2018年6月8日金曜日

デナリに置いたら

デナリに置いたら、とてもよかった。光の具合がいいのだろう。かなり深く彫り抜いたということが今更ながら分かった。裏から光を当てると薄っすらと神殿の壁が明るくなるほどだ。裏に刻んであった2006という数字のすぐ横に、2018と新たに刻んでおいた。12年前に「新しき人よ目覚めよ」という言葉から彫り始めたのだったが、今また「死は卵だ」と書いた詩人の言葉が重なる。ガハクの油絵を眺めながら「なんか絵が変わりましたね」とマスターが言った。ふたりの絵と彫刻を並べてもらうようになってもう6年になる。ありがたいとは、あり得ないことが起こった時の僥倖のこと、そこから雲が湧き立つ。(K)

テーマとしての植物

明日デナリに持っていく絵を額装した。
今回はこの3枚。期せずして全てテーマが植物だ。あまり意識はしてなかったが最近は花とか木ばかり描いている。人物や動物を描くにしてもその背景に植物的なものが必ずある。むしろ植物の方が主のようにも思える。ここには何か必然的なものがあるに違いない。(画)

2018年6月7日木曜日

独り立ち

もうつまらぬことに振り回されまいと思っているのに、また誘いが来た。絵本を描かないかってプリントアウトされた文章を渡された。読んだら感想を聞かせてとも言われている。今夜石を磨きながら思ったことは、これからは一つになって生きていこうと思っているから、ふたりは一つだと思っているから、他人とは組めないなあということだった。これまでいろいろやって来たけれど巧く行ったためしがないんだ。どこまでも追求していく熱意と忍耐はそうそうそこらに転がっているものじゃない。他人を当てにしちゃいけないんだ。ずっと彫刻をやりたいから、忘れないようにここに書いておこう。(K)



2018年6月6日水曜日

胚芽

部屋の片隅に置いてあった絵を取り出してみた。中途半端に終わっているが描いた当時の感情の感触が今でも蘇る。今なら続きを描けそうだ。
描きたかったのは右側の部分だったんじゃないか?…構図を変えるか?…色も再考する必要がある?…空の色…地面の色…。
絵を描きに川岸に降りる女の子と犬。そこに時間を超えた優しい空間を見ようとしていたのだ。(画)


2018年6月5日火曜日

目の力

愛しいものと視線が合うときの楽しさを思い起こしながら彫っている。そこに小さな光を見つけられたら、互いに気持ちが通じているということだ。その他のことはどうでもいい。どうでもいいことで振り回されるのはもう終わりにしよう。トワンが美しいのはどうでもいいことには全く関心がないからだ。窓を開けた。爽やかな風が吹き抜けていい気持ちになった。(K)



2018年6月4日月曜日

浮かび上がる顔

その頃常駐していた脚の痛みで眠れないまま夜明けを迎えたことがあった。横で眠っている人の顔が明け方の薄明かりの中にゆっくりと浮かび上がってくるのをじっと見ていた。徐々に光が強くなりぼんやりとしか見えなかった顔の輪郭や目鼻立ちが徐々に明瞭になっていく。
それは純粋に美しかった。その時存在への愛を強く感じた。 そして痛みの苦しさがいつの間にか快さに変わっていくのだった。
自分が今見ているものは愛そのもので、愛を見ているということそれ自体が生きていることだと思った。
あの瞬間をいつも思い出すようにしなければいけない。(画)

2018年6月3日日曜日

永遠な人

アトリエのちょっと手前の道端に、ぬいちゃんの手押し車を見かけた。小さな神社の石段の傍のいつもの場所だ。どうも亡くなったのは他の人で、ぬいちゃんはまだ生きているようだ。そう思うと辺りが急に明るくなって、車のハンドルが軽くなった。

背面の無理だと思っていたところにも何とか砥石をかけた。空は広くて美しい。(K)


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