2020年5月2日土曜日

やわらかな人々

「これから使う色は今までとは全く違うものにする」と宣言していた意味が今やっと分かった。色というのは形を変え、内側から膨らませることができるんだ。ほんとうに色が使える人はそういう風なことを絵の中で楽しんでいる。

手が炎の中から伸びているのに気が付いた。花の影にいる子供らしいけれど、善い者のようだ。可愛い手だもの。手を見ればその人の生活や情愛の性質が分かる。ぷっくら優しい赤い指先を持つ子と、純白の衣に包まれた子が仲良しになれば、ピンク色の花が咲くというわけだ♪(K)


2020年5月1日金曜日

歌う人

「小鳥が歌うように描けたらなあ」と言っていたガハクが、黄色のドレスの女性に歌わせ始めた。この人は前はじっと佇んでいただけだったの。猫を抱いている少年の目が生き生きとして来た。森が歌に合わせて揺れている。もうガハクの絵は、漫画とかアニメを超えたね!他人の目を気にしなくなったのね。

その日が来てそこに二人の者がいれば、一人は取られ一人は残される。それでもいつか再び会う日がやって来る。憎しみ合っていた者同士は、すぐに掴み合いを始めて永遠の殺戮を繰り返すそうだけど、愛し合っていた二人なら、力いっぱい大きな声で歌うのだ。

そんなことが浮かんで来た春の宵、ガハクが楽しい絵を描き始めた。(K)


2020年4月30日木曜日

悲壮感

昨日、絵を描いていて悲壮感に包まれたというガハク、そういう時は決まってトワンのことを思い出しているらしい。トワンはいつもそういう暗い気持ちや重い感情から救ってくれていたんだ。

背中に翼を彫っている。なかなか地味な仕事だ。細い平ノミで形を少しずつ探っている。やっと背中のうねりが出て来た。あとは空中の透明な翼に繋げれば成功だ。

うたた寝にトワンが現れるようになった。昨日は畑にぴょんと飛び込んで来たし、今朝は山から声が聞こえ、午後の休憩時に足元で見張ってくれた。目を開けたら、気配がまだ残っていた。傍にいてくれるようになった。だから、猿にも怖じけず、鬼に対峙出来るようになった。天使がいなけりゃ力は湧いて来ない。トワンは天使だ♪(K)


2020年4月29日水曜日

美を捨て善を取る人

宮沢賢治「文語詩稿 一百篇」評釈(信時哲郎著)を読んでいるガハクが、ときどき面白いところを見つけると、私に話してくれる。賢治が何度も何度も推敲して行く中で、何を捨て何を加えたかということを手がかりにして、彼の最期の姿を浮かび上がらせようとしている本なのだそうな。

誰しも自分の作品を最高のものに仕上げて後の世に残したいと思うものだろうに、賢治はそうではなかったそうだ。人の口に慣れ親しみやすく、覚えやすく語られやすい言葉に変えている。そうやって大事なことを伝えようとしている。それは詩作と言うより、まるで標語作りのようだと書いてあるそうだ。そんなことをしたら芸術の特性である個性と呼ばれる自分の痕跡を消すことになる。そんなことをわざわざ死の直前までやっている人、やれる人がいたことに驚く。

見えて来るもの、降りて来たことを引き受けて、形にする為に最期の時間を使った人たち。その最後の力のことを思うと勇気が湧いて来る。(K)


2020年4月28日火曜日

新しい歌

夕飯を食べながらガハクが、
「まだ手が震えるんだよね。だいぶマシになったけど」と、ハンバーグに添えた野菜を箸で掴んで空中でしばし停止させて見せた。
「だから、まだ細い筆を持つ気にはならないんだ。しばらくは大きな筆で広いところを塗って行こうと思っている」とのこと。

この木は描き直されてずいぶん元気になった。新しく描かれるものの方がいいに決まっている。そういうことがすっかり分かっちゃったんだ。同じことを同じように正確にきっちりとやれて金が入っていればやっている気がしているのは勘違いだった。弱いところ、死にそうなところを見つけては息を吹き返してやる。そういうことをやっていると中から楽しさと喜びが湧いて来るんだ。

ガハクが使っているエキスパンダが面白そうなので、私もやるようになった。二本のバネをぐっと両腕で広げる。20回くらいがちょうどいい。そのうちバネが3本に増えるだろう。じっとして使わないでいると筋肉は毎日6%減るのだそうな。少なくて4%で、鼠算式に加速するからガハクもあっという間に32kgまで体重が落ちた。脛の骨が角材のように露わになっていたのを思い出しながら、今やっとふっくらしてきたピンク色の脚を触っている。リハビリは、自然に筋トレの方へと移行して行く。当然の流れだ。

絵の中の森が、わうわう大きな声で歌い始めた。「新しい歌を唄いなさい」と聖書に書かれてあった通りのことを今ガハクは絵でやっている。大きい筆で大きな声で愉快な歌を♪(K)


2020年4月27日月曜日

飛来した方舟

方舟がすっかり描き直されていた。帆布のようだった屋根が、銅のような光沢を放っている。金属的にしたいのだそうだ。空をうんと狭くして方舟を山の一番高い位置に置いたのは、あそこがアララト山という訳か。この絵は、洪水以前なのか、以後なのか、ずっと気になっていたのだけれど、やっと分かった。船を作るときは何処でもいいんだものね。何処にいようと水は必ず押し寄せて来るんだから。

パレットの掃除をしながらガハクが、「ゆっくりゆっくり良くなっていますというのは、死ぬことはなくなったけれど、どこまで回復できるかは分からないという意味だったんだね」と言う。命が助かるだけじゃダメなんだな。その先の生き方がどうかということが問題なんだ。

混濁した状態から抜け出してやっと話せるようになって最初に言った言葉が、「美味しいものを食べてね」というのと、「もうぞうけいは止めようと思う」というのだった。この二つのことが象徴的にこれからの生き方を示している。ガハクが今夜この二つの意味を話してくれた。

自分のことはまるっきり考えてなかったのだそうだ。この人には元気に生き抜いて行って欲しいという願いで話したことだという。
 「見栄やプライドは捨てて、お金が無くなったら生活保護を受けてもいいんだよ。美味しいものを食べて体を作って明るく元気に生きて行きなさい。やりたいことを思いっきりやって行きなさい」というガハクの遺言を今二人で実行している。(K)


2020年4月26日日曜日

爽やかな日曜日

彫刻の背中を投光器で照らしながら彫っていると、こっちの背中がだんだん暑くなって来る。電球が300wだからだ。ならばと、ドアを開け放ってみたが、外の光は散漫で大理石の襞をぼかしてしまう。仕方がないので、面倒だけど石をぐるっと回して彫ることにした。

若葉が目の端に入って気持ちがよかった。爽やかな風が通り抜けて行く。一昨日猿が1匹現れたが、何も盗られなかった。畑のネットは完璧だ。

ガハクが生還してからは、毎夕まだ明るいうちに帰るようになった。アボカドの植え替えたばかりの大きな鉢を眺めてすっきりとした気分に浸り、萎れていた白いデージーがまた元気になっているのを見て喜んだ。

何が死にそうになっているか、見逃さないようになった。気が付いた時にすぐに動けば間に合うものなんだ。愛は行爲を生む。不安は自堕落を蔓延らせるだけだ。(K)


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