2018年12月15日土曜日

愛の行方

あれだけみんなでトワンに注いでいた愛はあの子が死んでしまった今、どこへ行っちゃったんだろう
土の下にトワンと一緒に埋めてしまったとは思えないし
行き場がなくてその辺に溜まっているとも思えない
空気の中に広がってしまったのかなぁ
いやきっとどこかにあるのよね、でもどこに?
と聞かれた。
僕らはトワンの中に愛があるのを見つけた。だから見るということは愛を探すということだと初めて分かった。だから今こそトワンへの愛は僕らが作る絵や彫刻の中に定着されるに違いないのだ。(画)

2018年12月14日金曜日

真空を埋めずに月を見上げる

森の闇に吸い込まれる鹿と、月の光を浴びている男。このふたりはすぐ傍にいながら異空間に立っている。今夜やっとそういう感じが出て来てホッとしている。

何度もさらって彫り直している背後の空間。平ノミの当て方ひとつでパッと輝く森。一気に進むこともあればじりじりとしか進まないこともある。良いものが出来て来ると何があっても楽しい。

水を汲みに外に出たら雲間から六日の月が出て来た。淋しいけれどこの真空に持ち堪えることが自由への道なんだ。(K)



2018年12月13日木曜日

小鳥たち

山に入ると鳥の声が近くに聞こえる。ギャーギャーとうるさいのはヒヨドリだ。人を警戒して鳴いているようだ。シジュウカラのような鳥は群で行動する。鳴き声が遠く近く、あちこちから聞こえ取り囲まれていると感じる時がある。今日は小さな影のようなミソサザイの姿を見た。
タルコフスキーが最期の時を過したパリの病室に毎朝訪れたという小鳥、それは彼に天界の光を伝えに来たという記述を読んだ。そうだ、確かに小鳥たちは天界に属している。
自然の中にいると事物は全てそこに在ると同時に別の次元の世界とも繋がっていると感じられる。むしろそうでなければ存在そのものがあり得ないと思えるようになった。(画)


2018年12月12日水曜日

風と光と水の交錯

トワンを包む卵の気流が膨らんでやっと森と繋がった。とおめいな丸い球の構造がだいぶ分かって来たので、思い切って彫っている。風が球の後ろに回り込むように、海の底まで光が射し込むようにと。

あと、光に包まれた温かく柔らかな霧雨の空間も作りたい。今夜はピアニストのいる空間の奥行きも見えて来たから、パステルの色で陰影を描いておいた。

常に発見がなければやって行けない、生きていけない。これは冒険なんだ。(K)


2018年12月11日火曜日

発達する森

森は大きくなる。
35年前、飼い猫を連れて引っ越してきた時、街に住んでいた頃よりずっと逞しくなった猫が獲物を獲りに行くその森は今よりずっと小さかった。その猫が死に森に埋めた。この地で飼った犬が死んだ時もその同じ森に埋めたのだった。
今毎日森に散歩と称して登っていき、枯れ木を集めながら一緒に行動していたトワンの姿をどこかに見ている。森はずいぶん大きくなった。木が育っただけでなく、トワンが死んだおかげでさらに大きくなった気がする。(画)


2018年12月10日月曜日

トワンの森

森の中の道を彫り直した。鳥の真下に広がる樹海は、踏み台に乗って少し高い位置から彫っている。

ここはトワンと一緒に歩き回った森だからどこもかしこもよく知っている。小さな沢を辿って水が浸み出している所まで行ったこともある。彫っていると懐かしい風景が蘇って来て淋しいやら楽しいやら。トワンが死んだからこそ見えて来た世界をもっとはっきりと刻んで行こう。(K)


2018年12月9日日曜日

何度も撮り直す

タルコフスキーは自作を何度も撮り直していると聞いた。それは最初のプリントが興行権を得なかったので、どうせ発表できないのならこの際気に入らない所を撮り直そうと、要するに修正の為の時間ができたのだそうだ。
売れなかったことが作品を推敲する時間を与え、結果的にあの一連の秀逸な作品群を生んだということになる。
なんだか我々と被る話のような。。

『ガジュマルの樹』女の子に着物を着せた。描き始めた頃の姿に近くなった。(画)



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