2019年9月14日土曜日

耳の間が抜けた

昨夜鍛え直し焼き入れしておいた平ノミは、よく切れて、細い耳を彫るのにはぴったりだった。これ以上は無理というところまで、衝撃を与えないようにそっと、木を削るように彫って行った。

耳の間の空間が抜けたら、頭の上が明るくなった。風が通って光が入ったからだ。わだかまっていたものが下に落ちて、物事が善い方へと動き出した。

後頭部の膨らみが犬の個性を表している。トワンの頭蓋には奥行きがあって、後ろの端まで来ると一旦はすっと下に落ちるのだが、すぐにまたぽこっと膨らんでいた。首が太かったんだな。明日それを彫ろう。(K)



2019年9月13日金曜日

浮遊する心

腰の帯に差してある刀は鞘に入っている。刀身はフローティング状態にあるのだ。抜かれた刀は手で支えられ仕事が終わると又鞘に納まる。切っ先が鞘に入った瞬間から元のフローティング状態に戻る。居合では刀と体が一体になると言われているが、これもその一面だろうか?面白い発見だった。
 刀は鞘の中にあるからこそ小さな力で思い通りに動くのだ。浮遊状態にある精神=心もまた小さなきっかけで自在に動く。(画)


2019年9月12日木曜日

トワンの霊

夢の中で、トワンがたくさんの子犬たちを引き連れてやって来た。キッチンのドアを開けたらクンクン鼻を鳴らしてまわりに寄って来る。少し輪郭がぼんやりとしているこの犬たちは霊なのだと分かったけれど、それでも嬉しかった。とうとう現れてくれたのねという想いだ。そっと触ってみたら、ちゃんと柔らかな毛並みを感じた。持ち上げてみたら重さもあった。これからはこうやっていつも傍にいてくれるんだなと想った途端目が覚めて、今のは夢だと知ったわけだけど、別にどっちも同じだ。起きてコーヒーを淹れてゆで卵を作るところだけが現実世界。

トワンに呼びかける時の気持ちが変わったよとガハクに告げたら、「トワンの死をやっと受け入れたんでしょう」と言われた。あゝだから出て来てくれたんだな。

今夜はトワンの耳を彫った後、ガハクの顔に砥石をかけて髪をオールバックにした。(K)


2019年9月11日水曜日

一周した

群像を左端から描き始めて次に右端、最後に中央まで来た。手直しを始めた頃とだいぶ人物の様子が変わった。次はまた右端に行くぞ。
若い頃は描き直しなく一気に描けた絵にしか傑作はないと教わった。だからいつまでも同じ絵を描き続けていてはいけない、描き直しは絵を悪くするだけ愚の骨頂だと。確かに一理あるが、歴史を見るとそればかりとも言えない。
しかし本当はそんなことはどうでもいい。傑作を作ろうなどという身の丈以上の欲を張らなければ、そして時間に制限さえなければ、気にいるまで自由に画布のあちこちをつつき回す喜びの中にいられる。(画)


2019年9月9日月曜日

耳を寄せ合う

四方の音を聞いている雄と雌の2匹の犬。これを彫り始めた時の気持ちを今でもよく覚えている。苦しかったから月を見上げている犬を彫ることにしたのだった。ガハクと二人で教えるようになってコンビも安定して来て子供の親達からも信頼されるようになったのに、借りている会場のオーナーから迫害されるようになった。今思えば、子を持つ親が齢を取った時に発生するお世継ぎ問題なんだ。どこにでもある出来の悪い子でも特技が無くても、だからこそアートなら誰でもやれると思うのだろう。ノウハウと生徒を同時に譲渡するように迫られた。
上手く行き始めると面白くなくなる人がいる。そんなに上手くやっている訳じゃない。だからもう終わりにした。耳をもっと薄く、穴が開いても、耳が欠けてもいいじゃない。どんどん深く強く彫っていこうよ。そう誓い合う2匹である。(K)


行き先を考える

いつも何か冒険をしないと絵は死んでしまう。安全圏で描いていたら安心かもしれないがそんな心境でいい絵が描けるのは巨匠だけだろう。小心者はすぐ安易さに落ちてしまう。
自戒を込めて描き続けるべし。先のことはそこまで行ったら考えればいい。(画)


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