2020年6月20日土曜日

夏至前夜

ガハクに強く勧められたことを 今日実行した。
「ぞうけいで使っているクーラーを アトリエに持って行ったらいいよ。自分の歳を考えたら、もう無理をしちゃいけない」と言われたのだ。

手作りのアトリエだからどこも構造はわかっている。昔ドアだった所を切り抜くことにした。今はただの壁だ。まずカッターナイフでベニヤ板を切り、骨組みの小割りを鋸で切断。ボンドで小割りを貼り付けて枠を補強。上下にアルミ製のL字金具をビスで固定。そこに本体をカチッとはめて出来上がり。ばっちりだった♪

ずいぶん雰囲気が変わった。ここまでハイグレードにすることには、ずっと躊躇があったんだけど、命には替えられない。熱風をかき混ぜる扇風機だけでは、そのうちきっと倒れるだろう。

道具を片付ける頃はだいぶ暗くなっていた。空を見上げたら、まだうっすら明るい。明日は夏至だものねえ。土間を綺麗にしようと箒で掃き始めたら、ストーブの煙突から落ちたタールや、薪から出た木屑がいっぱい落ちていた。冬の名残をまだ片付けてなかったのだ。仕事は片付けと共にある。前に進むには、2倍の力が要る。(K)


2020年6月19日金曜日

諦念の向こう側

前から見たシルエットの美しさが、背面の美しさと同一になるまで、何度も行ったり来たりしながらあちこち彫っている。僅かな量の変化が全体に影響する。輪郭が動くのが彫刻だ。諦めないと出来ない作業。未来を想像していたら、とてもこんなことやっていられないだろうなと思いながら、霧雨の山をときどき眺めては、砥石で擦ったり、ハンマーとノミに持ち替えたりして午後を過ごしていた。

美とは、時間を忘れた瞬間の経験を言うんだな。(K)


2020年6月18日木曜日

裏庭

真夏でもここに立つと、スーッとする。この裏庭を抜ける風がいちばん涼しいんだ。白い人の谷からまっすぐ入って来る沢風がここを通るからだ。

ブロック塀の向こうに見える家に以前住んでいた。あの頃は、向こう側からこの庭の鬱蒼とした大木のモミジと月桂樹の枝落としをガハクと二人で汗びっしょりになってやったのだった。今はこっち側に住んでいて、昔の家からはみ出して来る枝を切っている。どっちに住んでいても、やることは同じだ。

人は用で動かされる。人はその目的によって判別される。
 木が邪魔だから切るんじゃない。嫌がらせでやるんじゃない。だから正々堂々とできるんだ。領地を広げようとか、盗もうとか、支配しようとするから、魂胆が見破られて争いになるのだ。

自分の器でしか他人は見れないという限界はあるけれど、思うがままに行くが良いと言われたからそうしている。ガハクが生還してからは、まっすぐにものが言えるようになった。動きもスムースになった。今日はケガも事故もなく無事にトゲトゲのあるピラカンサを伐採できたのは、トワンが見張っていてくれたからだろう。裏庭がすっかり明るくなった。(K)


2020年6月17日水曜日

光を見ている犬

今朝、画室の窓を開けて振り向いたら、トワンの前が光っていた。まだ夜が残っている周りの景色を放っておいて、そこだけを照らす太陽に意思を感じた。

ウォーコップによれば、光に存在は無いそうだ。だから光の速度というものもない。光に照らされたものを見て初めてそこにあるものに気付く私たちが、光だけを存在として認識できるかどうか。直に見たら目が潰れてしまう光線を、果たして存在と言えるかどうか。

「見て信じる者より、見ないで信じる者は幸いだ」という言葉の真意を理解した。トワンを愛しいと思うからトワンが可愛いのか、トワンが可愛いから愛しいのか。どっちが幸せだろう?言葉を厳密に誠実に使おうとしない人には分からない今朝の情景。(K)



