2020年12月26日土曜日

山の神様

 アトリエの蛇口が凍って出ないので、沢まで汲みに行った。自転車でほんの1分のところだ。杣道の脇には小さな祠があって、横を通る度に「お世話になります」と一言挨拶をしてから沢に降りる。石の前には水の入ったプラスチックのコップが置いてある。他には何もない極めてシンプルな敬い方をされている神様だ。

沢の水はほとんど流れていなかったが、貯水槽の蓋を開けると水はちゃんと注ぎ込んでいた。ザックから空のペットボトルを出して水を詰めた。5ℓ背負うと肩にずっしりと来た。そのまま上流まで遡行して、水取り口も点検。水が枯れてパイプの半分は水面から露出していた。

しかし、こんなことをやったのは35年間で初めてのことだ。去年までは、水が出なくなると家から車で運んでいた。水場まで行くのは面倒だったし、誰かに会うのも嫌だった。無意識に肩身が狭い想いがあったのだ。こんな寂しい山の中に女一人で石を彫り続ける意欲も、時と共にだんだんとくたびれていたらしい。だからこそ自分の中の野心や自尊心を削り落としながら戦って来たのだけれど、、、この戦場もあと少しになった。

そう思って辺りの山を眺めると、細く小さく可憐な美しさが見えた。この意識はまるで死んだ人のようじゃないか。水を汲みながら、死者の意識について考えていた。(K)



2020年12月25日金曜日

馬に運ばれて

この馬の背中だったら、きっともっと平和なところに運んでくれるだろう。地上で燃える赤い花を見つめる目のなんと優しいことか。「来年になったらトワンが来るよ」というガハクの予言は、この馬のような存在のことかもしれない。

35年使って来た彫刻のアトリエをついに片付けることになった。来年のうちに元の土地に均して返さねばならない。大きなモニュメントの彫刻をどうしようか?寄贈先を探すか、この庭に置くか、どっちも並行して進めて行く。石を彫る仕事はまだやり続けたい。庭の工房なら、もっと集中できるだろう。

剥奪は自分ではできない。運命も自分で選べない。ただこのタイミングなのは良かった。ガハクの体調が万全になって、私の焦りや迷いが消えているから。(K)



2020年12月24日木曜日

石の色と彫刻の色

素晴らしい彫刻には色がある。つまらない形は石の色のままだ。だから石が透き通るまで磨いてみたかった。ノミ痕の白い線を消して行くと、、、果たしてどうなるだろうか?

表情が穏やかになった。奥行きが出た。静かさが増した。

昔の人が皆でやっていたことを独りでやっている。長い時間がかかるけれど、この目で探し、この手で試したことは決して忘れることはないだろう。歩いたことのある道は覚えているものだ。(K)



2020年12月23日水曜日

赤い城への道

「僕もトワンのことを悲しみを持たずに思い出せるようになりたい」とガハクが言う。昨日私が、「トワンのことを思い出してももう悲しくなくなった」と言ったからだ。

でも、さすがにガハクまで死ぬとは思っていなかったから、突然そこに立たされた時は怯えた。その時、呼びかけるものはトワンしかいなかった。毎日毎時間呟く相手は、空に浮かぶ雲。で、その形はトワンに見えた。夕陽に照らされていれば強く返事が返って来たし、真っ白い雲ならばキッパリと不安を切り離せた。

一方ガハクはと言えば、混濁した意識から抜け出してすぐに、私が独りでこの家にいることを可哀想に思って心配になったのだそうだ。自分の周りにはたくさんの人がいて面倒を見てくれているけれど、一人でいるのはさぞ寂しいだろう「こんな時こそトワンがいてくれたらなあ」と。

一人で生きるということの練習ができた。どっちが先であってももう孤独は怖くはない。「死を受け容れたんだね」とガハクに言われた。どんな時でも「トワン!」と呼びかけると楽しくなるのは、何故だろう?

今日は4枚の絵に筆を入れたそうだ。『赤い城への道』の途中に止まっている荷馬車が夕陽に輝いている。(K)



2020年12月22日火曜日

太陽の気配

冬至から1日経っただけで、もう光が強くなったように思える。今朝は日の出前にゴソゴソ起き出してお茶を飲んだりしていた。その後また寝たけれど、そのくらい興奮していた。アトリエから自転車で漕ぎ出すのだって、いつもより30分も遅くしたくらいだ。ま、気が早いと言うか、単純に嬉しいのだ。

山の影が伸びる場所に家があるので、冬至さえ過ぎればあとは明るくなるしかない。だから今日は1日じゅうずっとお正月みたいな気分だった。

冬至を挟んで面白いことを言うガハク、「人は成長し続けていて、その成長が止まった時に死ぬんじゃないかな」と昨日は語り、今朝は「内なる悪から遠ざかるのは、外なる悪から遠ざかるよりもっと難しいよ」という。剣士の間合いの取り方みたいだ。「鬼滅の刃だって、きっと内なる鬼との闘いの話だぜ」と、読まずしてもう知っている。(K)



2020年12月21日月曜日

やってみたかったこと

髪の毛の房がよじれたりカールしたりしながら流れていくのをどうやったら自然で美しく彫れるだろうと、あゝでもないこうでもないと、いろんな方法で刻んでみたが、結局最後に分かったことは、やり切ることしかないという単純なことだった。川底の起伏を探るのには、水の中に潜ってみなけりゃほんとのことは分からない。シャシャッと手っ取り早くカッコいい線を数本刻んで終わりにする訳には行かないんだ。私の後ろにいるのは凄い目を持った人たちだからね。ミケランジェロ、ウィリアム・ブレイク、デューラー、ジャコメッティ、形を探った人たち。 嘘つきは嫌いだ。嘘をつかずに生きて行けたらそれだけでもいい仕事に近づく。(K)



2020年12月20日日曜日

燃える家の内意

 今夜は、燃える家が描き加えられていた。辺りに燃え移らねばよいがと絵に近づいてしげしげと眺めたら、トワンのような犬がいる。炎に照らされじっと家を見つめていた。犬の顔が火の色になっている。この炎の色は何?と聞けば「カドミウムレッドのライト」と答えるガハク。そう言えば、今日は画材をネットで注文したそうだ。筆10本と筆洗油2ℓで5千円ほどで「超安かった!」と絶好調のガハクである。

タルコフスキーの『鏡』にも小屋が燃える場面が出て来た。『サクリファイス』では、家が燃える。あのシーンを撮るのに、1度目が気に入らなくて、また同じ家を建てさせて撮り直したのだそうな。家なんてものがあったからこんな不幸が起こったのだと言わんばかりのストーリーだ。

家は、真理と善が一つになったものを表す。片方だけじゃ、暗くなるか、冷たくなる。どっちも無けりゃ、そこは地獄だろう。(K)



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