2019年7月27日土曜日

額の作り直し

展覧会中絵よりも自製の額の方ばかり眺めていたのは僕だけに違いない。
木をカットし接着し成形し表面にやすりがけしペイントして完成。しかし出来上がって絵をはめてみたら違和感を持ったものが数点あった。
時間がないから良しとして展示したもののやっぱりなんか合ってないなと考えながら見ていた。何枚かそういう作品が目についた。今までも何度か直したいと思っていたのだが、そもそも額なんてものは単なる飾りでしかないと思って来たからやる気が起きなかったのだ。
額を絵を飾るだけのものと考えるのをやめ、これからは絵の一部として考えてみよう。全ての作品でそれは成しえないかもしれないが、とりあえずいくつかの作品で試してみようと思う。(画)

2019年7月26日金曜日

柔らかくて温かい意識

思い切って彫っていたら、途中でガタガタになった。目のバランズも崩れて寄り目になってしまって、もうダメかと思ったけれど、今日は透き通った意識に包まれて何とか乗り越えられた。

人の心に触れた時の喜びを忘れないようにしよう。真の隣人愛というのは、柔らかくて温かい意識と繋がることだ。悪い人の手助けをしてしまったら、善い人にその何倍もの手助けをしなければ釣り合わない。私の行動や言動が小さな人たちをガックリさせることがないように、楽しい愉快な意識と手を繋ぐ。(K)


2019年7月25日木曜日

何もない場所

何もない場所が好きだ。何もない所には何でもある。好きなものをそこに見ることができる。死んでしまったトワンを見ることができるし彼が走り回ったその場所を以前そうだった状態に戻すことだってできる。それを想像力でしかないというのであれば、逆に想像力なく見ることにどんな意味があるのか。感覚で捉えられない存在にどんな意味があるのか。
色とタッチだけで風景を描こうとしている。(画)

2019年7月24日水曜日

目の奥に映っている人を彫る

顔を彫っていると時々気が遠くなる。少し休んでは、また目から彫り始める。だから目だけがどんどん深くなって行く。鑿の先が届かなくなるとヤスリで引っ掻く。それでもまだ影が薄く感じられるから、尖った鑿に持ち替えて突っついたりしている。左右の目のバランスはとっくの昔に壊れてしまった。しかしそんなことは気にしない。大丈夫なのだ。目というのは不思議なもので、いや、顔自体もそうなんだけど、右と左はシンメトリーじゃないんだ。右が情愛なら、左は知性。やっと両方の極が呼び合うような形が彫れるようになった。自覚的に見つめてやらないと簡単に消えてしまう美しい幻こそが、実は存在そのものだと気がついた。好きなものしか見えないのが人間の目なのだ。だから意識の革命とは、愛するものを見つめる目を鍛えることなんだ。(K)


2019年7月23日火曜日

好きだから描く

銅の板にニードルで線を彫ったらできるだけ早く刷ってみる。すると紙の上に出てくるイメージ。何もないかもしれないし何かがあるかもしれない。それらがさらなる線を要求し…繰り返しの作業が続くのだ。そして銅版画という結果になるだけだ。
だから僕の絵に「意味」を見つけようとする好奇心旺盛な人がいるし、その話を聞くのは面白いけど残念ながらほとんど「意味」なんてないのだ。
単純に言って、女を描くのは僕が女性を好きだからだ。動物や鳥を描くのは彼らを大好きだからだ。木や草や花を今よりもっと好きになったらずっと上手く描けるだろうに。(画)

2019年7月22日月曜日

歌う口

展覧会の終わり頃になって喉の奥に髪の毛が一本引っかかっているような違和感を感じた。飲み込もうとしても、吐き出そうとしてもちっとも動かないので、歯ブラシで掻き出そうとしたら血が滲んだので諦めた。ガハクが、「きっと喋り過ぎたんだよ」と慰めてくれた。
ところが次の日には、魚の皮の切れっ端が引っかかっている感じでもっと酷くなった。いよいよ心配になって暗い顔をしていると、すかさずガハクが、「癌かな?」とからかう。
ガサガサと荒れた手のように、喉の奥が肌荒れを起こしたのだろう。そう思うことにしていたら、展覧会の最終日になってスッと消えた。最後の片付けの日に、その理由が分かった。ずっと引っかかっていたことが判明したのだ。自分を偽ることが喉に引っかかっるものを生み出していたのだった。疑いや落胆や失望は、察知した瞬間が勝負だ。跳躍力と動体視力を鍛えておかねば身を滅ぼす。

「私、お金より大事なものがあることに気が付いたんです」と、おっしゃる方がガハクの銅版画を買ってくださった。その人は、その前の晩からずっと興奮して眠れないほどだったという。娘さんと相談してどっちにしようかと散々悩んで、やっと決めたそうだ。

人の心の純真を見せてもらった。このレリーフの人も優しくなった。やっと歌っている口になった。澄んだ声になった。この口から出た歌なら遠くまで届くだろう。いい声が出るまでずっと待っていた甲斐があった。今ようやく明るく澄んだ声が響き渡る。やっとである。(K)


2019年7月21日日曜日

展覧会場でこの絵の中にいる鳥の数を数えてくれた人がいたそうだ。だからもっと増やそうと思って描き始めた。雲と同様、鳥も僕には難しい。どこに描くか、色、形、全てにセンスが出てしまう。少なくとも作者の意図が出ないように描かなくちゃ。(画)

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