2020年10月17日土曜日

ガハクの目

ガハクの目は今までで一番澄んでいる。なんとかそういう目を彫刻に表現したいと、目ばかりをここ数日いじっている。瞼の影と眼球の光がきれいなハーモニーを作り出せば、明るく澄んだ眼差しが出て来るはずだ。彫っている途中で、ギロッと睨んだような目になる時がある。でもそこで怯んじゃダメなんだ。そういう時ほど、ほんの少し先に綺麗な形が待っている。砥石を当てたら、視線が和らいだ。

今日ガハクは古い絵を幾つか引っ張り出して、また描き始めたそうな。「けっこういい絵があったぞ」と喜んでいる。以前は一つの方向へ向かって修練させねばならないと思っていたけれど、今はいろんなことを絵の中でやってみたいと思うようになったそうだ。9割の致死率から生還した人はやっぱり面白いことを言うし、何をやっても楽しそうだ。(K) 



 

2020年10月16日金曜日

大きな目のシュゾク

 大きな目をした人たちが夢に出て来てガハクに話しかけた。まっすぐ強く見つめて来たあの目のことは、何年経っても忘れようもないだろう。夢の中で起きたことは、現実にも起きる。

山を歩いていると、突然ぴゅーっと近くで鹿が鳴く。ガハクが驚いて飛び退くと、鹿も慌てて斜面を駆け登る。その時の鹿の目は、命そのものを生きていて何も考えていないような、澄んだ大きな目をしていたはずだ。

言葉を弄して語るほど目は汚れていく。反語を繰り返すうちに宙ぶらりんになって不確かなことしか言えなくなる。天にも地にも触れることのない幽霊の足。だから子供は目をじっと見る。大人の目を覗き込む。この人を信頼していいかどうかを知る為に。

大きな目のシュゾクは真実を見つめる目を持っている人々のことだ。(K)



2020年10月15日木曜日

絵が動く時

ウィリアム・ブレイク の『ヨブ記』は22枚の銅版画で構成されているが、その最後の刷りには楽器を手に持って弾いている人たちが描かれている。それまでは楽器は大きな木の幹にぶら下げられて、単なる飾りに過ぎないものとして忘れられたように背景になっていたのだった。破滅と絶望と落胆の嵐が過ぎて、人も小鳥も歌い始めたという絵だ。

今日はガハクは、ずっと描きかけのまま放っておいた小さな絵に久しぶりに筆を入れた。緑の女が動き出した。" Alfonsina y el mar " の楽譜が広げたままになっている。ガハクが昼間弾いたようだ。動き出すキッカケは、あたたかく明るい光が差し込んで来たからだった。(K)



2020年10月14日水曜日

鳥のような無個性な顔

鳥の顔に個性はないが、どの小鳥も可愛らしい。小鳥のように美しく端正で隙のない形にしたいと思いながら、砥石とサンドペーパーとヤスリを駆使しながらこの子の顔をいじっていた。すると、だんだん無機的だった目に生気が宿ったように感じた。こんなに小さな顔だと、少し影が強くなるだけで表情が変わる。ペーパーで擦っただけで柔らかな頬になる。絵のようだ。こういうことをずっとやっていてもいいんだなと思えた。すると焦りが消えて、またこの先のことを希望を持って見渡せる。この続きを楽しみに思うと道も見えて来る。ガハクの顔の砥石の当て方を工夫してみよう。石の中にある色は一色じゃないのだから。艶と色だけじゃなくて、濃さと深さが出せたらなあ。これから長期戦になるはずの地道な作戦を考えている。(K)



2020年10月13日火曜日

再び楽器を弾く

今朝、ガハクが山に散歩に出かけている間に 久しぶりにバイオリンを引っ張り出して弾いた。4本の弦はすっかり緩み、黒檀の顎当てがカビで白くなっていた。マーエダさんが家に来て『アルフォンシーナと海』を優しく小さく変わった不思議な音で弾いてみせてくれた後、「いい楽器ですね。大事にしてください」と言いながら、私の手に戻してくれたあの時から 一度も弾いていなかったのだ。明日がコンサートという前夜に、初めてお会いした。すごく寒そうだった。それにとても疲れた様子だった。車でホテルまで送って別れてから、車の中でも家に帰ってからも心配でガハクとずっと話していてなかなか眠れなかった。でもコンサートは素晴らしかったようで、皆が称賛していた。

ギターに積もっていた埃をきれいに拭いてからガハクに渡したら、弾き始めたのは『禁じられた遊び』だった。肺炎で倒れる2週間前に弾いて以来、ずっと壁に立て掛けられたままになっていたギターが、やっと音を出した。あんなに面白がって毎日弾いていたのに、ずっと弾くこともできずに、そのうち弾こうとも思わなくなってしまっていたのだった。それが今日突然弾く気になったのは何でだろう?朝から晴れたからだろうか?

いや、そうじゃない。昨夜そう心に決めて、ガハクの前で口に出したからだ。
「今日からバイオリンを弾く!」と。声に出すと動き出すんだ。

ガハクは「Kが弾けと言うから弾いたんだよ」と言う。(K)



2020年10月12日月曜日

銀色の羽

 12時過ぎにアトリエに着いた。自転車を壁に立て掛けドアに近づいたら、足元に一枚の羽が落ちているのに気が付いた。軒下の真ん中で、ちょうど雲間から出て来た太陽に照らされてキラッと光っている。何の羽だろう?鳩にしては少し大き過ぎるから、アオサギかもしれない。

すぐに、映画『ノスタルジア』の中の一場面が浮かんだ。(主人公の詩人が僧院の周りに広がる野原を歩いていると、空から一枚の白い羽が降ってくる。拾い上げて辺りを見回すと、遠くに翼をつけた天使がいて、ゆっくり小屋の中に消えた。頭痛でもするのか、男は頭に手を当て、何かが鎮まるのを待っている)暗示的なプロローグのシーンだ。でもその小屋は、最後のシーンに再び出てくるんだ。

二人の人間が全く同じ夢を見るということがあるだろうか?狂信者と詩人は夢を共有した。

そんなことを考えながら羽を拾い、少し夢見心地でアトリエの鍵を開け、大理石像の間を歩き、机の引き出しから白いコピー用紙を出して、その上に羽を置いた。いつものように筋トレから始めて、ガハク像の胸を砥石で磨き、それから犬も彫った。羽を拾った時だけ晴れていて、後はずっと曇り空の1日。暗くなる直前の17時に帰宅。自転車では昼間しか走らないことにしたんだ。(K)



2020年10月11日日曜日

鹿の通り道

これは鹿が齧った痕だ。根方に置いてある栗が身を寄せ合っているように見えるのが、なんか可愛いいな。まだ食べられていないということは、鹿がここを通らなかったということだ。また別の場所に置いてみたりするのかな?

ガハクが山散歩から帰って来てから、すぐに紅茶を入れ、バームクーヘンを添えて、そのまま2時間半ずっとモニターを凝視していた。今朝届いたばかりのDVD『ノスタルジア』を観たのだ。かなり集中したらしい。今夜は二人とも頭の中にぎっしり詰まっているものがある。いいものに出会うと無言の会話がいつまでも続いていて、心が弾んで賑やかなんだ。(K)



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