この辺りの山の上空が、透き通った金色に染まっているのを見た。昨日の夕方のことだ。たまたま街に買い出しに行った帰りに 高架の坂を上り切った瞬間、「わっ!」と叫んだほどそれは美しかった。沈みかかった太陽の光が、空一面の雲に遮られ、山と雲とのわずかな空間で激しく輝いていたのだ。
今朝は二人とも早起き。ガハクの山散歩は何と7時台!霧と雨の中間くらいの小さな水滴がときどき顔に当たる。森は少し秋の色になって来た。(K)
この辺りの山の上空が、透き通った金色に染まっているのを見た。昨日の夕方のことだ。たまたま街に買い出しに行った帰りに 高架の坂を上り切った瞬間、「わっ!」と叫んだほどそれは美しかった。沈みかかった太陽の光が、空一面の雲に遮られ、山と雲とのわずかな空間で激しく輝いていたのだ。
今朝は二人とも早起き。ガハクの山散歩は何と7時台!霧と雨の中間くらいの小さな水滴がときどき顔に当たる。森は少し秋の色になって来た。(K)
心を入れ替えることにして、今日で5日目。今朝は9時半にアトリエに着いた。昨日入り口付近の草を抜いておいたので、さっぱりとした軒下の地面に愛車のMTBを置き、ヘルメットを外しながら畑の見回り。動物の侵入した形跡無し。いつもと違う行動様式を取ると何かしら緊張感と恐怖があるものだが、今日は全く無かった。死のイメージ、滅びの感傷、嫉妬の呪いが及ばないところに辿り着いた時に、やっと夜が明けた。(K)
赤い鳥というとアカショウビンを思い出すが、この鳥はかなり大きい。
「水から飛び立とうとしている姿にしたいのだけれど、なかなか上手く描けないから、滝を描くことにした」というガハク。激しく落ちる水しぶきが水面を揺さぶっているところに及んでは、さらに難しくなってしまって困っているらしい。次々と問題が湧き上がって来る。生きている絵とはそういうもんだ。
でも、遂に水が動き出した。風を描くより難しいだろう。みんなが知っているようで、実は知らない世界だもの。写真を見ながら描いている人が絵描きと呼ばれるコピー時代。そのコピーのネタ元だって判然としなくなって、お互いが「あいつは俺の真似をしている」と言い合っている。
ずっと昔からそうだった訳じゃない。中世の経済のシステムが解き明かされて来たという話を聞いた。あの頃はまだ虚業が無くて、実際に必要な食糧や物の生産力が上がって来た時代なのだそうな。世の中が豊かになった時に余剰が文化を生むを信じて来たのは、間違いだった。その後の時代の経済は欲望と一体となり要らない物が必要なものに思わせられるという奇妙な感情を植え付けられた。だから、目までとろ〜んと溶けちゃって、どうしましょう。意識の革命を笑う人ばかり。(K)