2018年11月3日土曜日

トワンの存在

日課だったトワンとの散歩がなくなって2日目。喪失をどう捉えるか未だ分からないままだ。
思い立って以前よく一緒に登った山に向かった。思いかえせば最近の彼の体力では登る意欲も生まれなかっただろう。相当久しぶりの道だった。
登り始めて気づいた。道のあちこちにトワンの面影が浮かび上がる。突然藪の陰から目の前に現れ僕を見つめたと思えば、サッと身を翻すようにして道の向こうへ走り去る。。
雪の日にイノシシを追って迷子になった場所に来ると森の中を登って行く白い尻が見えたりした。

頂上付近の大岩を終点にして下ることにした。往路では意外と軽く動いた足も帰りの下りではギクシャクし、疲労のせいか腹痛まで起きてしまった。

夜、昨日に引き続き森の絵に筆を入れ始めたら、今日見たトワンの幻影が絵の中に現れるのを感じた。この絵を描いた当時はトワンがいたのだ。今こそ絵の中にしか存在しないトワンになったんだなと思った。(画)

2018年11月2日金曜日

天使は犬の形をしていた

この1週間くらいトワンの目が澄んでいたのに気が付いていた。透き通った美しい目でじっと見つめ返してくる。昨夜は夕飯を食べている間も寝床からずっと私たちを見つめていた。夜更けになってもときどき首を起こしてはまた見ているのが不思議だった。ガハクがトワンに話しかけている声を聞いたのを覚えているが、あれは明け方の5時半だったらしいから、私が起きて「トワンが死んでる」と叫んだ7時まで、わずか1時間半の隙間を狙って静かにこの世から去って行ったということになる。死ぬ前の三日間はパパの寝床に寝るようにもなった。私の布団の上に乗っかることはあっても、ガハクの寝床には敬意をもってか近づかなかったんだ。そんなトワンが愛おしい。きっと別れを惜しんでいたのだろう。今日も昨日もトワンが倒れてからも毎日石を彫ることだけは続けていた。だから、こんな可愛い顔が彫れるようになったのだ。「とおめいな丸い球の中に僕らの住んでいる世界がある」と言うことは、トワンの目の中に映ったものたちは永遠の世界に運ばれて行ったということだ。(K)


2018年11月1日木曜日

重層化

色々なものが重なり合い絡み合ってまとまりがつかなくなりそうだ。さらに何が出てくるか、そしてどこへ行くのか、期待しながら作っていこうと思う。
沈んだ気持ちの中にそれと逆の高揚感があり、これから起きることへの緊張感、今の気分そのもののような気もしてくる。(画)

2018年10月31日水曜日

命がけの熱意

今朝ツイッターで見かけた記事を辿ったら、とんでもないものに出くわした。『警察官をクビになった話』という自分の体験を元に描かれた漫画なのだが、ぐいぐいと惹きつけられた。絵もユニークだがその内容に衝撃を受けたのだ。これはこのままじゃ済まないぞと思わせられた。大きな力が動き出しているのを察知してだろうな、彼に著名人が肩入れし始めている。初めて描いたものだというから驚く。必要に迫られての表現方法がネット上に漫画で叫ぶということだった。あれは命がけの熱意が成せる技であって、才能というものじゃないのだ。才能というのは悪に対する哀れみから与えられるもの、だからそこには暗さが残る。彼の描く線は明るく強い。

ノミが切れなくなったので、空の一隅に残した彫りかけの山を眺めつつ、ふいご場に移動。6時38分から火を起こして、41本作り終わって時計を見たら、7時17分だった。切れ味を試したかったけれど、トワンのことやらで疲れているらしく少し頭が重くなったのでお茶を飲んだ。しばし休んで自転車を飛ばして家に着いたら、トワンもガハクも元気だった。今川焼きが降って来ていたので、さっそく頬張りながらblitzを少しやった。負けてばっかり、疲れが溜まっている。風邪薬を一錠だけ飲んだ。平和とは愛とはこういう日常の中の集中と感動の持続の中にある。(K)


2018年10月30日火曜日

トワンの視点

絵の感情的なイメージにトワンの視点が大きく使われてきたのが分かる。二人の生活を世界をトワンの視点からずっと見続けてきた。絵はその記録だったのだ。
昨夜は別離が近い気がして寂しさが胸につまり床についてもなかなか寝付けなかった。
昨日より不活発な散歩で始まった1日だったが食事の量は昨日より多く、今夜は前日よりずっと元気にみえる。
これからは気持ちが浮いたり沈んだりの毎日が続きそうだ。(画)



2018年10月28日日曜日

空をもっと深く

磨けば磨くほど弱々しくなってしまう月、彫れば彫るほど誰かに似てしまう顔、のっぺりした空を何とかしようとレリーフの彫り直しに着手している。鑿の彫り痕はそのままで構わない。急げ!見えているうちに。

ざわざわと騒ぐ宙空に月の光は染み込んでいく。(K)


急いで彫る

銅版を彫りながら「このゲームは急いじゃダメなんですよね」という含蓄ある言葉。
メゾチント技法は「描く」という行為を捨ててひたすら調子の変化を追求することに専念すべし、という先達の言葉も。
その通りだと思いながらその反対の方法で絵を仕上げたらどうだろうと考えていた。
「急いで描く」ように銅版画をする。これだ。始めたら一気呵成に仕上げる。そういうやり方自体が本来ニガテなのだが、それをやらねばならない時期に来ているのかも。
さて、できるかどうか。(画)


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