2019年3月16日土曜日

赤い地層

水で研ぎ始めたら、石の表面に黒ずんだ模様が浮き上がって来たので焦った。これは25年放置していた間に染み込んだストーブの油煙か?それとも露結した水滴に付着した有機物?どっちにしてもこの垢は削り落とさねば!と、昨日と今日はずっとひたすら200番の砥石でゴシゴシゴシゴシ、、、永遠に続くかと思われる作業を続けていた。

途中で雨が降った。トタン屋根に当たる音が優しかった。ひんやりして来たらストーブに薪を足す。お腹が減ったらサンドイッチを頬張る。ストーブにかけたヤカンの湯で紅茶を淹れたりもした。

その甲斐あって、やっと花びらがくっきりとピンク色に光り始めた。石の中に挟み込まれていた赤い地層の薄皮が花びらの真ん中にちょうど入った。垢と赤と赫。どれも模様には違いないが、人為的なもの偶発的なもの必然的なものの境界ははっきりしている。 (K)



2019年3月15日金曜日

鳥の羽

山道に鳥の羽が落ちていた。数枚が根元で小さな肉片でつながっている。模様と大きさ形からしてヤマドリか。小動物に襲われたか猛禽類か…。争ったような痕跡もなく他に羽が落ちてもいない。拾って家に持って帰った。
小鳥を一度だけ獲ったトワンを叱ったことがある。鳥の小さな足に紐のようなものがついていて上手く立てないらしく涸れ沢でバタバタしていた。それをめざとく見つけ、バッと噛み付いたから瞬間的に動かなくなった。鳥の死骸を見て悲しくなり思わず頭をひっぱたいてしまった。死骸は道の脇に埋めた。
毎日風呂場でトワンの足を洗うとき時々嫌がる彼にいつも言って聞かせる。
「パパがいつ君に悪いことをした?一度もないでしょう、だからこれも意地悪や罰なんかじゃない、我慢してれば気持ちよくなるんだよ」と。半分?は嘘なのだが彼は疑わなかったと思う。
トワンの思い出話。(画)

2019年3月14日木曜日

記憶の物質主義

愛は記憶なのだろうか?

交通事故で記憶喪失になった友がいた。彼は結婚したばかりの妻のことを思い出せなかった。今朝食事を摂ったかどうかも思い出せない。好きで一緒になったのだから、また好きになればいいじゃないのと言ったのだけれど、人と人の繋がりはそんなに単純なものじゃないらしい。その後子供ができ成人するところまで育てたところで離婚したと、ずっと後で知らされた。

トワンが死んで4ヶ月が経ったが、ますます愛おしくなる。これは記憶だろうか?

 今日は久しぶりにトワンの姿をありありと思い浮かべながら彫った。しなやかな脚、触ると猫のように柔らかな体、愛しいものがいなくなるはずはないのだ。記憶に頼らなければ性質にまで刻み付けられたものとなっていつでも自在に彫れることが分かった。

名もなくなって何処とも知れないところでまたばったり出会うその瞬間、愛し合う者は一挙に記憶が呼び戻され、その人が誰であるか分かるのだそうな。だとしたら、すでにあの世もこの世も同じじゃないの。(K)



2019年3月13日水曜日

経験の継承

僕らが毎日やっているネット対戦ゲームで下手なプレーヤーのことを「AI」と呼ぶ人がいる。始めにやるチュートリアルの対戦相手が練習台として弱く設定されているAIだという所からの発想でもあるのだろうが、プレーで頭を使わず学習能力の低い人のことを指しているらしい。
AIが人の能力を凌駕しているように思われているのと逆の言い方で最初少し戸惑った。
一方で彼らAIの得意な分野が情報や知識の蓄積だとしたら、人が一生かかって得た知識や経験を丸ごと覚えさせ次世代に伝えることで一人の人の人生を無駄にしないで済む、という考え方があると。
AI問題。僕思うんですけども、AIと違って能力も生い立ちも状況環境、感情も全てにおいて違わない人はいないのが人間なのだから、誰かと同じ生き方をしようとしてもできない、という所を逆に利用して、いい絵を描きたければデューラーの真似をすればいいと、それが早道かなと。(画)



2019年3月12日火曜日

裏側の形

今日は鞴に火を起こして鍛冶屋仕事をした。砂岩は柔らかくてスイスイ彫れるのだけれど、ノミの減り具合がとても早い。大理石用のヤスリをこの砂岩に使ってみたことがあるが、あっという間に鉄の方が削れてしまった。だから仕上げは、平ノミと砥石だけ。

切れ味の良いカミソリのようなノミもすぐに摩滅させてしまうこの石は、柔らかい人の肌のようだ。砥石の番数を600番まで上げるつもりだ。もっと赤みが増すだろう。

それにしても、何でいつも裏側に素敵な形が出てくるんだろう?どうせ表から見えないところだし、誰も気が付かない場所なのだけれど。でも、これがまた後で表に影響を及ぼす。だからしっかり彫り上げておこう。(K)


2019年3月11日月曜日

思想の色

芭蕉「奥の細道」。こいつはドキュメンタリー風なものじゃなかったんだね。旅の中で実際にあった事柄や時間の推移を、時に無視したり並べ替えたりしながら、徹底的に芭蕉独自の幻想空間を作り出しているという事に初めて気づいた。それが俳諧という独特の感受性によって色付けされている。
作品を包む決定的な色、作者の思想を表す色は時代の趣味やお仕着せや借り物ではなく、独創的なものでなければ真の作品とは言えない。(画)

2019年3月10日日曜日

水の深さを知る

水の美しさを出せなきゃ月も映えないということが分かった。水平線の位置を高くしたらスッと海が遠のいた。こういう理解がまだゆっくり現れるから何とか追いつけるけれど、一気に来るようになったら死ぬ時だ。今はいっぱい詰め込まれた物語が一つに繋がっていくのを眺めている。あっちこっちバラバラだったものが辻褄が合うのを彫りながら驚き喜んでいる。手を動かさないと話が先に進まないので彫り続ける。解ると、次がまた見えてくる。だから面白くてやめられない。そういうのが彫刻家の仕事なんだ。(K)


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