2019年12月21日土曜日

シルエット


深くえぐれた彫りにくいところに線を刻もうとするのだが、ノミの先が滑ってしまってなかなか決まらない。それでもノミの持ち方を工夫しては何度も彫り直して行く内に、今夜やっと底に届いたようだ。形が落ち着いた。

すると、脇の空洞も美しく見えて来る。結局、彫刻とはシルエットなのかな。完全なものは空を区切る。(K)


無意識の地形

山に行って薪ストーブ用の木を集める。落ちている木の枝や倒木を探す。あちらこちら眺めながら歩く。見つけたら集め何本か束にして担いだり抱えたりして決めた場所まで運ぶ。去年したように今日からロープでくくって引きづり下ろす事にした。
薪拾いに集中していると周りの景色を見るのを忘れる。いややっぱり見ているのだがその意識はない。見上げると木の枝が網目のように空にシルエットを作り、下を見れば小川が大石の間をズンズンと流れて行く。森や川は地形そのものを表す。その中にトワンがいたりいなかったり。
無意識に見ているものが心を満たしているのだ。(画)


2019年12月20日金曜日

裸の天使

ドストエフスキーの『罪と罰』に出て来るソーニャとワーニャをときどき思い出す。二人に女の温かさと強さの原型を見る思いだ。「他にもう一人いたでしょう」とガハクに言われた。ラスコーリニコフのように私も彼女の存在を忘れていたのだ。名前を思い出せないもの。

ラスコーリニコフが金貸しの老婆を殺して金を盗んで逃げようとした時、外にいた下女だ。犯行を見られたと思って殺してしまったが、彼の心に残らないほどか細く小さな取るに足らない娘のことをソーニャは天使のように大切に思っていたんだ。ソーニャに指摘されて、彼の意識が少しずつ変わっていく物語。

善良で無垢で無名で小さな存在を天使と呼ばずして他に何と言う?(K)


2019年12月19日木曜日

雲をうまく描ける人は例外なく良い画家だ。デューラーの様な天才でも描く雲はそれなりなものだ。もっとも「それなりに」描けるということさえ難しいのだが。例えばエルグレコの描く雲は表現主義的で力強く湧き上がり聖人を包む。あゝいう風にはなかなか描けないものだ。
しかしアンリルソーの雲は特別だ。夕焼けに染まる雲、不思議な形の雲、人々が生活する上に大きく浮かぶ雲たち。多分彼の心は子供の様に澄んでいて見上げる雲に同化できるのだろう。パリの街の上空にその日その雲は確かにあったのだろうと思える。表現的でも写実的でも理想的でもない形と色。
ガハクでも心を純粋にできれば描けるかもしれない。(画)

2019年12月18日水曜日

生きている羽

型どおりにそれらしく作られたものは、仕上げれば仕上げるほど死んでいく。緻密な仕事にはどうしても退屈さが出てしまう。退屈でなければ退廃が住み着く。欠伸をしながらやったものはのっぺりとしている。誤魔化せないのは私自身の目だ。こういう時は少し寝て、お茶を飲みながら彫った方がいいのだ。

ほら、やっぱりそうだ。尾羽も翼も動き出したじゃないか!(K)


2019年12月17日火曜日

新しい色

高校の時初めて描いた油絵。教師の評価では特に色が派手すぎて調和もなし破茶滅茶で酷すぎる、繁華街に育ったせいかもなとまで言われた。そうかこの色はダメな色なんだなとその絵を見ながら思った。美大の受験に失敗して入った予備校で最初に描いた油絵はいい色の感覚をしていると褒められた。そうかこの色はいい色なんだなとその絵を見て思った。
絵にとって「いい色」とは何かという問いに正確に答えるのは実に難しい。言えそうだからなお難しい。自分がいい色だと思う感性だって時や環境や出会いによって変化する。勉強して鍛えることもできる。しかし迷い道に入り込んでしまう。その時は戻ろうとするより前に進んだ方がきっといいのだ。
来れ新しい色の世界よ、広がり我を包み高く飛び立たせてくれ。(画)


2019年12月16日月曜日

尾羽

画材屋で売っている羽箒は白いが、自作のは黒い。カラスの羽で作ったからだ。山道を散歩していると、よくカラスの尾羽が落ちている。カラスはよく喧嘩をするからなあ。たくさん溜まったら輪ゴムで縛って、消しゴムのクズを払い落とすのに使う。

春の頃、ガハクがヤマドリの尾羽を拾って来た。見つけた時はまだ血が少し付いていたそうだ。10枚ほどの長い尾羽がずらり並んで揃っていたから、きっと猫か猛禽類にやられたのだろう。長く大きな羽に薄茶色と黒の縞模様がくっきりと鮮やかだ。モチーフに使った後、今はガハクのアトリエの壁に飾ってある。

今朝はジョウビタキが来た。長い尾羽をちょんちょんとタクトのように縦に振る。チッチッ、、、チッチッと鳴く様子が火打ち石の音に似ているから火焚き(ヒタキ)と呼ぶらしい。

今夜はこの子の尾羽にも模様を刻んだ。(K)


2019年12月15日日曜日

ゴーギャン

ゴーギャンの島での素行が悪かったという理由で彼の作品を美術展からボイコットすべきという風潮があるとか。昔の話ではなく最近の話。白人の優位性を利用して島での特権的地位を築き、複数の女性を性奴隷として扱っていたと。
ゴーギャンは書いている。白人の女性は「美しすぎる」故に我々に劣情を起こさずその裸体を見ることを許さない。島の女性は常に裸に近い姿で暮らし裸体はむしろ自然な姿であり実に自然で神々しいばかりだ、これこそ美だと。
彼の「性奴隷」であるはずの女性の肖像画は入念に愛情を込めて描かれている。そう思って見れば確かに性的刺激には遠いかもしれない。しかし見事に美しいではないか。

馬を描いている。(画)

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