2026年5月21日木曜日

復活ヤマボウシ

 

この木にこんなにたくさん花がついたのは初めてじゃないかな。

20年前近所の園芸店で小さな苗木を買ってきて二人で庭に植えた。
どの場所が良いか散々迷ったが玄関を開けたら目の前にあるのがいいと思った。
花が咲いた。白い十文字の花が並んでたくさん開いてミルキーウェイという別名も気に入った。夏にツンツンと立った赤い小さな甘酸っぱい実が収穫できたのも感激だった。

彫刻の作業スペースを広げなければならなくなり場所を移した。移し方が悪かったか環境が変わった為か樹勢が衰え花のつきも悪くなったのが残念だった。

それが今年は元へ戻ったように元気になっている。
妻がいなくなって4年になる。
「復活」っていうことなのかな。
 ガハク

2026年5月4日月曜日

不得意な季節



一年でもっとも苦手な時期がゆるゆると流れていく。今はなんとなくフワフワしたような時間感覚の中、やらねばならないと思う事、やりたいと計画している事、それらのいずれもできないままで過ぎていくような毎日の連続。

焦りのようなザラザラした感情が瘡蓋みたいに肌身に食っついて離れない。剥がしたいとも思うがそうした方がいいのかどうかが分からない。もはやそれは既に体の一部になっているのやも知れぬ。

このままじゃ、、という気持ちとこのままでいいさという気持ち。相反する二つが出たり引っ込んだりの毎日。気楽に暮らして行こうかなという歌が聞こえても完全に同意できない読み取れてしまうそこにある含意。めんどくさい奴なのである。

絵具を大量に詰め込んだキャビネット。描き続けたい描き始めたい描き直したい絵ばかりが立てかけられている壁。

 2026.5.4(月) ガハク

2026年4月4日土曜日

4月3日は誕生日

 

ケーキを買ってきて蝋燭に火をつけた。
死んだ人の誕生日。そんなもの祝うのは少しおかしいし未練がましく情けないが未だに意味を持たせたいような気持ちがある。

この人物は彼女に似てると思うから遺影のようにかけてある。
一方でどんな人物像を描いても「これ奥さんですよね」と〇〇の一つ覚えみたいに指摘されると少しイラっとするのも確か。

絵の解釈をしたがる人を嫌いじゃないしあらゆる表現には「理解したい」という欲求を起こさせる何かがあるのも確かだ。聴いたり見たりしたものに心を動かされればそのものについて語り出したいという気持ちにいつもなる。それは自然なことじゃないかと思う。

ただ正当な批評というのは常に難しく納得できるようなものを聞けるのは非常に稀だ。たいてい悪口だったり媚びだったり政治だったり。要するに発言者自身のスペース確保が目的の衝動なんだ。(なんて言ったら意地悪すぎるかな)

そうではなく思想史的に環境的に経験的に身体的に(まあいいや)客観的に語るというような批評を聞いたことがほとんどない。だから黙ってるのを良いことにつまらん批評が横行するんだろう。(別に怒ってるわけでもないよ)

良い批評は良い画家を育てる。

 ガハク

2025年10月1日水曜日

夜の木

 


メゾチントという版画技法に初挑戦。
かなり繊細な技法だ。他の技法に比べて修正も難しいと分かった。予想ではもう少し試行に自由さがあると思っていた。むしろ計画性とか決断力の大きさが要求される。不器用なガハクには苦手な部類に入りそうだ。それでも面白いところもある。不自由さの向こうに開けた場所が見えそうな感じもする。

「夜の木」
夜の森はけっこう明るいんだよ。満月なんかだと懐中電灯がなくても歩ける。よく知った場所だからというのもあるけど。気分が詩的なものに満たされる。

実は知人から『夜の絵』(村山亜土 作.柚木沙弥郎 絵)という絵本を頂きそこから閃いた。これならいくつか絵が描けるかも先ずは銅版画でやってみようと思った。メゾチントもその流れ。

