2020年5月30日土曜日

竹箒を作った

古い竹箒を分解してみたら、二層構造になっていて驚いた。内側には細い枝だけ結びつけ、その上から太めの枝を包むように束ねてある。棒の先端に2カ所、竹と太い針金が入っているのは、束ねた枝が抜けないようにする為のストッパーなんだな。針金の両端が曲がっているのは、束ねた針金がずれないようにだろう。(どっちを先にやるのだろう?きっと束ねた後で曲げたんだろうな。でも私は、針穴に糸を通すような要領で、曲がった番線をそのまま使った。)途中で、太い竹枝を採りに山に出かけたりもしたので、2時間半かかった。
やっと出来たのがこれ⇩ 
地面がきれいに撫でられていく。葉っぱ付きの竹箒。なかなかいい感じ♪(K)


2020年5月29日金曜日

木の人たち

ガハクは山の中で木に話しかけるそうだ。それは独り言というのとは違う。
 たまたま動いていたラジカセに ガハクが猫に話しかけている声が録音されていたことがある。たわいも無いことを話しているのが楽しかった。人は誰も見ていない時に、演技的な効果を狙うわけでもなく、自己も利己も忘れて何を話すか?どう振る舞うか?だあれも見ていないのだ。

アメリカインディアンの言い伝えに、リーダーを選ぶのに、子供へ話しかけている様子を観察すればよいというのがあった。小さなもの、弱いもの、動かぬものにどう振る舞うかを。

幼い子供達に教えていると、ときどきどうしようもない悪ガキが現れる。保育者も(保護者でさえw)ギブアップなほどの暴れん坊だ。私一人じゃ無理だっただろうが、ガハクと二人でその子のことを話し合うと、彼が耳を澄まして黙って聞いているのがひしひしと伝わって来た。1週間後には、彼の中に言葉が入っているのが分かった。

誰も見ていないと思っていても誰かに必ず見られている。私はずっとガハクを見て来たもの。(K)


2020年5月28日木曜日

新しい筋肉

今朝はガハクの手をじっと観察した。角材に皮を貼り付けたように細かった腕が、今は新しい細胞で満たされ太くなっている。おかしなことに、シミまで薄くなった。新しく付いた肉は、皮に残された色まで引き継ぐことはしないらしい。昔のこと、古いこと、どうでもいいことは捨て去り、これから必要なものだけを携えてまっすぐに進んでいく。「新しい人よ目覚めよ」とは、死地から生還した人の再生のことだ。

今日は彫刻の腕をもっと動かしたくなって、 血管を彫ってみることにした。具象とか抽象の枠を超えて、試してみたいことがある。石の彫ることにも進化はある。(K)


2020年5月27日水曜日

ドメイン取得

ドメイン仲介業者のメールから辿っていろいろ調べていくうちに、昔と違ってずいぶん安くなっているのに気が付いた。20年前の一月分の価格が、今では一年分になっている。これならうちでもやれる!ということで、今日はついにドメインを取得した。ホームページのタイトルも新しくした。

英語でいく。世界のKとガハクである♪
"K&Gahaku's art works" k-gahaku.com

午後の光がエデンに差している。ガハクの今日の山散歩のワンシーンだ。ここはトワンが駆け上がり、ジャンプして降ったあのギャップだ。雪で覆われた時にもMTBで登った場所だ。懐かしい美しい風景が、死をもって切断されるとはとても思えない。意識が立ち上がると、体も蘇る。(K)


2020年5月26日火曜日

霊気と生気

白い人の谷に水音が響いている。この時期にしては珍しい。魚が住みそうなくらいだ。大雨で削られた川底を覗き込むと、ちょっとした渓流の様相を呈している。

谷の入り口には小さな橋があったんだ。満月の冬の夜に白い人が立っていた場所だ。

その美しい橋を撤去して埋め立て始めた時は何事かと焦った。不法な埋め立ては通報しろとの看板もあちこちで見かけてもいたので、すぐに市役所に電話をしたのは20年前。しばらくしたら県の土木事務所がやって来て、あちこち測量が始まった。河川というのは、県の管轄になってやっと地図に載せられるのだそうだ。それから川や道に名が付くらしい。

「Kちゃんが電話したから県が動いたんだとよ。それであの川は県の川になっただよ」と近所の情報通の爺さんに聞かされた。谷の入り口に『林道:アズザス線』という鉄の標識が立てられたのもその頃。今はもうだいぶ汚れて、遠い昔の出来事のようになってしまった。

絵の中のトワンが変わった。森の匂いの染み付いた不思議な色をしている。この集団だけがぐっと強く浮き上がって来た。(K)


2020年5月25日月曜日

杖術

もう杖を持たずに山に散歩に出かけるようになったガハクが、「どこかに丸棒がないかなあ」と言う。何に使うのか聞いたら、草を払ったり、石を突っついたり、振り回したりして遊びたいのだそうだ。さっそく彫刻のアトリエから自転車に括り付けて持ち帰って来た。

 昔取った杵柄だ。思い出しながら振っている棒の動きと、その体勢が様になっている。只の棒でも、鍛錬した者が使えば充分な武器になることを知った。型の中にその威力を集中させる形式が組み込まれている。敵のみぞおちを狙って突き、怯んだ無防備なこめかみを一撃で割るという動きを 流れるように出来る。すっかり体に覚え込ませてある。

ダライ・ラマが、「人は武器を持ったら使いたくなるものだ。武器を持たないようにすることだ」と言っていた。愚者に武器を持たせるな。人と人の間にナイフを置くな。

ガハクは山や野原を歩くのに棒を友とし歩くんだ。猿は石を投げないし、投げ返そうともしない。だからガハクは、棒を振る真似をするだけだ。石を投げるフリをするだけで充分なんだ。そういうところで平和に暮らしている。(K)


2020年5月24日日曜日

鳥の人

今朝、庭でスモモの木を剪定していると、真上をトンビがゆっくり旋回し始めた。だんだん高度が低くなって輪が小さくなっている。隣の猫のことが急に心配になった。立ち昇る小動物の臭いに照準を合わせているのだろうか?声を出さず、翼も動かさず、ぐるぐる回っている。高枝切り鋏を抱えてじっと見ていたら、だんだん高くなって、やがていなくなった。

散歩から帰って来たガハクが「山は鳥の人たちで賑やかだったよ。胸いっぱいに山の空気を吸い込んで来た」と言う。 人がいない山、動物にしか出会わない山を 今は自分の庭のように感じているそうだ。昨日も今日も、朝と夕方の二度も山のてっぺんまで登っている。ときどきぶーんぶーんと山が唸るほど今日は風が強かった。

この鳥の人に無垢を吹き込むには、子供のように彫ればいいと思っていたが、そうではなかった。人間的なものには、どうしてもいやらしいものが滑り込む。鳥の胸、鳥の腰の膨らみを探っていたら、やっと妖艶さが消えた。(K)


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