後ろから見ている人がいるなんてことを全く意識しないで、一所懸命チェーンを繋いでいる人がいる。
三日前に、山の中腹のススキが原まで登ったところで、プツンとチェーンが切れたのだそうだ。カラカラ空回りするペダルに足を乗っけて山を降りて来たガハク、今日やっと直す気になってチェーンの両方の端を引っ張って、ピンを押し込んでいる。
彫刻の裏側が面白い。無意識が出る不思議な場所だ。(K)
後ろから見ている人がいるなんてことを全く意識しないで、一所懸命チェーンを繋いでいる人がいる。
三日前に、山の中腹のススキが原まで登ったところで、プツンとチェーンが切れたのだそうだ。カラカラ空回りするペダルに足を乗っけて山を降りて来たガハク、今日やっと直す気になってチェーンの両方の端を引っ張って、ピンを押し込んでいる。
彫刻の裏側が面白い。無意識が出る不思議な場所だ。(K)
雨戸を開けたら、家の前の斜面に聳え立つバッハの木(うちではそう呼んでいる)に、藤の花がいっぱい咲いていた。いつの間に絡んだのだろう。今朝初めて気が付いた。
この頃は初めてのことばかりだ。
今朝ガハクが、「今そこにトワンがいたよ」と言う。窓辺におすわりをして外を眺めていたそうだ。テラスには金魚が泳いでいるバケツが置いてある。そんな景色といっしょに何の不思議もなく見えたのだそうだ。今年はトワンがやって来ると言っていたガハクだから、そんな幻影も見るのだろう。
見ているものは幻で、愛しているものだけが存在する。愛するものが無ければ、何も見えていないに等しいということになる。退屈であるか、眠たくなるか、死にたくなるのはそんな時。
満月の夜からバイオリンを弾き始めた。ガハクもギターを取り出し、コードの研究を始めた。速いステップで軽やかに月明かりの下で合奏できるように、毎晩練習して行こう。次の満月に間に合うように♪(K)
この庭で朝から彫った。午後も彫った。夕方にも彫った。採石工場のベルトコンベアーの音が響く谷間の村は、彫刻家にやさしい。すぐ横を走る西武秩父線の電車のゴーッと過ぎる音も、親しみを感じた。線路の向こうを行き来する地元土建屋の資材を積んだトラックも、応援団のように思える。要するに、静か過ぎるのも困るんだな。いろんな音がしているところの方が、元気よくやれるということが分かった。
芸術という仕事は、手や体を動かすことに直結している。感覚だけじゃ根を持たない浮き草だ。触って確かめながら進んでいる。天界は場所ではない。お花畑でもない。安心して彫れる場所なら、そこが私にとっては天界だ。(K)
今夜のガハクは、青い服を赤く塗り替えていた。気に入らない色はどんどん変えるのだそうな。
「マチスは色彩の画家と言われるけれど、形の画家だよね。色は形だもの。形は色だ」とトワンの輪郭を取りながら話してくれた。
「先生には子供がいないと言われるけれど、この子は恭子ちゃんなんだよ」と言う。幼い頃に会ってみたかったなあという想いが、こういう女の子を描かせるのだ。
『存在』とは何か?
「死の向こうにあるのかねえ。『私が死ななければあなた達の元に来れない』と言われているものねえ。月天士になって還って来るのかねえ」と、話は核心部に向かった。
今夜は満月で、エクアドルの音楽家の前田整(まえだただし)氏の49歳の誕生日だ。彼は月になって還って来た。死の向こう側に3ヶ月かかって遂に到達したようだ。(K)
絨毯の模様が浮き出て来たぞ。消しては描き、また消されて、今度はどんな模様になるのだろう。
ガハクには子供がいないのに子供が描かれているのを不思議に思う人がいたけれど、絵というものがどこからどうやって生まれるのか知らないからそんなことを言うのだ。絵は、謂わば空飛ぶ絨毯。何だって描けるのが画家なのだ。
昔、大江健三郎の小説を夢中になって読んでいた頃のこと、友人の中に「彼のは私小説だからつまらない」と言う人がいた。事実と真実がごちゃ混ぜになっているとそういうことが起こる。面白い話が始まったら、最後まで聞いてみることだ。時が成熟してくれるのを待つことだ。真理はずっと後で現れる。
家族が集まる正月にはなかなか画室に籠もれないと愚痴をこぼすずっと年上の画家を思い出した。子供が遊んでいるのを楽しいと思えたら、もう空飛ぶ絨毯に乗り込んでいる。(K)
朝の7時半にピンポンが鳴った。門の前に製材所の社長のダットラが停まっている。仕事前にパンを受け取りに来てくれたのだ。爽やかな笑みをマスクが半分隠している。首にタオルが巻かれて、気合が入っていた。いつもの時間にいつものように日曜日も動いている人だ。
10時になった。日曜日も音を立てていいだろうか?石を彫っても大丈夫かしら?などと思いながら庭をぶらぶらしていると、塀の向こうから「何悩んでんの?」って話しかけられた。歯ブラシをくわえていて口の中が泡だらけ。ううんと首を捻って応じていたら、「なんだよ、今頃歯を磨いてるんかい。もうお昼だぜ。すぐに昼飯の時間になるよ」と笑われた。
いい風が吹き始めたのか、午後になってやっと気合が入った。石の接合面を計測して穴の位置を決めた。ガハクに垂線を見てもらいながら、慎重にハンマードリルで穴を開た。ステンレス棒を2箇所に差し込み、フォークリフトでゆっくり吊り下す。
ぴったり接合した。しっかりと安定している。高さ155cm、私の背の高さにした。ここまでは準備、これからが彫刻だ。シルエットを整えながら、風の抜ける穴を広げてゆく。(K)
山に金魚の水を汲みに行くのが日課になった。空の18ℓポリタンとホースを一輪車に載せて踏切を渡り、山裾にある蛇口に繋いで満タンにしたら戻って来る。5分もかからない超イージーな労働だ。
灯油用のポンプを使うと、水底の金魚のフンもいっしょに排水できる。⅓くらい捨てて、今汲んで来たばかりの水を注ぐ。水温は同じくらいだし、山から湧き出た自然水だ。スイスイ泳ぎまわって、流れ込む水を体に絡ませて喜んでいる。労働の対価は、金魚の姿と揺れる水面。
ガハクの絵がグイグイ渦を巻き始めた。激しい色の動きに驚いて眺めていたら、
「どうだい!プロレタリアアート」と言う。夜の部を終えて、スクワットをしている最中だった。(K)