2018年9月8日土曜日

新しい顔

昼間見た夢に出て来た顔。若い女の顔。実はこれはKの顔だ。しかし内実の顔なのだ。しかし嘗てそれを見た人がいたと思える。側にいた僕には今まで見えなかった。そして今もその顔は存在する。その顔を描きたい。描けるかどうか分からないが、自分の内部にあるイメージが本当に出さえすればきっと描ける。(画)

2018年9月7日金曜日

美が隠されている所

今夜は晴れ晴れとした気分だ。この男の背中の辺りは、ほんとうに彫りにくい場所だった。ここに太い枝を彫ることにしたのは、だいぶ後になって考えついたことだ。だって、いざ彫るとなると大変な労力と時間がかかるのは分かっていたから。でもやって良かった。砥石の番数が上がるにつれて浮き出てくるピンク色。木の中の血流はドクドクと大きな音を立てて注がれる。蘇る人の方へと。(K)

2018年9月6日木曜日

描けない苦悶

見えているものがうまく描けないという苦悶は、オレは何を描いたらいいのか何を描くべきか…それが分からないというもっと深刻な段階に落ち込んだ時に終わりを告げた。それ以来描こうと思うものはいくらでもあるし何を描いたっていいんだという自由感を得た。そしてそれが描けるかどうかなんてのは問題ではない。むしろ描けるからこそ構想が浮かぶに違いないのだ。

終わりにできないかと思ってやってみたが、ついにこれ以上やることがなくなってきたみたいに思える。この絵ともお別れか。(画)


2018年9月5日水曜日

人間天使

 人間天使は、ほんの僅かだけど確かにいる。彼の目の明るさは、相手に自分を映さないからなんだ。そういう目に見つめられたら、パーッと辺りが明るくなって爽やかな気体に包まれる。そういう存在を知っている。

自分を忘れて夢中になれる人が、ふっと思い立ったように動かされるときのその足取りの軽やかさ。それは功績の善とはほど遠く、いつも小さな愛しいものの方を見つめている。

そういう美しい顔が彫れたときは本当に嬉しかった。その視線に照らされながら生きていれば命は乏しくならなくて、ずっと楽しくやって行けそうだ。(K)


2018年9月4日火曜日

空の器その2

「残り少ない余生を独立と貧困のうちに送ろうと決めた」という一文がルソーの『告白』にあった。続けて、
「世評の評判を断ち他人の判断をいささかも気にかけずに、ただ自分がよしと思われることだけを敢然と行う」とも。
彼が大病を患いベッドで熱に浮かされている間に思いついたことを、病癒えて後冷静な頭で再考し確認した結果の決意だったそうだ。全てのものが自己から奪い去られるという恐怖を体験した人は体の中身が入れ替わるのだ。
今の我々はまさにこんな感じ。世間など気にせず自己のニュアンスだけを羅針盤にして舟を前に進ませよう。(画)


2018年9月3日月曜日

空っぽの器

清涼な風が吹いた朝、バラの花びらが欲しくて庭に出たら、一輪しか咲いていなかった。それをハサミで切って花瓶に挿して教室の机の真ん中に置いた。午後になって子供らがやって来たので、さっそくバラの花びらを一枚ずつ引き抜いてもらって、花びらの絵を描いた。花びらの形をした紙粘土のお皿も作った。ピンク色の絵の具を塗ったら、甘い香りが広がった。花に惹かれて手を伸ばせば、喜びも意欲も自然に湧いてくるものなのだ。

夜遅くなってアトリエに出かけた。小雨が音もなく降り注ぐ畑でごそごそとオクラを摘んだ。 今年はオクラとカボチャは大成功でよく採れる。

光の柱に600番の砥石をかけたら、バラの花びらのようなピンク色が浮き出て来た。器を空っぽにしなくちゃ新しいものは入れてもらえないのだから、勇気を出して前進しよう。(K)

2018年9月2日日曜日

ガジュマルの花

木の夢を見た。
お花畑のように明るい場所に一本の木があり空に枝を伸ばして成長して行く。それが見上げるほど大きくなったと思ったら、その途端すっと輪郭がぼやけて形が見えなくなりそうになった。足元を見ると別の木が成長し始めていた。再生が始まったのだ。若々しい木肌と明るい緑の葉。花は?そうださっきの大きな木には花が咲いていた。どんな花だっけ?
思い出そうとしてハッとして目が覚めた。揺り椅子に座ったまま眠っていたのだ。目の前に絵があった。(画)

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