2018年12月1日土曜日

ムク犬

犬の夢を見た。
どこからか白い大きなムク犬が家にやって来て、縁側にいる僕の前を横切って庭の奥の方へ歩いて行った。大人しそうだから放っておいた。やがて玄関の呼び鈴が鳴り、出てみると宅配のお兄さんがいて、庭に何かいて足を取られて転びそうになったと文句を言われた。
そこで庭を眺めて見るとさっきのムク犬らしい大きな毛の塊のような小山ができている。さっきの犬が庭に穴を掘り体を半分埋めて転がっているみたいだ、と思ったがやっぱり放っておいた。そしてさらに良く見るともう1匹同じくらいの大きさの黒いやつがその後ろに小山を作っているではないか。どうやら彼らはこの家を住処にしたいらしかった。
その夢を妻に話したら、
「ムク犬〜、ファウストの前に現れたメフィストはムク犬の姿だったよね〜あゝぁ、それでもいいから飼いたいな〜」て。(画)

2018年11月30日金曜日

樹海と雲海の違い

柔らかく地上を覆う雲が天使の翼なら、地上近くに低くたれ込める雨雲は不気味な姿をした何者かだ。すぐ横には樹海が広がっている。それらの起伏を石に彫ると、森も雲も同じようになってしまう。雲の動きを出せないかとパステルで石の上に描いてみて、その線の通りに鑿で刻んだら、、、おお、少しもくもくして来たぞ!(K)


2018年11月29日木曜日

『告白』

ルソーの『告白』を読み終えた。面白い本だ。何が面白いのか分からないままに読み続けてしまった。
ずっと前に一度読んだと思っていたが間違いのようだ。しかし何箇所かは読んだ記憶があった。拾い読みしただけか?そういえばルソー自身、忘れっぽい性格ゆえに何度も同じものを見て、いつも初めて見た時と同じように感動できていいと書いていた。
芸術は常に発見し続ける活動そのものだ。客観的な視点からは同じことの繰り返しに見えたとしても、常に新鮮な発見の驚きと喜びがそこにあれば作品は美しく生命を持つ。
型にはまっていたとしても美しい、それが驚くに値しないのはその為だ。(画)


2018年11月28日水曜日

人が彫れるようになるまで

月に向かって立っているこの人の重心の位置をやっと捉えることが出来た。腰と膝の位置を微妙に修正。スーッとするエーテル状のスフィアに包まれてこの人が一番前面に出て欲しかったので、今夜は満足している。遅々として進まないと思えて焦る気持ちになった時ほど、本当は動いている。人が彫れるようになるまで、長い道程だった。(K)


2018年11月27日火曜日

花咲く樹

ゴッホに「花咲くリンゴの樹」と題された絵がある。題名をつけたのはおそらくゴッホではないだろうし、別にどうということもないそのままのものなのに何故かとても印象に残った。画集でしか見たことはないがおそらく南仏の強い日差しの下で満開の白い花がキラキラと美しく輝く、そのタッチの鮮烈さと共に想像に難くない。
花咲くリンゴの樹…
花咲くリンゴの樹…
…と繰り返してみる。家の庭のリンゴの樹は去年に続いて今年もたくさん花をつけた。その時もこの言葉を心に繰り返していたのを思い出す。
花咲くリンゴの樹。
『ガジュマルの樹』この冬ついに花が咲いた。(画)

2018年11月26日月曜日

生きる歓びと死の効用

月が照らす角度は一様ではないことが分かった。山の端の彫りを浅くすると輝きが強くなる。

秋の色に染まった山を見上げていると、そこらじゅうにトワンがいるように思える。死は不在ではなかった。目に染みる赤や黄色、心がポカッと暖かくなる寂しさ、こういう経験は初めてだ。完璧に可愛らしいものだけが残してくれるものだ。ずっと一緒に、この意識の階層に住むことにした。(K)


2018年11月25日日曜日

失うことで得る

直後より今の方が寂しさが募る。寂しいねえとすぐ横で言われるとさらに募る。だからもう言わんといてよ…すきま風のようなものが体の中を通り過ぎていくようじゃないか…と思いながらどこか暖まってくるものもあるのだ。
無くしたことで得るということは確かにある。思いの中に固定された天使の面影。形と光と手触り温もり質感…。何度でも反復でき、完成されたものとしてどの角度からでも観察することができる。
そういうものとしてこれからも生き続ける。(画)


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