2021年4月23日金曜日

仮セッティング

 黒御影石のキン、、キン、、、と鳴る音がこの庭に初めて響いた。この音はずいぶん遠くまで届くらしい。自分の出した音は、誰かの耳に届いて、また自分に戻って来る。

「あゝやっぱりあなたでしたか。」と、船越先生に言われたことがある。ノミ音は一人一人違うんだ。誰が聞いているか分からない。

庭の隅で私の自転車のシフトレバーとケーブルを調整してくれていたガハクが、
「黒御影石の音はやっぱりいいねえ」と喜んでくれた。

横に突き出て飛び出していた長いシッポをハンマードリルで割って切り落とし、半月形に彫り直した。大まかな形が出来たところで仮セッティングをしてみたら、ピッタリ合った。

ぴたっぴたっと決まって行く。この必然を説明しても、誰にも分からないだろうな。(K)



2021年4月22日木曜日

緑の光線

『ぞうけい』で使うでっかいチューブの絵の具の中で、緑色がいちばん減りが早かった。子供らに、山や野原をテーマにして描かせることが多かったからだろう。使う頻度もぜんぜん違う。山から街へ出かけて行って、都会の教室で教えていた頃でもそうだった。

その次に減りが早いのが水色だ。子供らのクレパスの箱を見ると、やっぱり水色が短い。彼らは空と海が好きなんだ。ゴシゴシ塗るから、すぐに減る。

あと、肌色のクレパスの減りが早い。(この頃はこの呼び方は人種差別に繋がるとして、使わないようになったそうな。子供らに教えられた。うすだいだいとか言っていたなあ)母の日、父の日、運動会の絵を描く度に、人間の顔をゴシゴシ塗らねばならない。

圧倒的な緑に包まれて生きている。光は緑を通して見ることになる。この風景を何色で描く?(K)



2021年4月21日水曜日

やりたかったことのリベンジ

ずいぶん前にやろうとしてやれなかったことを 今この絵の中でやるのだそうな。大きな顔が、デーンと真ん中に据えられている。絵の中から、こちらを見ている。画面の中に収まって大人しくしているつもりはない様子だ。目を見れば分かる。臆することなく物言わぬその口元には、笑みさえ浮かんでいるじゃないか。

こういう試みを、以前ガハクは木版画でやろうとしたんだ。その時思わず私が、「ソビエトのプロレタリアアートみたい」と言ったのだった。労働者のような明るい大きな顔がくっきり二つ並んでいて、しかも木版画の単色刷りだったし、まるで啓蒙ポスターのようだった。そんな私の言葉がグサッと刺さったのか、面白いと思ったのか、どっちとも取れる苦笑いをしたガハクは、続きをやらずに終わりにしたのを思い出す。

今夜は、あの時のリベンジなのだそうな。強い意思がなければ、決して行き着かないところに踏み出す準備が出来たということだ。その証拠に、今日は2度もガハクは山に出かけた。朝は歩いて、夕方はMTBに跨って。すごい体力だ。ハアハアしても、死にはしないことは知っている。死ぬっていうのは、全然違う。生きるってことの反対にあるものでもない。変わろうとしなけりゃ止まってしまうものなんだ。(K)



2021年4月20日火曜日

懐かしい音

3時の休憩にキッチンでひとりミルクティーを飲んでいたら、
「懐かしい音だったなあ」と言いながら、ガハクが2階から降りて来た。

若い頃からずっと聴いて来た石を彫る音は、私が出している音ではあるけれど、ガハクもその音の中で絵を描いて来たのだった。
「僕らはこういうことをして生きて行くんだと思っていたんだよね。そういうことを思い出したよ」と言う。

これ、ずっと彫り直したかったんだ。もっと良い形にしてあげるからね♪(K)





2021年4月19日月曜日

中庭の太陽

今朝ガハクは、チェーンソーの目立てから始めた。隣との境界に生えているヒバを伐る為だ。二人ともヘルメットを被った。おが屑が飛ばないように、地境に竿を立て、シートも張った。

うちのチェーンソーは電動でパワーがないのだけれど、今日は切れ味が違っていた。大きな幹が短時間で切り落とせた。目隠しのように中庭を覆っていた常緑樹が無くなると、驚くほど空間が変わる。今まで隠れていた木が、突然前に出て来る。オオヤマレンゲの葉が、明るく輝く。

日差しがいっぱいで眩しかった。(K)







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