2020年6月6日土曜日

リンゴの木に猿よけネット

去年あまりにも窮屈そうだったので、今年は一回り大きくした。真ん中に1m幅のネットを継ぎ足したのだ。だから胴回りが2m広がったことになる。これでピッタリ合うかどうか、やってみないと分からない。やりながら考えるのは彫刻も絵も同じだ。竹とネットは充分にある。

枝が圧迫されないように、ネットを竹の棒で押し上げた。でもネットがあちこちの枝に引っかかってなかなかうまく被せられない。木に登っても、高いところまで手が届かない。結局、棒の先に板っきれを取り付けた道具を使ったら、ススッと動いた。

夕立でシャツがびしょ濡れ。ガハクのパン焼きの匂い。夕暮れに猿の群れ10匹が現れたけど、大丈夫!間に合った♪(K)


2020年6月5日金曜日

トカゲの日課

今日も石を彫っていると、トカゲが足元を横切って行った。時計を見ると2時30分だった。いつもより10分遅いけど、だいたい定刻だ。石を彫っているだけで足を動かさなければ、安心して通り過ぎて行く。何の用事があるのか分からないが、生真面目に日課をこなしているその姿に感心している。人間だけが働いたり買い物に出かけたり人に会ったりする訳じゃないんだなあ。トカゲにはトカゲの考えとか決まりがあるらしいのだ。

動物たちの方だって私のことは知っている。狸が毎晩やって来たこともあった。煮干しをやったら、次の日は彼女(彼氏?)を伴ってやって来た時は嬉しかったなあ。野良猫が遊びに来ることもあった。パンの耳を与えていたら、やがて子猫を従えてやって来るようになった。猪の子は夜の野原を走り回っていた。ハンマーを振る手を止めたら、突然私の存在に気がついたように、ハッと一瞬飛び退いて、彫り始めたら、また平気に走り回っていたっけ。

コツコツ石を彫っていると、鶯がすぐ近くで囀ったりもする。山の斜面からキツツキのドラミングの音が毎日聞こえる。出ている音は『私』というものを消す。(K)


2020年6月4日木曜日

記憶の放棄

これが新しいトワンか。まるで人間だ。こういう目をした犬は見たことないぞ。思わず「どうしたの?」と絵の中のトワンに話しかけてしまった。昨日からずっとトワンを描いているとは聞いていたが、こんなに変身するとは思ってもいなかった。

裸ん坊の意識は虚勢を張ることもなく、戸惑いがちに佇んでいる。他人から美談や自慢を聞かされるとき、正直者はこういう顔をする。すると、ノリの悪いやつだと笑われたりするんだ。

もうトワンにはツマラナイ話に付き合わせないからね。陽気に呑気に思うがままに生きて行くんだよ。もうガハクと諍うことも無くなったからね。トワンが間に入って宥める必要もないのよ。

森の溶け込んだ色をして草を踏む足の強さは今も変わらず。(K)


2020年6月3日水曜日

ジャガイモの花が満開

去年の今頃から猪の襲撃を受けたのだったが、今年はこのように旺盛にジャガイモの花が咲き誇っている。猿もいたずらさえ出来ずに眺めて過ぎて行く。今のところ完璧な防備のアトリエの畑である。

肥料が効いたのか、猪の鼻面耕運機のおかげか、他所の畑の倍くらい茂っている。果たして地下の芋も茎同様に大きく育っているのだろうか?ちょっと心配でもある。と言うのも、地上の緑ばかりに栄養が行き過ぎると、地下の芋は太らないとも言われているからだ。ジャガイモもそうかしら?

手前に咲いているのがメークイーンだ。小ぶりでくちゃくちゃと和紙を揉んで開いたような花弁だ。遠くに咲いているキタアカリや男爵に比べると、色も濃いしちょっと複雑な分シャレて見える。花が違えば味も違う。収穫まであとひと月、楽しみに待つ。(K)



2020年6月2日火曜日

いと小さきもの

あれ?蛙が出て来たぞ、と思いながらシャッターを押した。階下に下りて本人に確かめたら、「バレたか」と言う。上手く描けないから途中でやめちゃったのが、あの筆致だった。小さな生き物たちが大きなキャンバスの隅で遊んでいた。

今夜は盛んにホトトギスが鳴いている。
「すごいよなあホトトギスって。卵だけ産んで、子育ては他の鳥に頼んで、親はなくても子は育つってのを また次の世代にも伝えるんだもんなあ」とガハク、リハビリメニューをこなしながら話している。

ホトトギスの托卵の相手は、ウグイスとかミソサザイだ。卵から先に生まれたホトトギスの雛は、他の卵を蹴落とすらしい。それでも、ウグイスもミソサザイも絶滅せずに今も生き続けている。ミソサザイはほんとに小さい。声は澄んでいて美しい。暗い森でふり絞るように鳴くホトトギスとは対照的だ。(K)


2020年6月1日月曜日

リアリティ

指の関節の深い皺と肉の膨らみ。やればやるほど形は繊細になって行くけれど、却ってシンプルに見えるのは何故か?そうなっている理由まで彫るからだ。

絡まる糸をほぐして、真っ直ぐになった糸をもう一度巻き付ける作業をやると、形は輝く。頭の先から指の先までひと繋がりになった時、あゝこのような手を持つ人だからこういう顔をしているのかと思う。あるいは、この人の顔にはどのような手がふさわしいのかと考えてみる。

見たものを 見ているものを彫っただけでは、まだ彫刻ではない。写実というのには限界があって、その先まで行き、もう一度抽象化した時に初めて生きた形になるのだ。(K)


2020年5月31日日曜日

Kと画伯ドットコム

 今日はリンゴの木の下に住む蟻と格闘した。駆除するべきか、嫌がらせだけで出て行ってくれるか、散々いろんなことを試みてみた。土を穿り返して穴を探ったり、殺虫剤を噴霧したりして。木の生命力は、葉っぱの緑で分かる。根っこが傷つくと、同じ方位にある上空の枝の葉が黄色になる。枝も乾いて来て小さな亀裂が生じる。木が話をするというのは、そういうことだ。リンゴの木を毎日じっと見つめている。

最後の難関であったオンライン決済のシステムが繋がって、今日ついにホームページ『Kと画伯ドットコム』が完成した。
 事業設立日は、2020年2月2日にした。この日は、ガハクが倒れて救急車に乗せられたあの怖ろしい日だけれど、あれがなければ今はなかったと思う。日々刻々と新しく作り直されていくガハクの体のように、意識も浄化されなければ、またあの暗い洞窟に戻るか、同じ怪物に飲み込まれてしまうしかない。全ては妄想だもの。(K)


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