2018年9月15日土曜日

何もない朝

朝起きて周りを見回す。意識の透明さを確認するためにだ。怪しい霊はどこにもいない平安な朝がやって来た。庭に出ると、トワンが一緒について来る。ぷらぷら歩き回って同じ朝の空気を吸っている。空は曇っていたが気分は爽やかだった。

一つの小さなネットサーバーが潰れただけで、いろんなことが前に進み始めた。一昨日『光』接続した瞬間、古いホームページは削除されたわけで、あれはもうどこにも無い。今日は、ガハクが作ってくれた新しいホームページの最終チェックをした。あともう一つ、バレテ峠の戦闘の記録『隣の戦車隊長』を独立した場所に置こうとガハクが頑張っている。綺麗なレイアウトと構成で前よりずっと読み易くなっている。

何が何の為にあるのか、物事の因果関係は人間の力じゃ簡単に読み解くことは出来ないが、ずっと後になって、あゝあれがあってこうなったのかと思うことがある。良いことはもっと善いことの方へ、悪いことさえ善いことの為に撓められるという。意思あるところには、きっと泉が湧いて来る。(K)


2018年9月14日金曜日

ビュラン研ぎ

版の直彫りに使う道具の研ぎ方が分からなくて色々と調べた。特にビュランの研ぎ方が難しい。銅版画の師と仰ぐ駒井先生の技法書がそれについては一番詳しく書かれているが、氏自身が著書のなかで研ぎ自体に自信がないからエングレービング技法が苦手だと告白しているのだから仕方がない。
実際に色々と試してみて一番よかった研ぎ方は、権威ある人からでなく、近所に住んでいた昔山仕事をしていたというただの名もない人のさりげないご教示によるものだった。そんな研ぎ方は今まで誰からも教わったことがない。
しかしその方法で研ぐとビュランもスクレーパーも版に吸い付くような感触になるのだ。(画)

2018年9月13日木曜日

空の広さ

今日から『光』で通信している。確かに速くて、blitzの新しいバージョンのインストールがあっという間にできた。もう要らなくなった電話線が外されたら、窓からの眺めが変わった。空がうんと広くなった。無くなってみて初めて分かる空の広さだった。

トワンは今日もいろんな人に撫でられた。NTTの工事屋さんにも、ITのセットアップの青年にも撫でられていたっけ。一昨日は、ガスの安全点検のおじさんの肩口からガスレンジを一緒に覗き込んでいたので、振り向いて飛び上がるほどびっくりされたそうなw。

トワンにも800番のペーパーをかけた。らぶ♡(K)

2018年9月12日水曜日

再び「中尊」

この版画の為に始めた字の研究から平安時代の連綿かなの面白さにはまってしまっていた。字の練習をすればするほど美しいかな文字を書く難しさを感じて版に彫り込む自信がなかったのだが、思い切ってやってみることにした。どうなるか…。
今まで字が多過ぎたのだ。始めから詩の一部の抜粋だったのだが、さらにその中でも決定的な一節だけに絞ることにした。 説明ではなく絵にしなければいけない。(画)


2018年9月11日火曜日

仕上げの楽しさ

いよいよ今日から800番の耐水サンドペーパーで磨き始めた。最終段階だから気合いが入る。前の砥石の粉をよく洗い流して、バケツの水も汲み直した。筋消しと呼ばれる800番だが、しつこく擦っているとだんだん光沢が出て来る。研磨剤が摩滅して番数が上がるからだ。面白いので休まずしつこく磨いていたからか、今夜は右の手首が疲れている。爪もガタガタだ。こんなになった指で痒いところを掻くから肌が傷だらけになるのだ。

石を割るところから始まって、火を起こし鑿を作り、彫ったり削ったり磨いたり、ずっと独りでやって来た。独りの中の統一感があれば、テカテカ光っても決して下品にはならないだろう。もう少しで完成だ。(K)

2018年9月10日月曜日

存在する顔

いつか見た顔だとすれば、今でも見れる顔なのか、それとも嘗てはあったが今はなくなってしまった顔なのか…
そうではなく、今でも在り今こそ在るものなのだ。 記憶の中や心に在るだけでなく今こそはっきりとその存在を確認できる顔なのだ。
その顔を描きたい。(画)

2018年9月9日日曜日

いつか蒔いた種

古代蓮が開花したのをヒントに、うちでは残った種は冷蔵庫に保存している。今日は秋蒔きの種の袋を取り出していろいろと蒔いた。蒔けば何かが採れる。
10年前に彫ったものが今やっと出来上がりそうだ。彫り始めから完成まで いくらでもやれることがあることに気がついた。誰のために何のためにやっているのか、その目的の高さで意欲の強さも決まってくる。でも蒔いておかなければ何も育たない。今があるのはあの時の種、あの時の言葉、あの時の、、、ありがとう。(K)


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