2020年11月28日土曜日

山のあなた

この山の向こうは切り立った崖だ。ときどき稜線に重機の黄色いアームが見えることもある。この辺りの山は石灰質の地層が広がっているらしい。石灰岩は脆くて砕きやすいのだ。発破で割り、重機で引き剥がし、サイロの中で細かく砕き、コンベアでダンプに載せて首都圏に運ばれてゆく。

でも、30年の間に騒音も埃も随分減った。衰える経済とか沈む日本と危機感を煽るけれど、このアガノ村に関しては、前よりずっと平和になった。コロナのおかげで自治会の簡素化が進んで、無駄な経費は削減され、鬱陶しい付き合いが無くなった。新しい時代は形を変えてやって来るから誰にも予測は付かないのだ。

山の向こう側は西武建材、こっち側は日本鋼管の所有地だ。向こう側は砂利の採掘、こっち側は戦争中には盛んにマンガンを採掘していた。時代の要請と需要に乗っかるようにして自然は壊され利用される。それでも鳥は飛び、リスは梢を渡ってゆく。

ふと思い出した詩のフレーズ、「山のあなたの空遠く幸い住むと人のいう」調べてみたら、ドイツの詩人の書いたものだそうな。日本の小さな子供にまで覚えられるほど有名になった詩なんだね。山のこっち側で見つける覚悟がなけりゃ、向こうに行ってもきっと見つからないのが『幸せ』というものだ。

今朝はライトバンで山に入った。ガハクが拾い集めてくれた枯れ枝が小山になっていた。二人で30分ほど積み込んで、私はそのままアトリエに向かった。ガハクは新しく作った木刀を持って山に向かった。(K)

Uber den Bergen,
weit zu wandern, sagen die Leute,
wohnt das Gluck.
Ach, und ich ging,
im Schwarme der andern,
kam mit verweinten Augen zuruck.
Uber den Bergen,
weit, weit druben, sagen die Leute
wohnt das Gluck.

山のあなたの 空遠く
「幸い」住むと 人のいう
噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて
涙さしぐみ かえりきぬ
山のあなたに なお遠く
「幸い」住むと 人のいう
『山のあなた』カール・ブッセ/上田敏 訳


2020年11月27日金曜日

音楽の効用

夜寝る前にガハクはギターを弾くようになった。私も夜にバイオリンの練習をする。同じ曲を弾いているので、だんだん上手くなって来たら合奏してみたりするけど、ほとんどそれぞれ独りで弾いている。

「独りでやれないものは、皆んなともやれないよ」とガハクが言う。絵だって独りで描けない人にはその楽しさは分からないと言う。楽器もそうだな。下手でも独りで弾いて楽しいという気持ちが湧いてくればこそ、とつとつと音を並べて愉快な気持ちにもなるんだ。芸術は孤独な場所から始まるようだ。熱意は一人の中に生まれて、やがて他の人の熱意や共感に繋がっていく。

妻の肖像がすっかり描き変えられていた。音楽が鳴っているみたいな空間だ。(K)



2020年11月26日木曜日

変わらぬ天使

この人だけは描き変えられずにずっとそのままだ。
こんなにくっきりと余計なものを何も纏わず、曖昧なものを全て排除した姿で描かれているのに、生き物のグロテスクさがない。猥褻じゃない。白く塗ると陶磁器のように冷たくなるのに、この人には尖ったところがなくてあたたかい。
こんなに大きいのにだれも気にしていないようだ。見えていないんだな。見えなけりゃ無いものとするのが大方の人のやり方だ。突然ぶつかったら、さぞびっくりするだろうな。僥倖だと思えないだろうな。この人の眼差しの届く所には、歌がある。(K)


 

2020年11月25日水曜日

根を下ろす

モミジの種子はプロペラみたいな翼を持っていて、風に乗って遠くまで飛ぶ。降りた場所がたまたま岩の上でも、そこに少しの窪みと土があれば、こんなに大きくなる。それに、もう根っこが地面まで届いて岩を抱いているじゃないの!

この木が邪魔だと思う人間が現れない限り、いや、この岩を動かそうとする重機が出動しない限りは、ここにずっと生息し続けて行くだろう。山のあちこちに 小さなモミジの苗が生え出ている。緑一色だった植林の森が、たかだか30年の間にだんだん紅葉樹で色が付いて行くのを眺めている。(K)



2020年11月24日火曜日

桜の老木の台

 どうも彫りにくいので、また元の台に載せ替えた。(高さが低いし、音が響いて煩かったのだ)彫り始めてホッとした。かちっと受け止めてくれる。無駄な音や振動が無いということが、如何に気持ちを楽にさせるか分かった。

この丸太は桜の木だ。すぐ近くの小川の縁に生えていたのだけれど、だいぶ腐って来ているし危ないからと、村の電気屋さんが隣の車屋と相談して、ユニック車で釣り上げてもらいながら伐り倒したんだ。しばらくしたら声がかかった。「邪魔だからストーブの薪にでも使わねえか」と言われれて近くでつぶさに眺めたら、まだしっかりしている。木目が緻密で美しい木だ。石の作業台が二つもできた。こうやって、もう20年以上使っている。(K)



2020年11月23日月曜日

木刀の行方

 作ったばかりの木刀が、二日目にして失くなった。林道脇のガードレールに立て掛けておいたのに、どこを探しても見つからない。木刀と言っても、山で拾った杉の枝だ。曲がり具合が良いのを 使いやすい長さに切ってヤスリを軽く当てただけの何の変哲もない棒を わざわざ持って行く奴がいるだろうか?

そこで思い出した!近くの駅に続く道の傍には、ハイカーが置いていった棒が何本も立て掛けてある。邪魔でもないし、誰も片付けないからそのままだ。置いて行った人は、次の人に「どうぞ使ってください」という気持ちかもしれない。ガハクの木刀2号もそんな風に、どこかの駅の近くに放置されてるのかもしれないな。

残念だけど仕方がないので、木刀1号を再び復活させたガハク。折れた箇所をボンドで補修して、タコ糸でガッチリ巻いた。「今日はガードレールの後ろの目立たない所に横倒しに置いて来た」と言う。木刀というのは、そもそも地面に突き刺したり立てたりはしないものなのだそうな。刀と同じ扱いをしてこそ技が身につくというのだ。なるほどと感心した。鋭い刃先を天にも地にも向けずに、そっと横に倒して静かに置く。『抜いた時は死ぬ時』という極意通りだ。(K)





2020年11月22日日曜日

変容する赤い街

今朝ガハクが、「『赤い街』も描き直そうと思う」と言い出した。去年デナリでやったKとガハク展のメインに据えた絵だ。すでに発表した作品なのに平気で描き変えるのねと言うと、「そんなもんじゃないって分かったからさ」とキッパリとした様子だ。

芸術の純粋が伝わる為には成熟した場が必要なのだと分かった。そういう環境が整うなんてことが、本当にあるかどうかも怪しいもんだ。試練を経て、ガハクは変わった。生まれ変わったに等しいほど、この人は強くなった。

黒い服を着た人は、スエデンボルグだそうだ。彼の後ろから大きな天使が付いてゆく。まだ霊眼が開かれていない彼は、今日も忙しそうだ。(K)







 

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