2020年8月1日土曜日

闘争が止んで

エングレービングは溝にインクを詰めて、平らなところは綺麗に拭き取って刷る凹版だから、黒いところは溝の重なりがそのまま出る。圧殺されそうな重い空間にレンズを集中させた。

「うん、マチエールが出て来たな」とガハク、今夜は少し満足げだ。ずっと苦しそうだったのだ。削り取る作業を何日も続けていたから。ぺこぺこになった面でも傷や線が消えてさえいれば、そこはもう真っ新な場所なはずなのに、もっと平滑にしようと、削っては磨き、磨いては再び削り続けて、そこに線を刻み直していた結果が、このような線の強さを生んでいるということだ。

版画は白と黒のコントラストだけで出来ていると思っていたら、大間違いであった。彫刻と同じように、面の起伏が線の強さを生む。でも堕落した面の上には脆弱な輪郭線しか出て来ない。

そんな話を今朝、ご飯を食べながら話してくれたのだった。食事をしながらアートの話、しかもお互いの彫刻や絵や版画のことが語り合える日が来るとは、、、これが『安息日』の内意だったんだな。「あなたの思うままに行きなさい」という声に従うことができる日がついに訪れた。(K)


2020年7月31日金曜日

久しぶりの太陽

久しぶりの太陽がカーッと照りつけて、夏がやっと始まったような朝だった。
山の入り口に拾った枝が置いてあって、それを木刀代わりに素振りしながら登るガハクだが、今日はペースが早くてどんどん進む。いつもだったら50回振るとカワガラスの淵に着き、100回やるとコンクリートの保塁を通過するのに、やり終わらないうちに着いちゃって変だなあと思って、意識して数えながら歩いたそうな。
「今日は足が軽かったんだな」携帯やストップウォッチも持たずに、体感だけで計測しているガハクである。ピッチが早かったのは、蝉しぐれと鳥の声、木漏れ日と涼しい風のせいだろう。

私はその間、庭のリンゴに被せていたネットを外していた。まだ木に残っていたリンゴを捥いだら、一個だけは簡単に千切れない。まだ頑張るつもりのようだから、そのままにしておいた。

「来年はネットは掛けないで、猿にも食べさせてやろうか」とガハクが言う。そうね、ときどき追い払ったりして。そんな気になる夏の太陽だった。(K)


2020年7月30日木曜日

石の中の紐を結べた

今日ついに石の中で紐を結ぶことができた。足の後ろの小さな空間で起きた出来事だ。何でもない些末なことだから無理に彫らなくてもいいと思っていたが、疲れてソファで小一時間寝て、起きた時はスッと道具を手に取り彫り始めた。無意識のやる気、それが本当の意欲の姿だ。それは何でもない時に静かに湧いて来る。

結び目が彫り上がってから離れて眺めたら、腰に力が入っていた。袴の中に肉体があるのが分かった。やってみるもんだ。労力を秤にかけてはいけない。いつまで経っても回り道ばかりしていることになる。

今日は少しの時間しか彫らなかったけれど、家に帰って中庭を自転車を押しながら歩くときの気持ちの良いこと。朝やった庭仕事が清々しいスフィアを呼び寄せていた。(K)


2020年7月29日水曜日

人間じゃなくて鹿だった

歯医者さんの庭のハナミズキが、皮が剥がされていた。どうしたのか聞いてみたら、「たぶん鹿の仕業でしょう」とのこと。けっこう幹が太くなっているし皮も固いはずだ、、、もしかしたらガハクが登っている裏山の木々も鹿が食べているのかもしれない。そう思えて来た。

だって、一晩のうちにまた新たに剥がされている木があるのだもの。そんなに早起きして、山に入る人がいるだろうか?アガノ村の山慣れした人たちもだいぶ歳をとって来て、山菜採りも魚の投網もやらなくなっているんだ。

(推理は続く、、、)

最近、山から不思議な鳴き声が聞こえて来るのだけれど、「あれも鹿だと分かったよ!」とガハクが言う。数日前にガハクが山で遭遇した鹿が、同じ声を出して逃げて行ったというので、これはもう鹿としか思えないね、と確信した。

キハダのことを調べたら、樹皮を剥がされた中身は驚くほど真っ黄色だった。でも人間じゃなくて良かった。鹿なら仕方がない。

猿も鹿も増え続けている。今日の夕方には、庭に猿が10匹やって来て、リンゴの木や菜園を覆っているネットの上を歩き回っていたそうな。ガハクが出て行って追い散らしてくれた。

雨の中、鹿の鳴き声が響いて来る。(K)


2020年7月28日火曜日

言葉の力

ボルヘスがフォークナーのことを天才だと認めていたと知って、嬉しかった。他のことはどうでもいい。善いものが善いものとしてずっと在り続けることが、喜ばしいことなのだから。それは自分が作ったものでなくても一向に構わない。正しい言葉は、誰が発しても同じように伝わる訳じゃないのが寂しい。でもそんなことも気にするこたあないんだ。この人がそう言っているんだから聞こうじゃないかと思えるほどには、人間は育った。利口な人は騙せても、無垢な人を操るのは難しいぞ。そういう風に人間は出来ているんだ。子供は大人の言葉じゃなくて、顔を読むのだから。(K)


2020年7月27日月曜日

川の出現

森の中に小さな川が現れた。ずっと降り続いている雨のせいだ。1日のうちで必ず雨が止む時があるので、ガハクの山散歩は欠かさず続いている。

「毎日同じ道の同じ風景を眺めながら歩いているのに楽しいんだ。何か違っているとすぐ分かる。またキハダの根っこが剥がされていたよ。ああいうことをするのは業者じゃなくて、ある種の人たちだと思う」と言う。

こだわりと安逸が自己愛で固められた顔が思い浮かんだ。正しく苦しまなかった人たちの労苦は、誤魔化されたままでいつまでも澱のようにベタベタと張り付いて剥がれない。だから木の皮を剥がして回るのだろう。

今朝は朝一番に歯医者さんに電話したらすぐに予約が取れたので、散歩は後回しになった。ガハクが退院してすぐにやりたかったことは、歯を治すことだった。やっと達成できる。今日は先生に「見るからに元気になられましたね」と言われたそうな。(K)


2020年7月26日日曜日

神は細部に宿る

誰も見ていないところで、ずっと飛ぶ練習をして来た。ある日ついに飛べた。面白くって仕方がない。空を滑らかに飛ぶには羽の手入れが大切なんだ。明日の飛行のことを想いながら雨音に耳を澄ます。窓から庭のカサブランカが匂って来る。(K)


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