2019年2月2日土曜日

従順なる美徳

幼い子らには本当か嘘かを見分ける直覚が与えられている。そうやって彼らは自身を守っているのだ。
小さな子がぐっと顔を近づけて来て、じっと目の中を覗き込む。同じようにやり返すと、キャッキャッと笑いながら逃げてゆく。 あの奔放な情愛を傷つかぬようにそっと隠してずっと一生持ち続けられるように守ってやらねばならない。天使の仕事はそれだけだ。(K)


2019年2月1日金曜日

色の使い方

絵の色。これは人が思うほど単純な問題ではない。昔から画家は随分悩んだり試行錯誤を繰り返してきたのだ。
対象そのものの色に近づけようという考え方、固有色。
その時見えたままの色でいいじゃないかという考え方、感覚に従う?
絵の構成上ここにはこの色だという考え方、構成こそ正義、デザイン感覚。
このものは本来この色であるべきだろうという考え方、理想主義?象徴的な色?
色々あるんだよ。最近僕は感情的な色の使い方をしてみたいと思い始めた。(画)

2019年1月31日木曜日

大好きな人を見上げる犬

風の音を聞きながら彫っていたら、『白い人』がスッと石の中から立ち現れて来るような気がした。風に向かって立っているので、服がぴったり体に張り付いている。サンダルを履いた足元がくっきりと露わになるようにと、えぐるように彫り直した。

昨夜はそんなに強い風が吹き荒れているとは知らなくて、帰り支度して自転車を押しながら外に出てみたら、櫓にかけてあるシートがビリビリに裂けてぶら下がっていた。そうか、インスピレーションが降りて来るくらい強い風だったのか、そう思って素直にせっせと脚立に上って片付けた。星々はびくともせずに光り輝いていた。(K)


2019年1月30日水曜日

子供の頃、家に額縁に入ったバラの絵がかけてあった。こってりと厚く塗られた油絵具の赤い色が印象的だったが、実は実物そっくりの偽物だった。赤いバラはルノアールという画家の特許だそうで、真似してもいいのはこの人が彼の弟子だからだとか。しかし本当の話かどうかは知らない。
花を描くと売れると仲間から聞かされたっけ。僕の場合は一向に売れる気配はないが。花に限ったことではない…まあそんなことはどうでもいい、売れる売れないはともかく、花を描きたくなるようになるとは思わなかった。描くようになったのは最近のことだ。
もう少し上手くなりたい。(画)


2019年1月29日火曜日

特別な犬

前に飼っていた犬は、突然闇夜の空間に向かって吠えたりして、霊感の強い犬だった。でも愉快な犬でもあった。縁側でチャランゴを弾き始めると、すぐそばに来て前足の爪で弦をかき鳴らしりした。ボンボを叩くとぴょんぴょん跳ねた。トワンほど賢くはなかったが、隣のお爺さんに随分気に入られて、生肉の差し入れをよく貰っていた。自分でパトロンを獲得していたのである。そこら辺はトワンと同じだ。飼い主が倹しい暮らしをしているのを見て取って応援してくれていたのかもしれない。「この犬は他の犬とは違う。強くて賢い」との評価も同じだったが、トワンには「カッコイイ!」が加わる。ほんとに可愛いかったなあ。

これも彫り直しているうちにだんだんトワンになって行くだろう。(K)


2019年1月28日月曜日

本当の影響

ギリシャの壺絵のような象徴的な木を描きたいという大それた思い。
そんな大それた思いは当然挫折したのだったが、しかしそいつが今夜チラッと一瞬見えた。スタイルだけ真似てもできはしないと分かっていたつもりだったのに、実際にはいつの間にか真似ていたのだった。
背伸びしても仕方ない、俺は俺の今の器で描けるものしか描けない、と諦めた途端に出てくるなんて。
いや本当の影響というのはそういうものかもしれない。エジプト人のように描きたいとジャコメッティもそんなことを言ってたじゃないか。(画)

2019年1月27日日曜日

ハングリーな顔

彫りながら、おゝこれは古代のギリシア人のようではないか!と思いながら輪郭をビシビシ決めて行った。鳥のように太く柔らかい首が胸まで続き、力と知性が調和して静かな感情が湧き上がっている顔。

あの頃の彼の地では『自由人』と呼ばれた階級があったらしい。奴隷だった人がその能力故に解放され自由に生きて行くことが許された。特に何もしないでもいいのだけれど、教師や詩人として暮らしていたという。政治に携わったり投票ができる市民権はないが、世俗と関係なく個的に自由に語ることを求められている。

う〜ん、いいなあ、でもそれってアーティストじゃん♪(K)


よく見られている記事