2020年6月16日火曜日

つがいのガビチョウ

山散歩から帰って来たガハクが、
「面白いことがあったんだよ」と話し出した。

「茂みの中を歩いていたら、ガビチョウがすぐ近くまで飛んで来て、頭の真上の枝に留まってじっと見ているから、手を伸ばして「こっちにおいで!」と呼びかけたら、パッと飛び立って逃げて行く。でもまたぐるっと回って戻って来るんだ。2羽でずっと僕の周りを飛び回って遊んでいた」

(ガビチョウはちょっと大きめの小鳥で、よく響く声でソプラノ歌手みたいに上がったり下がったりの旋律を表情豊かに歌い上げる。昔は日本にはいなかった中国の小鳥で、アガノ村で見かけるようになったのは、ここ20年くらいか。すっかり居ついてしまっている。声量では鶯を圧倒している。目にくっきりアイシャドウを塗っているとこだけがオシャレで、羽の色はいたって地味。)

「kyoちゃんとガハクもあんな風にずっとやって行けばいいや」と話を結んだ。(K)


2020年6月15日月曜日

ガハク55kg

いつでも測れるようにキッチンの隅に体重計が置いてある。今夜のガハクは何か直感していたらしい。夕飯直後に秤に乗るなり、「おゝ」と叫んだ。53をなかなか超えられなかったのに、突如55キロに急接近しているではないか!ついに倒れる前の体重まで回復した。
 さあ、これから先は新しい領域だ。食べたくなきゃ食べなくてもいいとか、お腹が減ったらそのうち食べるだろうとはもう思えなくなった。食べたいものや美味しいものが浮かばなくなったら、何かおかしなことが起きているということだ。

私は朝から歯が痛くて、冷たい氷水で口の中を冷やしては一口食べ、また冷やしてはもう一口という風にしか食事が摂れなかった。歯医者さんに電話をして診てもらったら、楔形欠損のせいだと判明。歯の根元の痩せているところをプラスチックパテで埋めてもらった。寒風に凍えていた体に温かいコートをかけてもらったみたいに、ぽーっと温かくなって痛みが引いて行った。おかげで夜は美味しく食べれた。

「石を彫っている時に歯を食い縛ってかなり力が入っているんじゃないでしょうか」と先生に言われた。そんなに意識していないけれど、そうかもしれない。大きなことや無謀なことや冒険を小さな体でやって来たからなあ。。。
「上の歯がぐっと押さえ付けるベクトルが働いて、下の歯はそれに反作用で押し返すわけです。その時にどこに一番力がかかるかと言うと、下の歯の根元のところなんです。凄い力に耐えているうちにぼろぼろと欠けてしまうんですね。そこに歯ブラシなどで削ったりしてだんだん細くなる。するとそこを包んでいたエナメル質の硬い部分が無くなって、滲みるんです。」と仰る。小さな痛みが体全体を固くする。強靭なアキレスの弱点は踵だった。

夕暮れにやっとアトリエに出かけた。天使の翼をさらに薄く彫り直して、満足して帰路についた。ガレージから出たら、空にピンク色の雲が乱れ飛び、トワンがはしゃいでいるように見えた。(K)

ガハクの山散歩の白い花⇩

2020年6月14日日曜日

born to be wild

アトリエの畑に茄子の苗を植え付けていたので、いつもより1時間も遅くなった。玄関を開けて「ただいま」と言ったが返事がない。しばらくしたら階段から声がして、友達と電話中とのこと。珍しいことが続いている。懐かしい人とのやりとりを後で聞かせてもらうのが楽しいのだ。

初収穫のジャガイモを肉ジャガにして食べながら、さっきの電話の話になった。
「テレビを買い替えたそうで、YouTubeも観れるんだぞって言うんだよ。お前は知らんだろうけど、『西暦2525年』とか聴いてると懐かしくて堪らないって言うから歌ってみせたら、驚いていたよ」と、ガハクは剣道一筋の堅物だと思っていたそうだ。 イージーライダーのテーマソングとかも電話口で歌ってみせたそうな。"born to be wild ♪"

高校の18の時から50年の体験を経て成熟(あるいは腐敗)の臭いを漂わせて通信し合う人が音楽のことを話して喜んでいる。友人は死んだ人のこと、ガハクは死にかけたことを互いに伝え合ったそうだ。懐かしいものたちが蘇る。(K)


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