2018年7月28日土曜日

上手くなるには

今までに何かモノになったと思えるものが一つもない。例えば楽器がニガテだ。ギターもちっとも上手くならない。譜面も読めないし人に聴かせられるような曲も覚えられず。自転車だってあんなに毎日一生懸命練習したのに満足なトリック一つできずに終わった。結局こういうものはニガテ意識がまた一つ増えただけだった。
一方で何をやっても上手くできる人がいるようで自分が知っている父親はそういう人だった。スポーツなら水泳、野球、娯楽なら麻雀、将棋、囲碁、玉突き…何でも得意だった。そういう人に育てられたおかげで自分も人より秀でた能力を持っていると勘違いしてしまったらしい。
ただ絵だけは上手くなくても描けるという事に気づいたというわけだ。(画)

2018年7月27日金曜日

甘い香り

色は香るように使おう。目の向きに情愛の形が表れる。猫を大きく描き過ぎた。もっと小さく弱々しくしなくちゃ。拾われたばかりなんだから。これじゃもうすっかり家猫の安定感だもん。それにしてもサラちゃんっていい子だな。描きながらこの子のことが好きになった。ペンはどうしても手が硬くなるから明日は鉛筆だけでやってみる。(K)

2018年7月26日木曜日

ヒヨドリ

絵の色数を減らすつもりはないのだが最近結果的に減っている。調合した青の一つを影と光の両方に使えないかと妙な企みを持ち始めた。
色は多い方が個性的になるのだろうか?色が少なければ調和させ易いが同時にインパクトのない絵になるというリスクを背負う。
徴兵された画家が兵営で自画像を描いている。補充できないから絵具をできるだけ節約して描いたというその絵はベックマンならではのものだったが、独特の強烈さはない。でも未だ若かったからね。でもそのせいか後年絵の指導にあたり生徒に色をたくさん使って個性的な絵にしなさいと言ったそうだ。(画)

2018年7月25日水曜日

号泣する子

作者にクレームを付けたシーンを描き始めてみたら、けっこう描き甲斐があって面白い。いろんな想いが浮かんで来るのはどうしてだろう?そうかあ、ここが核心の部分なんだな。理不尽な出来事、受けとめられない事実に人は号泣する。あるいは沈黙する。叫ぶ人もあるだろう。子供が読む本に子供が背負えない過酷な運命を書いていいのかと、トラウマになるから書き直したらどうかと言ったのだけれど。

今日は山で亡くなった友の命日だ。あれから45年経った。雪渓を降りて来る部員たちの足取りのこわばりと重さを思い出す。突然の死が怖かったんだな、あんなに泣いたのは。

弱い者が訴えようもない苦しみを空に叫ぶとき、その声はきっと天に届くだろう。嘘つきがどんなに繁栄を誇っていてもすっかり忘れられてしまう日がやがて来るそうな。あんなに鮮やかな花をなぜそのまま描けないのだろうと不思議に思っていたが、彼らにはあの美しさが見えないらしい。(K)



2018年7月24日火曜日

苦労の跡は消せ

めんどくさい事はできるだけやらないようにして、いやそんな事は一つもないという感じで制作する喜びに満ちて描きながら遂に完成に至るというような描き方が理想だ。
過去の名画を見たってそうでしょう、それ以外にないでしょう。
だったらば、苦労の跡は消さねばならない、なんて警句ほど不純なものはないな。苦労なんか元からしちゃいけないんだから。(画)

2018年7月23日月曜日

ボーイフレンド

サラちゃんのイメージがだいぶ掴めてきたので、いよいよ画用紙に向かった。ペンと水彩とパステルでやることにした。彼女のボーイフレンドを今日初めて描いてみたのだが、スーッと出て来たのがこの顔だ。素直そうないい子じゃないか!気に入った。で、早速『山のぞうけい』の生徒さんたちに見てもらったら、男の子の手元が後ろの通気口と重なっているのが残念だと言われた。なるほど、確かにそうだ。背景を後から無理矢理に入れ込んでしまったからね。これからはこうやって皆に見てもらいながら進めていこう。(K)



2018年7月22日日曜日

常識

ジャコメッティがモデルを前にして、それまで膝に置いていたカルトンをイーゼルに立てかけて描き出したら横でそれを見たアネットが「皆がやってないそんな描き方していいの?」と言ったとか。
あれだけ(他人のやらない)独創的な作風を直に見ていた彼女でさえそんな「常識」に囚われている。
一方、油絵はイーゼルに立てかけて描くものだという「常識」もあるらしい。「イーゼル絵画」などという言葉を知った時には驚愕wした。
「常識」は特に表現する無意識に深く入り込んでいるからとても厄介な代物だ。(画)

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