子供の頃家の庭にモミの木が生えていた。そんなに大きくはなかったが子供にとってなら木登りしたり横枝に紐をかけてブランコしたり太い幹に薪を切る為の手斧をトマホークと称してぶつけたりして遊べるくらいの木ではあった。
その思い出のせいか住むなら大きな木のある家がいいと思っていた。今の住処には松だけでなく太いモミジもある、椿やら桃やら月桂樹やらヒバやら…。 背の高い木は人の心を惹きつける。それに庭の広さで僕らはお金持ちに見られそうだ。僕らがお金持ち?!う〜ん…
お金持ちなのにそう見られないのと、そうでないのにお金持ちに見られるのとどっちがいいかな?
才能があるのにそう見えないのと、ないのにあるように見えるのとどっちがいいだろう?
どちらも前者は友達ができず後者は泥棒が寄って来ることだろう。(画)
2019年11月9日土曜日
2019年11月8日金曜日
鳥の種族
体に羽を刻み始めたら、人の形から解放された。あとは、大きな翼と尾羽が空に溶け込むようにしたい。空は胸のなかにある。
今日は午後1時から夜の8時までアトリエにいたけれど、こんなに長い時間アトリエにいるのも最近では珍しいことだ。隔月でやって来るバキュームカーは午前中に作業したとのメモが残されていた。またもや支払いが次回に持ち越されてしまった。請求額がいつもより高いので、すぐに会社に電話を入れて、いつもの金額でと頼んだら、了承された。ありがたいことだ。他人の情けで生きている。
猪が荒らした畑の修復を夕方の1時間だけやった。斧を振るって丸太の先を尖らせ、地面に打ち込んだ。谷間に響く槌音を猪よ聞いているか?(K)
今日は午後1時から夜の8時までアトリエにいたけれど、こんなに長い時間アトリエにいるのも最近では珍しいことだ。隔月でやって来るバキュームカーは午前中に作業したとのメモが残されていた。またもや支払いが次回に持ち越されてしまった。請求額がいつもより高いので、すぐに会社に電話を入れて、いつもの金額でと頼んだら、了承された。ありがたいことだ。他人の情けで生きている。
猪が荒らした畑の修復を夕方の1時間だけやった。斧を振るって丸太の先を尖らせ、地面に打ち込んだ。谷間に響く槌音を猪よ聞いているか?(K)
2019年11月7日木曜日
安住の地
やっぱり動かなくなってしまってはダメだ。絵としてしっかり固定したいと思う気持ちと、イメージそのものが生き生きと目の中で動くこととを両立させなければいけない。その為には常に新しい「何か」が生まれるようにしなければ。今までの経験や技術、予定調和的なものに頼っていてはいけない。安心な暖かい場所へ帰ろうとするのではなく、未だ見ぬ先を見ようとする好奇心と勇気が必要だ。(画)
2019年11月6日水曜日
生んでは放つ
体がどんどん小さくなっている。そうなると飛翔力が上がるのか、急に上昇し始めた。少し離れて眺めたら、懐から鳩を取り出し空にパッと放つ人のように見えた。この人は天使を自分の内部から取り出してはパッと世に放っているのではないかなあ。そう考えた方がぴったりする。人は生み出し続けなければ眠ってしまう。眠ったままでいると意識は何処とも知れない深い井戸か沼に沈んでしまうのだ。生んでは放つことを芸術という。(K)
2019年11月5日火曜日
焦り
左端から伸びる木をいじっている。枝振りが気に入らない。質感にも不満がある。
もともとこの木は家族全体を覆い祝福するものの意味で描いたのだ。金色に光り金色の葉を振りまく。描きあげた当初はぴったりだと思ったのだが、今のこの絵に相応わしい形とは言えなくなってしまった。だから描き直している。質量が出てくると図形的なサイズが小さすぎる気がして来た。枝を伸ばしたり空間を深めたり…なかなか苦労だ。
発表を控えていないのだからのんびりやればいいと思うが、実感は逆なのだ。焦るような気持ちに落ち込むのはどうしてだろう。(画)
もともとこの木は家族全体を覆い祝福するものの意味で描いたのだ。金色に光り金色の葉を振りまく。描きあげた当初はぴったりだと思ったのだが、今のこの絵に相応わしい形とは言えなくなってしまった。だから描き直している。質量が出てくると図形的なサイズが小さすぎる気がして来た。枝を伸ばしたり空間を深めたり…なかなか苦労だ。
発表を控えていないのだからのんびりやればいいと思うが、実感は逆なのだ。焦るような気持ちに落ち込むのはどうしてだろう。(画)
2019年11月4日月曜日
ほんとうの明るさ
資質の中に善いものが隠されているのなら安心して飛べる。あとは飛んでから考えればいい。すでに行き先は決まっているんだろう。
ガハクが「こんなこと言うと嫌がるかもしれないけれど」と前置きするから何だろうと思って構えたら、「この子の体にも翼のような模様や形をいろいろ彫ってみたらどうかなあ。人間の形というのにこだわらなければもっと自由になると思うよ」とのアドバイス。もう以前の私じゃないので素直にやってみたら、確かに形がずんずん動き始めて、体がすーっと宙に浮いた。人の言うことは聞くもんだ。
アトリエの畑が山の動物たちに狙われている。猪の次は猿だ。里芋をたらふく食ったようだが、食べきれない分はそのままだった。彼らは持ち帰るということをしない。生き方がシンプルだ。内的な意識では私もそうやって生きていこうと思う。(K)
ガハクが「こんなこと言うと嫌がるかもしれないけれど」と前置きするから何だろうと思って構えたら、「この子の体にも翼のような模様や形をいろいろ彫ってみたらどうかなあ。人間の形というのにこだわらなければもっと自由になると思うよ」とのアドバイス。もう以前の私じゃないので素直にやってみたら、確かに形がずんずん動き始めて、体がすーっと宙に浮いた。人の言うことは聞くもんだ。
アトリエの畑が山の動物たちに狙われている。猪の次は猿だ。里芋をたらふく食ったようだが、食べきれない分はそのままだった。彼らは持ち帰るということをしない。生き方がシンプルだ。内的な意識では私もそうやって生きていこうと思う。(K)
2019年11月3日日曜日
悲しみを忘れよう
トワンが死んで一年になる。いつも彼のことが頭から離れずその存在をどこかに常に求めていたのは確かだ。忘れようとしても忘れられないだろう。その存在は僕らにとって喜びに満ちた美しくも貴重な体験だった。その生きた記憶から死別の悲しみを分離して捨て去ろう。記憶の中でトワンは生々と活動するのだ。これからも。
今日は2時間立ちっぱなしで画布に向かっていても疲れを感じなかった。最近はすぐに疲れて椅子に寄りかかっていた。この数ヶ月で一番楽に仕事ができたのが嬉しい。
地形図を描くように俯瞰した形で描こうとしたのだが上手くいかなかった。思い切って空を広くした。清々しい風が渡る。この方が良さそうだ。描けるものしか描けないな。(画)
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