2020年2月8日土曜日

ガハクが帰ってくるよ

筆はきれいに洗ってあったけど、パレットがそのままなのに気がついた。拭き取る元気がもうなかったのかもしれない。「大丈夫、他にもあるから」と息絶え絶えに言ったのは昨日のこと。

今日は声も大きくなって、耳を寄せなくてもよく聞こえた。ゴホゴホと咳の音も大きくて頼もしい。吸引に頼らず自分で痰を吐き出すことも半分くらいはできるようになったそうだ。急速な回復である。でもガハクにしたら、今の方が苦しいらしい。「僕どうなるんだろ?」なんて気の弱いことを言ったりするところが、とても正常だ。痛いとか苦しいとか寂しいとか、そういう気持ちはそのまま感じて言えることが人間らしさなんだな。

毎日面会に行くと、毎日大きく前進している。今日は手のむくみがすっかり消えて、いつもの優しい形をしていた。色がまだピンクに戻っていないだけだ。足も昨日はパンパンに膨れ上がっていたのに、今日は半分くらい萎んでいた。明日はきっと元の大きさになっているだろう。リハビリで立たされたり車椅子に座らされたりしている。今日は10分。

別れ際、ドアから出る時にVサインをしたら、ベッドに半身起きた状態のガハクは右手を高く挙げてVサインを返してくれた。奇跡のような日々が続いている。この喜びを決して忘れないようにしよう。(K)


2020年2月7日金曜日

六日ぶりに話す人

今日はとうとう集中治療室から出て、広いフロアの入り口に近いベッドに移動していた。しかも声を出して話をした。胸がまだ苦しいようでとても小さな声だけど、耳を近づけると聞き取れる。「毎日どうしてるの?」というのが最初の質問だった。早起きして、朝のうちは石を彫ってるよと答えた。

死にそうになった人が 生き返った時、どんなものを見て来たのか聞いてみたいと言っていたガハク。僕は死ぬのは怖くないと言っていた人だけど、「もうダメかと思った」そうだ。昨日自分で管を抜いて恭子に会わせてくださいと言ったのは、もしかしたら、別れを言う為だったのかもしれないと思えた。救かる瞬間にダメだと絶望するということはありそうな気がする。だってその機を狙って先生はリハビリを開始したんだもん。ほんとうに危なかったのは、土曜日の夜に、自分で治すと半ば妄想のようにいろんな話をして鼓舞していた時なんだ。

好機を見逃さないのが勝負師。闘い方を間違えば二人とも地獄に落ちるところだった。ぎりぎりで回避できたのはもう強い祈りとしか思えない。

ガハクの頬をもっと削ぎ落とそう。眉毛は太くしよう。瞼はきっちりと強く。もっと彫れることが分かった。毎日見つめているから生きている形に敏感になった。(K)



2020年2月6日木曜日

ガハク復活の日

 今朝ガハクに会いに行ったら、目がぱっちりと開いていて驚いた。昨日までの4日間ずっと昏睡状態の姿しか見ていなかったので驚いていると、先生が現れておっしゃるには、「ご自分で管を抜かれたんですよ。そして、恭子に会わせてくださいと話されました。それでそのまま様子を見ることにしたのですが、今のところ大丈夫みたいですね。このまま行きましょう。また容態が急変したら管を入れることもあるかもしれせんが、その時はお電話します」とのこと。睡眠剤が切れる頃合いを見計らってガハクの容態を見るために体を起こした時のことらしい。

話しかけても良いし、手に触ってもいいと聞いて、とても安心した。無菌状態で隔離された緊急状態から抜け出せたということだ。目が合うと枕の上で何度もうんうんと頷いて見せる。手を握ると強く握り返して来た。僕はしっかりしているからね、安心しなさいというメッセージだ。瞳を見ようとぐっと覗き込んだら ガハクは顔を横に振った。なんでだろう、、、ずっと縦に振っていたのに、、、あゝもしかしたらそんなに心配してはいけないと言っているのかもと思って、大きな声で聞いてみた。「心配しないでって言ってるの?」すると、大きく深く頷いた。

1時間以上そばにいたけれど、今日はパンを仕込んで来たからもう帰るねと言ったら、ニンマリ笑った。はっきりと笑った。この人は本当に生き返った。生還した。嬉しくて車に戻っても食べることも飲むことも出来なかった。嬉しくて空に浮かぶ白い雲にトワンと呼びかけながらハンドルを握っていた。

