ドコモショップの店員の長時間にわたる書類読みに付き合った。どうでもいい説明としか思えない長口上に人間的なものはほとんどなかった。音声アプリの声を聞いているのと同じだ。でもこれがこの人の今の仕事なのだろうから途中で遮るのもいけない、と思い我慢して椅子にきちんと座り話を聞き終えた。人間から機械的な部分を取り除いた時、残ったものに人間の本性的なものがあるのに、人の仕事が単にそれをする機械が開発されていないから、又はコストが安いからという理由からだとすれば、その人の人間性にとって随分不幸な状態ではなかろうか。人が人である為に先ず機械的な部分を極力失くしていかなくては。
芸術でさえ機械力から免れている訳ではない、芸術は創造であって人にしかできないものであり機械では代用できないというのも人々の思い込みに過ぎない。機械的な創造、いや創造のまがい物しか作れない機械的芸術家だって今の世には既に存在しているのだ。。(画)
2019年2月23日土曜日
2019年2月22日金曜日
いと小さきもの
命の源はタネではなくて、花じゃなかろうか。花の真ん中にある突起は花の蕾に似ている。幼子の頭のようにも見える。だからそう彫ってみた。両手を広げて天の人に向かって命を吹き込もうとしているいと小さきものの姿は、『美』というにはあまりにもシンプルな形をしていて、それはただ可愛らしいだけの存在だ。なのに、もう完成している性質を持っている。それは、与えられた命を高らかに発散する仕事だ。こういう存在がなくならない限りこの世はまだ何とかやって行けるだろう。小さなもの達と仲良く楽しく暮らしていこう。命は降りてくるものじゃなくて上に向かって降り注ぐものだった!(K)
2019年2月21日木曜日
説明
最初期の銅版画にはその技法が発見された時の喜びが満ちている、とK先生が書いていた。
それは太古の昔、洞窟に描かれた動物たちの絵にも感じることができる。あの躍動感はたぶん宗教感情から出ているだけではないと思える。
技法が発見された時代の喜び。
油絵だってそうだ。その技法が発見された15世紀のヴァンアイク兄弟の場合、対象の細部に至るまでの描写、要するに形や色や材質の説明だけで絵ができているとも言える。
説明するだけでよかったのだ。
「説明」ーー今の絵画に失われた要素だ。思えば時代が降るに従いものの説明よりも作者の意図や表現の仕方こそが重要になる。むしろものを描いて「説明」するということは表現の誠実さを欠くのだ。
説明と表現の次元の違い。と同時に品性の次元の違い。説明だけで充実していた時代、そこに喜びがあった時代、そしてその品性も今では失われた。
できるならばもう一度「説明」だけで絵が成り立つような描き方を見つけたい。(画)
それは太古の昔、洞窟に描かれた動物たちの絵にも感じることができる。あの躍動感はたぶん宗教感情から出ているだけではないと思える。
技法が発見された時代の喜び。
油絵だってそうだ。その技法が発見された15世紀のヴァンアイク兄弟の場合、対象の細部に至るまでの描写、要するに形や色や材質の説明だけで絵ができているとも言える。
説明するだけでよかったのだ。
「説明」ーー今の絵画に失われた要素だ。思えば時代が降るに従いものの説明よりも作者の意図や表現の仕方こそが重要になる。むしろものを描いて「説明」するということは表現の誠実さを欠くのだ。
説明と表現の次元の違い。と同時に品性の次元の違い。説明だけで充実していた時代、そこに喜びがあった時代、そしてその品性も今では失われた。
できるならばもう一度「説明」だけで絵が成り立つような描き方を見つけたい。(画)
2019年2月20日水曜日
天界の花
ガハクの画室の壁には天井までとどくほどの大きな樹木の幹が立てかけてあって、その枝の一つにトワンの首輪がかけてある。ちょっと壁に寄りかかった弾みで木に触れたのか、それとも壁の振動で枝が揺れたのか、トワンの首輪のベルがチリンと小さく鳴ったのだそうだ。その音を聞いてガハクは深い寂寥感に囚われてしまった。
