画室を覗いたら、上半身裸になってビュランを動かしていた。ピカピカに光った銅版に文字がくっきり浮かび上がっていた。今夜は熱帯夜だ。窓辺の扇風機がぶんぶん回っている。(K)


2020年8月13日木曜日

トワンの山

今朝は7時台にガハクは散歩に出た。ここは山の天辺。アガノ村の谷を跨いだ向こうに見えるのが顔振峠だ。10年前までは、ガハクは毎夕マウンテンバイクを漕いでここらの尾根に向かっていたのだった。今はこうやって毎朝エデンを抜けてプロメテウスの石のある峠まで歩いて登り、降りてくる。同じ道の野の草や木々に個性を見つけては喜んでいる。

「セザンヌはセントビクトアール山に登ったことがあったかなあ?」とガハクが言う。毎日同じ山を描き続けた彼も、その山に登ることはなかったみたいだ。広い庭にはキャンバスがかけられたイーゼルをあちこちに置いたままにしてあって、複数の絵を時間を決めて描いて回っていたらしい。紙と違って、麻布のキャンバスにオイルの絵具であればこそ出来ることだ。

何の変哲もないセントビクトアール山がセザンヌのおかげで有名になって、今や観光スポットになっている。アガノ村のこの山がそんなことにはなりませんように。でも、昨日もガハクは山の中で若い青年二人がカメラ機材を担いでいるのに出会ったそうだ。向こうの方が驚いて、「こんなところで人に会うなんて思っていなかったので驚きました」などと言っていたそうな。誰もが自分のフィールドのように思える山なんだな、トワンの山は。(K)


2020年8月12日水曜日

雷を聞きながら

今この上空にはでっかい入道雲が立ち昇っているんだろうなあ、、、あゝ白菜の苗のポットを軒下に入れてくれば良かった。おや、エアコンが休んでるぞ!外はだいぶ涼しくなって来たということだな。と、そんなことを思いながら、締め切った部屋で平ノミと砥石とヤスリを次々に持ち替えては辛抱強く瞼を削っていた。

新しい形の発見は、新しい彫り方を強いる。いつの間にか彫り易い方向にしか手が動いていないことに気が付く。瞼の縁が光っていたこと、まつ毛が長くてくっきりしたラインと優しい影を落としていることを思い出したのだ。何とか工夫してその美しい印象を刻まねばならない。だから、手先は休みなく小さな場所に向かって必死に動いていて、雨の音と雷の音は聞いていたけれど、稲光までは気が付かなかったのだ。

家に帰ってガハクに聞いたら、「何度もピカッと光ったよ!けっこう近くで」大きな目をして報告してくれた。スイカが降って来たので、さっそく食べた。どこの畑で採れたのだろう?小さくて甘くて瑞々しかった。(K)




2020年8月11日火曜日

ルーペいろいろ

30年前にガハクが銅版画を始めた頃に買ったのは、据え置き型の大きな虫眼鏡だった。8年前に岡山で展覧会をした時に観に来てくれた版画家の人に教えてもらったのが、このメガネに取り付けるタイプの拡大鏡だ。ときどきによって、便利な方を使っている。

オイルストーンに油を垂らしてビュランを研いでいる。彫り易い道具とはただ鋭利なだけじゃダメなんだ。研ぎ切った後にわずかに先端を潰すと喰い込みがいい。ガハクはYouTubeで見つけたある包丁の研師から学んだ。どこに先達が潜んでいるか分からない。「求めよさらば与えられん」だ。必要になった時に、大事な情報は、目の前に現れる。

今日はこの夏いちばんの暑い日だったけれど、夜になって窓から入って来る沢風で、エアコンを付けなくても涼しい。(K)


2020年8月10日月曜日

夏水仙

山道に夏水仙が咲いている。ガハクがこの画角で毎日写真を撮って来るのだけれど、エデンの門の佇まいに何かを感じているのだろうと思って眺めていた。でも、今やっとその意味が分かった。毎日蕾が一つずつ開いて、今日は5つの花すべてが咲いているのに気が付いた。

この辺りの山のことを「何にもありませんね」と言う人と、「放っておかれていていいなあ」という人がいる。手入れがされていない山、ボサボサの草原、凸凹の山道、鉱山跡の石ゴロゴロの山道が、ふわふわの腐葉土に覆われるには一体何年かかるのだろう?人が荒らした山の修復をするのは森だ。

エデンで人に会うのは珍しい。先日遭った青年は以前にもここでガハクを見かけていたらしい。「犬を連れて、木を片付けてましたよね」と話しかけて来た。トワンが死んでからもう一年半経つのだから、彼は何度もここに来ているということになる。アウトドアの写真を撮っているのだと言うから、プロメテウスの石の傍に細工した木切れが落ちていたのは、どうもこの青年のやったことのようだと合点が行った。

自然の中に自分を重ねて写す人は痕跡を残す。透明な目を持つ人は何も残さないで、ただ認識を持ち帰る。(K)


2020年8月9日日曜日

耳を彫る

同じ耳は二つとない。誰もがそれぞれの形の耳を持っている。どれを見ても耳だと分かる人間の耳。この彫刻にぴったりの耳があるはずだ。

平ノミで耳の穴を少しずつ慎重に深く削って行った。

よく聞こえる耳にしよう。彫りながら、耳が一番脳に近いところにあることに気が付いた。スエデンボルグの霊視によれば、耳は従順、目は認識だそうだ。神の声を聞き、真実を見つめる人を彫っている。(K)


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