2020年10月24日土曜日

霊視

この絵は大きい。100号もある。『白い幡』が空中にひらめいていたのだが、さっき画室を覗いたら無くなっていた。ガハクは、「消しちゃった。また描くかもしれないけど、描かなくてもいいかな」と言う。彼女だけにしか見えなかったものなら、描かなくてもいいのかもしれない。

お使いの帰りに白い布が空を飛んで行くのを見た女の子は、急いで家に向かって走っている。なにか不気味な怖い気がしたからだ。次の日に、布が飛んで行った方にある家の人が亡くなったと聞いて、自分が昨夕に見たものがその兆しだったことを知る。

この話は、ガハクの親友で画友だった人の母上から直に聞いた話だ。親子ほど年が離れたその彼女が話す東北訛りのある声が、今も心に響いている。山で亡くなった親友のことを語り合いながら、秩父の札所巡りをした。自分たちの父母を案内しているような、親孝行をしているような、そんな満足までいただきながら。宿に着くと、父上はすぐにカウンターで宿泊代を私たちの分まで払ってしまう。だから親孝行というより、甘えさせてもらうばかりだった。

ガハクが描いている赤い着物を着た女の子がどんなに美しい心を持った女性であるかは、彼女の夫であり親友の父でもあった人との絆を見せられて来た私達には、よく分かるんだ。

ある時ガハクがその二人に向かって、「彼が山で死んだからご両親にお会いできた」と言ったので私は慌てふためいた。黙って聞いてくださった。

とても超えられそうもない苦しい体験、忘れようとしても消えない記憶がある。それをそのまま持ち堪えて生き続けることは、亡くなった人への愛なんだ。(K)



2020年10月23日金曜日

線が形を蘇らせる

線が引けなきゃ何も始まらない。絵を描くにも線だ。彫刻はマッスだと教わっても来たが、ここまで来ると、やっぱりしっかりした線が刻めるかどうかにかかって来る。

髪の毛の後ろの方まで線を彫り始めた。 雨の音に寂しい気持ちにさせられたが、彫り出してみたらいつものようにだんだん集中して来た。石を彫っている時は、悪い霊がいなくなる。それだけこの仕事は過酷だということだ。ゴロゴロ寝転んで楽して自己実現したいと言うのが悪霊たちの望みなのだから、こんな寂しいアトリエでコツコツ石を叩く音だけ聞いていると、退屈でだんだん眠くなってしまうのだろう。

悪霊が去ると、入れ替わるように「いくらでもお付き合いしますよ」的な善良な霊たちが傍に来る。すると、じわっと楽しい気持ちが湧いて来て、いつまでも彫っていたい気持ちになる。

夕方になって雲間から赤い光がさして、谷間から霧が湧き上がった。車検が終わったばかりのぴかぴかのバンに乗って走り出したら、月が雲の上で光っている場所を見つけた。カーブを曲がる度に現れる月の舟を見上げながらハンドルを握った。(K)



2020年10月22日木曜日

鞍掛豆を食べるのは誰?

鞍掛豆の選別で撥ねられた分を山の食卓に置いて来たガハク、これはその証拠写真だそうな。誰が食べてくれるだろうか?小鳥が真っ先に見つけるかな?リスもいるし。

そういうことを考えながら毎日同じ山道を登るのは楽しいだろう。目的があるわけじゃない。餌付けするつもりもない。でも思い付いたのだから何かあるのだろう。心が動く時、そのモチベーションの元へと辿ると、鹿の足跡だったり、小鳥の声とか、リスの姿、梢が揺れてひんやりした風が吹いて冬の気配を感じたからとか。きっと何かコンタクトしたいものがあるのだ。

何もない時は、ポケットにどんぐりを入れて行くこともあるガハクである。(K)



