ガハクが絶対病院には行かないと言い張って、自力で治そうと頑張って寝たり起きたり何とか食べようとしたりしているのを横で見ていたが、とうとう息が短く浅くなって立ち上がれなくなったのが日曜日の夜明け前4時頃のことだ。意を決して救急車を呼んだ。アガノ村には救急車も待機している立派な消防署がある。すぐに駆けつけてくれた。初めて乗った。しかも夫の付き添いで。
すぐに肺に管を通したが効果が鈍いとのことで 生存する可能性はわずか10%の超重症肺炎との診断。お帰りになったら身内に連絡を取るようにと言われたが、親が死んだ時に決裂してから双方とも連絡し合っていないからどうしようかと沈鬱な気持ちを素直に先生に伝えると、「こういうことは奥さん一人じゃ出来ませんよ」とおっしゃる。誰もいなくて一人で亡くなる人もいるんですかと聞いたら、「無縁者はたくさんいます。そういう方は無縁仏としてこちらで処理しますがね」と、救急現場の医師の淡々とした口ぶりが話し易かった。流れで「画家ですか。絵で食べていくのは大変でしょうね。一枚何万円だとしても全部売れるわけじゃないでしょうからねえ」という問いにはこちらも抵抗も反発も不愉快もなく、そうなんですいっぱい売れ残っていますと答えた。まだ5時過ぎたばかり。
静かに覚悟が決まって行った。だんだん明るくなっていく空を見上げる。ガハクはきっと生き返るだろう。と思った瞬間すぐに段取りを考える頭が働く。これだ、いつもこれがガハクを消耗させていたんだ。今戦わねばもう後がない。 「なんでいつも悪い方へ暗い方へ滅ぶ方へと考えるの?そっちじゃないよ。進むべきはぜんぜん違う方だよ」と。その日はツイッターに書いたのと、ぞうけいの生徒さんたちにメールしただけで、親戚にも友人にも電話はしなかった。あのようなことがまた起きたらすっかり疲れてきっと私の頭が狂うだろうから。
次の日に面会に行ったら、ドアを開けてくれた。遠くから眺めた顔が赤らんでいて、すぐに死にそうではなかった。まだ生きそうな気配を感じた。
今日は三日目。危機を脱したことを担当医師から伝えられた。ベッドの脇に座らせてもらった。「ゆっくりですが回復しています。次の目標は管が外れてお話ができるようになることです」 一挙に力が抜けた私を見つめて美しく凛々しい女医さんが「奥さまは頑張らなくていいんですよ」と優しくおっしゃる。その人に駐車場でまた会った。赤いワゴン車の弁当売りから買ったばかりの袋をぶら下げていた。笑みを交わす。
三日留守にしたアトリエで2時間ほど石を彫った。何も変わっていなかった。また続きを彫った。(K)
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