2020年7月25日土曜日

怖ろしい夢

ガハクは入院中、ほとんど眠れなかったそうだ。「眠らなくても良いんだろうか?」とよく言っていたものだ。そのうち眠剤が処方されたが、それでも「ちっとも効かない」とボヤいていた。だからあまり夢は見なくて、ベッドの周辺で起きた慌ただしい音や聞こえて来る会話から想像される事件やトラブルのことを 面会に行くとよく話してくれたのだった。

退院した後でその一つ一つを検証して分かったことだが、入院中の前半は妄想で、後半の部分は確かに起きた事であることが判明した。ダイナミックでとんでもない話は、混濁した意識の中で見られたり聞かれたものだった。

医師がやって来てガハクと絵の話を始めた。そのうち絵の値段の話になって、あれこれ絵を物色し始めるのを眺めながら「その絵はやめた方がいい。こっちの方がいい絵ですよ」とアドバイスさえしたそうな。救急車に乗った辺りから記憶が怪しいガハクが、ベッド以外はどこも歩き回ることさえ出来なかった広大な国際医療センターの玄関にあるでっかい高さ10メートルほどのキャンバスに描かれたヒポクラテスとナイチンゲールの2枚の絵のことを知る由もない。退院した日も救急車に乗って大学病院に転院したから、見なかった。なのに、絵の値踏みをする医師たちと商談をやったそうな。ちょっとリアル過ぎないか?

30年前に書いた詩を20年前に銅版に刻んで8年前に展覧会に出した。それをまた今刻み直している。意識の活動は時空に縛られない。死とか生とか問題じゃない。自分の意識の行方を引き受けることだ。(K)


2020年7月24日金曜日

知性が悠々と飛び立つ

今日は、三重に巻いた紐の重なりを飽きもせず、焦りもせずに彫っていた。ときどき雨を眺めながら。こういう感興に居られるのは、体調が良いからなのだろう。

ガハクの薬が無くなって今日で2週間が経つ。今朝は足の指の間にバンドエイドを貼っていた。「小石が挟まっているような感じがして痛い」と言う。足からどんどん抜けて行く浮腫みが、体の中で何が起きているか教えてくれる。もう少しで体内の水が全て入れ替わるという感じだ。ガハクの体は、支えていた薬からの離脱を経て、いよいよ飛び立つ。

急須でお茶を淹れながら、急須のことはもう考えていない。それでいいんだ。お茶が美味しければ。感情の安定が得られれば、知性は悠々と活動する。(K)



2020年7月23日木曜日

版画室20:20

版画室を覗いたら、ホットプレートの上で温めた銅版にインクを塗っている最中だった。そして、インクを拭き取りながら、
「これがけっこう腕力が要るんだよ。女の人でもやっているけど、よくやれるなあと思うよ」と話す。その間ずっと手だけは激しく動いていた。溝の中にインクを残して、周りがどんどん光って行く。

この拭き取り具合がそのまま紙に移るのだから、ここで話しかけてはいけない、気持ちの集中が途切れないようにと気遣っていたら、
「いやあ大丈夫だよ、慣れてるから話しながらでもできるよ」と笑っていて、何も特別なことはないのだそうな。そこには秘密も神秘もなく、いつものようにただ手が動くだけ。

そういうガハクにとっては、優生思想なんていうのは人類が乗り越えるべき下劣なもので、それはもう分かり切ったことなのだ。(K)


2020年7月22日水曜日

三つの風景

今朝、山散歩中にサングラスを壊してしまったガハク、ずいぶんガックリしてとぼとぼと歩き出した。その時の景色と言ったら、、、、

サングラスが無いと目が眩しい。ガハクは光に敏感なのだ。鼻に引っ掛けるだけでもとポケットから取り出してはめてみたら、ツルが片一方でも使えそうだった。少し風景が明るくなった。

ふと思い立ち、改めてメガネの構造を仔細に観察したら、どこにも部品の欠損は見当たらない。スポーツ用アイウェアは、全てプラスチックの嵌め込み式で出来ている。グッと押し込んだら、パチンとハマった!
「気落ちしている時ってずいぶん視野が狭くなるものなんだねえ。直った時には、周りの風景や見えるものが変わるし、遠くまで見えるし、明るかったよ」と、語ってくれた。

袖の皺をすっきりさせた。線が柔らかくなって、肩から指先までの流れが見えて来た。自分の分かる形を追求することだ。その形はシンプルだ。(K)



2020年7月21日火曜日

妙薬の木

山の中で皮が剥がされている木を見つけたガハクが、「熊だろうか?でも爪の痕が無いんだよね」と言う。鹿が幼木の皮を食べちゃうという話は聞いているけど、太くなった木の幹は食べないだろう。人がやったことだとしたら、何の為に?