2020年10月21日水曜日

妻の肖像

『どこまでも行こう 道は険しくとも 口笛を吹きながら 歩いて行こう』という歌のことを思い出して、私たちもこれで行こうということになった。そして「いつか大陸に行ってみたいな」とガハクが言い出した。この国ではどこまでもという訳にはいかないんじゃないかと、狭過ぎるんじゃないかと言うのだ。目的地を決めない終わりのない旅とは、永遠のことだろう。

アガノ村の小さな谷で絵を描いているガハクは、自在に時間や空間を遡ったり移動したりしている。私から話を聞いただけなのに、子供の頃のお洒落な髪留めまで描いている。母の友人がアメリカで買って来たものだ。クリーム色と空色の二つ。蝶々の形をしていたというところまでは話していなかったな。

これから妻の肖像をどんどん描いて行くそうだ。(K)



2020年10月20日火曜日

髪の毛に挑戦

髪の膨らみを石に彫るのは難しい。一旦は磨いてみたのだけれど、ぬるっとして凹凸が消えてしまったので、再度チャレンジしている。 気持ちを強く持たないと、仕上げていくにつれてだんだん弱くなってしまうのだ。宝石みたいに輝いてどんなに立派で高価に見えても、それはもう芸術じゃないだろう。ただの置物、死んだ顔だ。

弟子たちや石工達がたくさんいたミケランジェロの工房ならば、髪の彫り方の形式があっただろうし、画期的なウェーブを思い付いたら早速誰かが彫り込んでもいただろう。

トンボが秋の終わりを楽しむようにアトリエ前の野原を滑空していた。蜘蛛の巣にかからぬように上手に飛んでいる。皆んな何とか生きている。私もずっと彫り続けている。ガハクがこの画像を見て「こんなにいっぱいあればいいけどねえ」って言い置いてシャワーに向かった。筋トレをしていたらしくハアハアしていた。健やかな精神は健やかな肉体に宿るというのは本当のことです。(K)



2020年10月19日月曜日

中庭の空

「僕にはあんたとトワンがいたからね」
人は何を支えに生きているのだろう?待ってくれている人がいるから生きて帰って来れるのだ。トワンと待っているからねと言った私の言葉を ガハクはあの混乱の中でどうも覚えているらしいのだ。

酒やタバコを少しでも減らして、その人の大事な仕事や生活を安寧に長く続けて欲しいと願うことはいけないことだろうか?そのことで病に倒れたと思えば、もっと口煩く言えばよかったと思う。しかしそれはすぐそばにいる人だけに出来ることだ。私だったら、嫌われてもいいから四六時中見張っているだろう。その人の本当にやりたいことが見えているからだ。やり遂げられるようにしてあげたいと思う。

ガハクと膵炎や肝炎や糖尿病について話し合った。なんて複雑で苦しい病気だろう。考えるだけで、じわじわと締め付けられるような気持ちになる。それでもガハクが一言「きっと良くなるよ。まだ若いんだしさ」と言ったから、一気に寛いだ。過剰な心配より、その言葉を信じている方がよい。祈りだ。

中庭から見上げた空が美しい秋風の色だった。松を切り過ぎたようだ。でもまた元気になるだろう。(K)



2020年10月18日日曜日

地獄の花

二階の画室を覗いたら、昨日引っ張り出した古い絵のひとつに加筆している最中だった。こういう絵も描いていたのか、、、すっかり忘れていた。すぐにブロッケン山を思い出した。

この絵のタイトルは何?と聞いたら、「赤い花」だと言う。続けて、「ここにいる二人は地獄の花を見せてもらっているんだよ」と、馬の背を指差す。ぼんやりと白く見える姿は、まだ子供のようだ。

デジカメのレンズを向けて、写してもいいかと尋ねたら、ぜんぜん構わないと言う。ガハクは他人に見せる為に描いていないから、こういう途中の状態でも気にしないのだろう。どっちかと言うと、放って置かれたい人なのだ。自意識から解放された芸術家は自由で強い。悪霊が寄り付かない。(K)



よく見られている記事