ガハクが300日続けて来た腕立て伏せのおかげかもしれないし、毎日焼いていたパンのせいかもしれない。掃除をしているときに花瓶を倒してしまってドライフラワーの花が散らばった。それを丁寧に拾い集めて、ガハクは紙で作った四角い皿に並べていた 。そんな優しいことをする人だから救われたのかもしれない。何が何に繋がっているのか私には分からないけれど、一人で5日暮らして分かったのは信じることは繋がるということなんだな。(K)

2020年2月5日水曜日

青春のしっぽ

若い頃夢中になって読んだ漫画に『青春の尻尾』という長編漫画がある。そこは三国志の世界だった。主人公の少年が仙人になることを夢見て都に向かうお話から始まる。旅の途中で出会った老婆がまた奇怪で魅力的で千里眼を持っていて、少年がまだ尻尾を失くさずに持っていることを見てとる。本気で教育を始めるのだけど、その日々の生活の豊かなこと。永遠の命に欠かせないのが豆だそうで、ぴょんぴょん野原を跳ねながら老婆は豆を蒔くんだ。まあ愉快なこと。

この話を山岳部の夏山合宿で女子隊に少し聞かせたら、やたらにウケて、雨に降られたテントの中でずっと「次は、それで、どうしたの?」と促されながら語り続けた。純粋な真理に女の子たちは憧れているんだ。今も昔もずっとそう。

今日は朝のうちにアトリエに行って石を彫った。何年ぶりだろう。こんなに早い時間にコンコン音を立てるのは。最近はいつも夜だったから。トワンの彼女の尻尾はクルンと細く弾むように元気だ。尻尾が立ち上がっている時は負けない。勇気に満ちている尻尾を彫ろう。(K)


2020年2月4日火曜日

ガハクのこと

ガハクが絶対病院には行かないと言い張って、自力で治そうと頑張って寝たり起きたり何とか食べようとしたりしているのを横で見ていたが、とうとう息が短く浅くなって立ち上がれなくなったのが日曜日の夜明け前4時頃のことだ。意を決して救急車を呼んだ。アガノ村には救急車も待機している立派な消防署がある。すぐに駆けつけてくれた。初めて乗った。しかも夫の付き添いで。

すぐに肺に管を通したが効果が鈍いとのことで 生存する可能性はわずか10%の超重症肺炎との診断。お帰りになったら身内に連絡を取るようにと言われたが、親が死んだ時に決裂してから双方とも連絡し合っていないからどうしようかと沈鬱な気持ちを素直に先生に伝えると、「こういうことは奥さん一人じゃ出来ませんよ」とおっしゃる。誰もいなくて一人で亡くなる人もいるんですかと聞いたら、「無縁者はたくさんいます。そういう方は無縁仏としてこちらで処理しますがね」と、救急現場の医師の淡々とした口ぶりが話し易かった。流れで「画家ですか。絵で食べていくのは大変でしょうね。一枚何万円だとしても全部売れるわけじゃないでしょうからねえ」という問いにはこちらも抵抗も反発も不愉快もなく、そうなんですいっぱい売れ残っていますと答えた。まだ5時過ぎたばかり。

静かに覚悟が決まって行った。だんだん明るくなっていく空を見上げる。ガハクはきっと生き返るだろう。と思った瞬間すぐに段取りを考える頭が働く。これだ、いつもこれがガハクを消耗させていたんだ。今戦わねばもう後がない。 「なんでいつも悪い方へ暗い方へ滅ぶ方へと考えるの?そっちじゃないよ。進むべきはぜんぜん違う方だよ」と。その日はツイッターに書いたのと、ぞうけいの生徒さんたちにメールしただけで、親戚にも友人にも電話はしなかった。あのようなことがまた起きたらすっかり疲れてきっと私の頭が狂うだろうから。

次の日に面会に行ったら、ドアを開けてくれた。遠くから眺めた顔が赤らんでいて、すぐに死にそうではなかった。まだ生きそうな気配を感じた。

今日は三日目。危機を脱したことを担当医師から伝えられた。ベッドの脇に座らせてもらった。「ゆっくりですが回復しています。次の目標は管が外れてお話ができるようになることです」 一挙に力が抜けた私を見つめて美しく凛々しい女医さんが「奥さまは頑張らなくていいんですよ」と優しくおっしゃる。その人に駐車場でまた会った。赤いワゴン車の弁当売りから買ったばかりの袋をぶら下げていた。笑みを交わす。

三日留守にしたアトリエで2時間ほど石を彫った。何も変わっていなかった。また続きを彫った。(K)


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