アトリエの蛇口が凍って出ないので、沢まで汲みに行った。自転車でほんの1分のところだ。杣道の脇には小さな祠があって、横を通る度に「お世話になります」と一言挨拶をしてから沢に降りる。石の前には水の入ったプラスチックのコップが置いてある。他には何もない極めてシンプルな敬い方をされている神様だ。
沢の水はほとんど流れていなかったが、貯水槽の蓋を開けると水はちゃんと注ぎ込んでいた。ザックから空のペットボトルを出して水を詰めた。5ℓ背負うと肩にずっしりと来た。そのまま上流まで遡行して、水取り口も点検。水が枯れてパイプの半分は水面から露出していた。
しかし、こんなことをやったのは35年間で初めてのことだ。去年までは、水が出なくなると家から車で運んでいた。水場まで行くのは面倒だったし、誰かに会うのも嫌だった。無意識に肩身が狭い想いがあったのだ。こんな寂しい山の中に女一人で石を彫り続ける意欲も、時と共にだんだんとくたびれていたらしい。だからこそ自分の中の野心や自尊心を削り落としながら戦って来たのだけれど、、、この戦場もあと少しになった。
そう思って辺りの山を眺めると、細く小さく可憐な美しさが見えた。この意識はまるで死んだ人のようじゃないか。水を汲みながら、死者の意識について考えていた。(K)