ふと思い出した。子供の頃に真っ黄色の薬用酒を見せられたことがある。一升瓶の酒に漂う木の皮は『キハダ』から採ったものだと教えられた。早速ネット検索したら、すぐに出て来た。梅雨時が採取に適しているという。まさに裏山の傷つけられた木の幹の姿そっくりではないか!

山菜ブームが去ったかと思ったら、野鳥をおびき寄せる罠を仕掛ける人がいたり、とうとうキハダの採取人まで現れた。誰も来ない放ったらかしの山だと思っていたが、ときどき変わり者にも遭遇する。

この山にMTBでガハクと登っていた頃、山頂でトライアルオートバイの一団に出会ったこともある。コースを作りたいと、チェーンソーまで持ち込んで、木を斬ったり石を退かしたりしていた。同じトライアルでも自転車の方が平和だ。排気音もしないし、聞こえるのは自分の呼吸音だけだ。あの時、彼らにも驚かれた。「ここまでこの自転車で登って来たんですか?すごい体力ですね」って。まあ、今はとても山のてっぺんまで漕いでは上がれないけど。

山が人を呼ぶのか、人が山に会いたがるのか。役に立つ木のキハダは度々皮を剥がされるけれど、こうやって少しずつまた水を吸い上げて生き続けている。

放っておいて欲しいと、山の小鳥たちとガハクは言っている。ガハクの絵に『薬草を採る中国人』というのがある。私が山で蔦を引っ張っている姿が面白くて、描いたのだそうな。楽しい山の絵だ。(K)


2020年7月20日月曜日

芸術を消費する奴ら

「今日は150回くらい振ったかな」と言うガハク、腕がずいぶん太くなった。『片手斬り』も出来るようになりたいのだそうな。中学校の頃から左手を強くしたいという念願があって、それが今やっと叶いそうなのだ。夢中になって練習していたという子供の頃の剣士も、今ほど暇じゃなかったということだな。

目的によって知られる人の無垢は、褒められもせず、知られもせず、独り面白いからやっているのですという世界なのに、今はすっかり当たり前のように作り手までもが消費することを目論んでいる。互いに小さな欲望で引っ張り合っているから、腕がすっかり細く病んで、腐って行く。

丈夫な体を作らないとと思って始めたことが、今は面白くて仕方がない。(K)


2020年7月19日日曜日

筋トレ6年

昨日は21度だったのに、今日は30度近くまで上昇。いつものように筋トレから始めた。筋トレはもう6年続けている。大きなレリーフを彫ろうと思った時に、腰痛防止の為にやることに決めたのだった。

どこかで読んだ話に、「もしあなたがダイエットしたければ、壁に貼った紙にただ毎日の体重を測って、それを記録するだけで効果が出ますよ」というのがあった。書くという行為が意識に変化をもたらすと言うのだ。毎日やったことをただ書くだけ。継続する為に書く。大きくても小さくてもその目的や到達点のことは置いておいて、とにかく今を記録する。続けると言う行為はそういうことだ。確かに今日まで続いている。

6年前は、腹筋の首上げと脚上げ、腕立て、スクワットから始めた。腕立ての回数は最初は5回だったのが、今は丁寧に深く15回。その後、コンニャク体操とフットワークと腿上げも加わって、7項目になった。腿上げはガハクが入院中に学んだリハビリメニューの一つで、良さそうなので私もやることにした。足が軽くなる。

仕事の筋肉はその作業の中で鍛えられるものだと思っていたが、30代から腰痛に悩まされ、体も壊し、カイロプラクティックにずいぶん時間もお金も費やしたけれど完治することはなかった。で、気が付いたんだ。体を作りながらやらなければ到底辿り着けないと。

仕事しなくても筋トレはする。石を彫らなくてもサイクリングはする。そんな気持ちで毎日出かけている♪(K)


よく見られている記事