2020年9月19日土曜日

上空が金色

この辺りの山の上空が、透き通った金色に染まっているのを見た。昨日の夕方のことだ。たまたま街に買い出しに行った帰りに 高架の坂を上り切った瞬間、「わっ!」と叫んだほどそれは美しかった。沈みかかった太陽の光が、空一面の雲に遮られ、山と雲とのわずかな空間で激しく輝いていたのだ。

今朝は二人とも早起き。ガハクの山散歩は何と7時台!霧と雨の中間くらいの小さな水滴がときどき顔に当たる。森は少し秋の色になって来た。(K)



2020年9月18日金曜日

トワン再び

 心を入れ替えることにして、今日で5日目。今朝は9時半にアトリエに着いた。昨日入り口付近の草を抜いておいたので、さっぱりとした軒下の地面に愛車のMTBを置き、ヘルメットを外しながら畑の見回り。動物の侵入した形跡無し。いつもと違う行動様式を取ると何かしら緊張感と恐怖があるものだが、今日は全く無かった。死のイメージ、滅びの感傷、嫉妬の呪いが及ばないところに辿り着いた時に、やっと夜が明けた。(K)






2020年9月17日木曜日

赤くて大きな鳥が飛び立つ

赤い鳥というとアカショウビンを思い出すが、この鳥はかなり大きい。
「水から飛び立とうとしている姿にしたいのだけれど、なかなか上手く描けないから、滝を描くことにした」というガハク。激しく落ちる水しぶきが水面を揺さぶっているところに及んでは、さらに難しくなってしまって困っているらしい。次々と問題が湧き上がって来る。生きている絵とはそういうもんだ。

でも、遂に水が動き出した。風を描くより難しいだろう。みんなが知っているようで、実は知らない世界だもの。写真を見ながら描いている人が絵描きと呼ばれるコピー時代。そのコピーのネタ元だって判然としなくなって、お互いが「あいつは俺の真似をしている」と言い合っている。

ずっと昔からそうだった訳じゃない。中世の経済のシステムが解き明かされて来たという話を聞いた。あの頃はまだ虚業が無くて、実際に必要な食糧や物の生産力が上がって来た時代なのだそうな。世の中が豊かになった時に余剰が文化を生むを信じて来たのは、間違いだった。その後の時代の経済は欲望と一体となり要らない物が必要なものに思わせられるという奇妙な感情を植え付けられた。だから、目までとろ〜んと溶けちゃって、どうしましょう。意識の革命を笑う人ばかり。(K)


2020年9月16日水曜日

踏み台の改造

何度も作り替えられて来た踏み台に、また新しい板が貼り付けられた。途中の段が33ミリ高くなって、トントンとリズム良く上り下り出来るようになったと、本人大満足である。

私なら我慢してそのまま使い続けるだろう。気にいるまでやる人の作ったものは、考え方や美意識の歴史が読み取られて面白い。この板だって「ちょうどいいのがあった」と、物置から引っ張り出して来たまな板用の板なのだ。

でもガハクが感動していたのは、鋸がスイスイ引けたこと。ずいぶん腕の力が付いている。ところで、塗装はするのかな?(K)


2020年9月15日火曜日

オリーブ畑のような

ときどき雲間から薄日がさす爽やかな朝だった。玄関を開けたらサワガニが1匹待っていた。指で突いても動かないので死んでいるのかと思ったら、朝陽を浴びてぼんやりしていただけだった。慌てる様子もなく、ゆっくりと地面に降りて歩き出した。

山の中は、今日も小鳥の群れで賑やかだったそうだ。頭の上を行き交う鳥たちの声に包まれて歩いていると、蝉の声が聞こえない。夏が終わったことを知る。

ゴロゴロと石だらけだった鉱山跡が、今はこんなに緑に覆われている。ここはオリーブ畑のあるあの丘だと言われたら、あゝそうだと思うだろう。光の具合がいいのは、梢が優しいからだ。善き意思あるところに流入ありだ。(K)


2020年9月14日月曜日

生きて行く為の戦略

今夜は肉ジャガにした。食べた後に体重計に乗ったガハクが、「わっ!」と叫んだ。なんと、59.5kgもある。結婚して以来こんな数字は見たことがなかったので、近寄って自分の目で確かめた。秤が壊れていないか私も乗ってみたが、本当だった。

人工呼吸器と薬の注入で助けられたガハクが、今は日々の食べ物と運動でじりじりと力を付けている。腰の周りをパンパン叩いて見せながら、「ほら、こんなにガッチリして来たよ」と嬉しそうだ。贅肉ではない、確かに筋肉だ。
生きて行く為の戦略に大事なものが抜けていたのを知った。今それを実行している。ガハクの生還が、ゼロからの出発を教えてくれた。

胸と顔に#600の砥石をかけている。キズがあれば、また元に戻って研ぎ直しては、また進む。瞼のような繊細な場所は、砥石を荒砥で尖らせてから使う。ガハク像も逞しくなって来た。(K)


2020年9月13日日曜日

新しい筆

「筆買っていい?」と聞かれて、「いいよ」と答えたのが4日前。昨日届いた。今回は、豚毛の6〜10号のを9本で、六千円ちょっとだった。また大きな絵を描けるだろうかと言っていたガハクが、退院して半年の間に筆を2回も注文している。

昨夜覗いた時は地面だけがクリーム色だったが、今夜は空にまでクリーム色が広がっていた。「少し青を残しておこうと思ってさ」と空を見上げたガハク。山の上にくっきりと方舟の白い屋根が見える。40日間降り続く雨に耐えられるようにと油引きされた帆布が、朝陽に照らされて光っている。

今朝のガハクの山散歩は、小鳥の声でたいそう賑やかで煩いくらいだったそうだ。梢からリス飛び出して来たり、すぐ近くで鹿が鳴いたりと、皆が森の中に大集合したみたいだったという。(K)


トワン以降

 太陽が斜めに傾くと、月の軌道は反対にだんだん高くなる。こういうことを実感を持って知ったのは、この谷に住んでからだ。冬の満月がなんと優しく鮮やかに冷たく凍った森を照らし出すことか。冬の乏しい日差しを補うのには十分すぎる美しさだ。白い人を見たのが真冬の真夜中だったのは、清潔なあの青く澄んだ気体が必要だったのだろう。光が無くなることはない。

アトリエに毎日トワンを連れて通っていたことを思い出した。あの頃は寂しかったんだな、独りで誰にも見られずに過ごすことが。トワンでさえ、一年経ってもう子犬じゃなくなった頃、車に乗るのを拒んだくらいだ。「この家にずっといたい!」という意思表示をしたので、犬でさえアトリエの殺伐とした空間を感じるのかとガックリしたものだ。それからはトワンとガハクはいつも一緒にいるようになった。私が逞しくなったのもその頃からだ。

トワンが死んでからはもっと変わった。邪念が湧いてくるのは仕方ないとしても、車の運転時や自転車で夜道を走っている時は危ないので、トワンを呼ぶ。今夜も嫌なことを思い出したので、「トワン!助けて」と口に出して、ハンドルを握り直した。すぐに暗い想いは消えた。こういうことを『トワン以降』とガハクが命名。想念が何でできているかで、その人の意識が住む場所が決まる。ガハクが還って来てくれてから、全てが鮮やかに立ち上がって来た。(K)



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