2019年6月8日土曜日

大理石レリーフの額

今日は朝から雨が降っていて涼しかった。作業をするには丁度いい。昨日ホームセンターで買って来た木材の寸法もぴったりで、予想し覚悟していたトラブルや計算違いもなく作業は順調に進んだ。ゆっくりやれば必ずいいものが出来るというのは本当だ。買い出しも2度に渡って考え抜いて、金具の選定にも売り場で散々議論して決めた。それが良かったんだな。時間というのは楽しむ為にある。苦しいのは不安な時だけだ。そこを通り抜けてやっと出来たものは時間を超えていることを知った。

ずっと心配だった石の重さも、ふたりでエイっと抱え上げてみたら、スイッと持ち上がった。ずいぶん丈夫になったものだ。日々の少しずつの鍛錬が効いて来た。ゆっくり生きよう。ずっと考え続けよう。やりたいことがあるから。トワンの最期の眼差しに教えられて今日の喜びがある。(K)


2019年6月7日金曜日

まなざし2

ジャコメッティの描いた人物に強い眼差しを感じたことがある。おそらくアネットだろう、真っ直ぐこちらを見つめているその目は何の陰りもなく晴れやかに輝いていた。その人が見ているもの自体の存在を喜び讃えてさえいるような優しさ、美しい目だった。ジャコメッティの描いたそんな目のことを言う評論を未だ嘗て聞いたことはないけれど。
死ぬ前のトワンの眼差し、愛する人の眼差し、愛するものへの眼差し…。 眼差しを描きたい。(画)

2019年6月6日木曜日

棒立ちこそ最高の防御

ゆうべ思い付いて描いた赤鉛筆の手の位置はすっかり消した。やっぱりこの子は棒立ちの方が良い。真剣に話を聞いている時は大げさな身振り手振りは要らないのだ。真っ直ぐ相手も見つめて話を夢中に聞いているのだから。

奥に薄肉彫りで男の子の右手を彫った。右足も少し前に出した。

あちこち彫り直しているのに、次々とやりたいことが出て来る。こんなことをしていて展覧会に間に合うかなと少し気持ちが重くなったけれど、昼間ガハクとゆっくり話して落ち着いた。苦しんだり焦ったり緊張したりすることはないのだ。ここまでやって来たことがすでにはっきりと形になっている。それを示すだけで十分じゃないか。その他に何がある?(K)


2019年6月5日水曜日

見ないで描く

脚が重いとか息が苦しいとか感じている間は山を歩いていても内的空間に入れない。何かを見ているつもりでも見ている自分がいるという自意識がある限りは本当にものを見ることができない。
絵の場合も描き方を考えたり色に迷いがあれば形はうまく出て来てくれない。うまく行ったとしてもイメージは三次元空間にとどまる。
内的空間に入り込むには思い惑ったり考え込んだりせずに、思わず筆が動いてしまったという風な具合に出てくるイメージを全部承認するという覚悟で絵を描くか。それとも絵を見ずに描くしかないかな。(画)


2019年6月4日火曜日

頭部の形で人は知られる

また一回り頭が小さくなった。ふわっと膨らんでいた髪をキュッと引き締めたからだ。子供だった二人が少年になり、今夜青年になった。帰り際、電灯を消す前に眺めたら、すーっとしたスフィアが辺りに流れていた。幼い頃から知っている人のように思えた時、物語は始まる。それは終わることがない物語だ。(K)



2019年6月3日月曜日

足袋と草履

やっと足元を描いた。足袋と草履、面白かったがこうして見るとやや頭でっかち?
同じモチーフを追求するのでも、マチスみたいにバリエーションの記録として作品が何枚も残るやり方と、ジャコメッティみたいに一枚をずっと追求するやり方と二つある。どちらかと言えば前者が多いと思えるが、多くの画家はその混合で制作しているには違いない。
描く時間の長短は絵の見え方に決定的な違いをもたらすかどうか…と言うよりも問題はどちらがいいか…
「速く描いて遅く描くのと同じくらいいい絵が描ける画家がもし時間をかけたとしたら、人類が未だ嘗て見たこともない優れたものができるかもしれない」とミケランジェロの美しい言葉。(画)


2019年6月2日日曜日

終わりなき仕上げ

布に動きが出せたので、いよいよ仕上げの磨きに入ろうかと思ったけれど、もうそういうやり方は止めようと思う。大事なことを、今必要なことをやるようにしよう。強い線、柔らかい面、美しい形が出来るまでやり続ければ良いんだ。

ミケランジェロの彫りかけのピエタ像の美しさは、彼の鑿痕が残っているからだ。弟子たちや職人たちが仕上げの段階でピカピカツルツルに磨き上げて鑿痕を消してしまう工程が、何故か省かれている。

今夜は久しぶりに『天界のゆめ』をいじったら、前より少し良くなった。終わりがないということは良いことだ。日々成長しているものが内部にあるということだ。(K)



よく見られている記事