絵画において技法と表現との関係は音楽で言う曲と歌との関係に似ているんじゃないかと思う。
曲作りに凝るばかりに本来の歌の心とか表現したい内容が無視されたりしたらどうなるか。
その反対に美しいとか力強いとか語りかける為の技術をまったく無視してただ心のおもむくままにがなりたてるだけだったら歌そのものはどう聴こえるか。

技術と表現の一致はどうしても必要だ。形式と内容の一致。どちらも相手を無視したら絵も曲も成り立たない。絵も曲も心から出る歌だとすれば。

最近はギターばかり触っていて絵の時間はうんと疎かになってる感じ。その代わりにみている時間は以前よりずっと多くなってるのはいい傾向だとも感じている。音楽をやって心を育ててると言ってくれ。だから広く大きく解放されるまでもう少し。でも何に向かって?
 ガハク

2025年5月21日水曜日

全てが洗い流される

 

今日は妻の命日。シルバーをお休みさせてもらいました。

3年前初仕事で草刈りに出かけて帰った事務所でこれなら仕事続けられそうですねと励まされた。慣れない作業ですっかり疲れてはいたが新しい生活に戸惑いはあってもどこかに希望みたいな活気を感じもして眠りについたのを覚えている。

その日の深夜を過ぎ日付が変わった明け方に病院からの電話で起こされ人気も車も少ない真っ暗な、でも何度も通った道を車を飛ばして病院まで。

これであの人はこの世からいなくなるのだ。オレの空間に彼女は存在しなくなるんだとぼんやり考えていた。でも実感というのはなかった。はっきりしてたのはシルバー事務所に休みの連絡しなきゃという事だったかな。

この懐かしい写真に自分の中にはっきりと変わったものがあるのを見る。それは「女よお前は許された」という言葉を読んで心の底から安心したという妻の涙。その安堵の意味。今はわかる気がする。

この白い犬はトワンがいなくなった翌年の春、親しい友人夫妻の飼い犬になって我が家に現れた。トワンは茶色この子とは色が違うがどことなく似て見えるのは柴系だからかな。トワンの生まれ変わりかもしれない。あれから時々わたし一人の家に現れてくれている。

さて今では前と違って絵もコンスタントに描けるようになったしギターも改めて楽しんでいる。すべてが洗い流されていくようだ。

2025.5.21(火)

2025年5月7日水曜日

むらさき色のアイシャドウ

むらさき色の アイシャドウ
強く引いて 強く引いて
金色のハイヒール
黒いストッキング
男たちに囲まれて
けばけばしくて
(浅川マキ『こころ隠して』より)

というような絵です。
 ガハク

2025年4月21日月曜日

一人でいる不思議さ

一年で一番気になる季節がやってきた。

去年ギターを再開して新しい機種も購入。嬉しくて毎日触っている。そうしてるともっと何かをしたいというような気持ち(衝動)がしなければという気持ち(義務感)を上回る。

きっとそうだ。だから抱えてたギターを突然脇に置いて金魚の水換えを始めたり雑巾がけをし始めたり、時には急に筆とパレットを手に取って画面に色を塗り出したり。

でもそれでいいんだよ。自分の気まぐれに任せればいいんだ。できるだけ計画など立てないようにして。できるだけ。やらねばならないと本当に思ってるならどこかで必ず始める時が来る。それもそのタイミングでしかできないというような。できる時に始める。できないままならそれだけの事だったんだよというような。自分に言い聞かせている。

今までほとんどほっぽらかしだった庭の草抜きを始めた。いつも人まかせ自然まかせの場所だったからぼうぼうの草の塊。でもいざ手を突っ込んでみるとそこはこの数年のシルバー業務のおかげか。それほどストレスを感じない。手を動かしてればそれなりに綺麗になるし。

一人ということの不思議さにも慣れってものがね。きっとね。
 ガハク

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