2026年6月4日木曜日

倒れたスモモの木


 台風の雨で庭のスモモの木が倒れた。
この家に住み着く前から塀越しにこの木を見ていた。というのも以前はすぐ隣の借家に住んでいたから。その頃はまだ木は小さく背の高さより少し高いくらいだった。

今はずいぶん大きくなり毎年甘酸っぱい実もとれるようになっていた。今年も花が咲いたしつい先日も枝を整理したばかり。もう少し小さくしてもいいかなと考えていた所だった。

倒れた瞬間は見ていない。雨がだいぶ上がった時に外へ出て気づいた。半分くらいに切り詰めれば生き続けられないかと隣人に訊いたが根が弱くなってるからもうダメじゃないですかねと言われた。

またひとつぼくらが確実に向かう方向を思わせられてしまう。

ガハク

2026年5月21日木曜日

復活ヤマボウシ

 

この木にこんなにたくさん花がついたのは初めてじゃないかな。

20年前近所の園芸店で小さな苗木を買ってきて二人で庭に植えた。
どの場所が良いか散々迷ったが玄関を開けたら目の前にあるのがいいと思った。
花が咲いた。白い十文字の花が並んでたくさん開いてミルキーウェイという別名も気に入った。夏にツンツンと立った赤い小さな甘酸っぱい実が収穫できたのも感激だった。

彫刻の作業スペースを広げなければならなくなり場所を移した。移し方が悪かったか環境が変わった為か樹勢が衰え花のつきも悪くなったのが残念だった。

それが今年は元へ戻ったように元気になっている。
妻がいなくなって4年になる。
「復活」っていうことなのかな。
 ガハク

2026年5月4日月曜日

不得意な季節



一年でもっとも苦手な時期がゆるゆると流れていく。今はなんとなくフワフワしたような時間感覚の中、やらねばならないと思う事、やりたいと計画している事、それらのいずれもできないままで過ぎていくような毎日の連続。

焦りのようなザラザラした感情が瘡蓋みたいに肌身に食っついて離れない。剥がしたいとも思うがそうした方がいいのかどうかが分からない。もはやそれは既に体の一部になっているのやも知れぬ。

このままじゃ、、という気持ちとこのままでいいさという気持ち。相反する二つが出たり引っ込んだりの毎日。気楽に暮らして行こうかなという歌が聞こえても完全に同意できない読み取れてしまうそこにある含意。めんどくさい奴なのである。

絵具を大量に詰め込んだキャビネット。描き続けたい描き始めたい描き直したい絵ばかりが立てかけられている壁。

 2026.5.4(月) ガハク

2026年4月4日土曜日

4月3日は誕生日

 

ケーキを買ってきて蝋燭に火をつけた。
死んだ人の誕生日。そんなもの祝うのは少しおかしいし未練がましく情けないが未だに意味を持たせたいような気持ちがある。

この人物は彼女に似てると思うから遺影のようにかけてある。
一方でどんな人物像を描いても「これ奥さんですよね」と〇〇の一つ覚えみたいに指摘されると少しイラっとするのも確か。

絵の解釈をしたがる人を嫌いじゃないしあらゆる表現には「理解したい」という欲求を起こさせる何かがあるのも確かだ。聴いたり見たりしたものに心を動かされればそのものについて語り出したいという気持ちにいつもなる。それは自然なことじゃないかと思う。

ただ正当な批評というのは常に難しく納得できるようなものを聞けるのは非常に稀だ。たいてい悪口だったり媚びだったり政治だったり。要するに発言者自身のスペース確保が目的の衝動なんだ。(なんて言ったら意地悪すぎるかな)

そうではなく思想史的に環境的に経験的に身体的に(まあいいや)客観的に語るというような批評を聞いたことがほとんどない。だから黙ってるのを良いことにつまらん批評が横行するんだろう。(別に怒ってるわけでもないよ)

良い批評は良い画家を育てる。

 ガハク

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