「今3ヶ月経ったわけだけど、この感情はずっと続くんだろうか。それとも何か違ったものになるのだろうか」そういう話をしている時のガハクの目は赤くなる。可哀想になった。
その気持ちを引きずったままアトリエに着いて石を眺めた。花を磨いてみようと思い立って砥石を手に取った。どんどん進む。唇と鼻の形をだいぶ直した。目もはっきりさせた。
トワンは天使だと思えていたのだが、愛そのものが人の姿をしているのだ。だから、トワンが美しい青年の姿をして現れても不思議じゃない。(K)
「今3ヶ月経ったわけだけど、この感情はずっと続くんだろうか。それとも何か違ったものになるのだろうか」そういう話をしている時のガハクの目は赤くなる。可哀想になった。
その気持ちを引きずったままアトリエに着いて石を眺めた。花を磨いてみようと思い立って砥石を手に取った。どんどん進む。唇と鼻の形をだいぶ直した。目もはっきりさせた。
トワンは天使だと思えていたのだが、愛そのものが人の姿をしているのだ。だから、トワンが美しい青年の姿をして現れても不思議じゃない。(K)
2019年2月19日火曜日
陰刻 陽刻
僕の絵の始まりは陰刻だった。暗い地色に明るい色でイメージを描き出す。その方法が今までずっとピッタリきていた。暗い色の絵具は明るい色が踊る舞台だった。技術の問題というより感情的な理由だと思える。これが最近変化して来た。明るい地色に暗い色でも描けるようになった。
きっかけは明るくも暗くも見える青い色を一つ発見したことじゃないかと思っている。
有機物から抽出した青と鉱物の青にチタンの白色を混ぜた強い色のことだ。以前の僕には使えなかっただろう色だ。絵の色の感覚が変わったのだ。
今まで陰刻ばかりだった暗い絵が、陽刻の明るさ直截さを得て大きく変わっていく。(画)
きっかけは明るくも暗くも見える青い色を一つ発見したことじゃないかと思っている。
有機物から抽出した青と鉱物の青にチタンの白色を混ぜた強い色のことだ。以前の僕には使えなかっただろう色だ。絵の色の感覚が変わったのだ。
今まで陰刻ばかりだった暗い絵が、陽刻の明るさ直截さを得て大きく変わっていく。(画)
2019年2月18日月曜日
香る人
やっと春の陽射しがうちの庭にもやって来た。4ヶ月もの間ずっと山の影になっていて、トワンが死んでやっぱりこの冬は寂しかった。でも、不思議に地面が温かく、景色も色付いて、彫刻の顔が凛々しく引き締まって来たのは、この苦しい時間を通り抜けたからだ。あたたかい人の微笑み、子供らのハグ、風に乗ってくる不思議な力を得て、いよいよ前に進める。そういう季節がやって来た。(K)
2019年2月17日日曜日
春
「今日の散歩は川に行ったらいいよ山より暖かいから」
昨日寒い山道で長靴の中の足が冷えたのか今年初めてシモヤケみたいになったと言ったらそう言われた。
でもやっぱり山に行った。山道であちらこちらにトワンを見るしあの子の視線を追体験したりもできる。その視線を借りて風景を見るとそこに描かねばならない絵も浮かんでくる。
タルコフスキーの病室に毎日飛んできた小鳥のことを思い出した。Sの頭の上にも描いてみた。
今夜は風が強い。春の風?絵の中の花も咲けば春だ。トワンのいない春がそこにいる。(画)
昨日寒い山道で長靴の中の足が冷えたのか今年初めてシモヤケみたいになったと言ったらそう言われた。
でもやっぱり山に行った。山道であちらこちらにトワンを見るしあの子の視線を追体験したりもできる。その視線を借りて風景を見るとそこに描かねばならない絵も浮かんでくる。
タルコフスキーの病室に毎日飛んできた小鳥のことを思い出した。Sの頭の上にも描いてみた。
今夜は風が強い。春の風?絵の中の花も咲けば春だ。トワンのいない春がそこにいる。(画)
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