この絵は大きい。100号もある。『白い幡』が空中にひらめいていたのだが、さっき画室を覗いたら無くなっていた。ガハクは、「消しちゃった。また描くかもしれないけど、描かなくてもいいかな」と言う。彼女だけにしか見えなかったものなら、描かなくてもいいのかもしれない。
お使いの帰りに白い布が空を飛んで行くのを見た女の子は、急いで家に向かって走っている。なにか不気味な怖い気がしたからだ。次の日に、布が飛んで行った方にある家の人が亡くなったと聞いて、自分が昨夕に見たものがその兆しだったことを知る。
この話は、ガハクの親友で画友だった人の母上から直に聞いた話だ。親子ほど年が離れたその彼女が話す東北訛りのある声が、今も心に響いている。山で亡くなった親友のことを語り合いながら、秩父の札所巡りをした。自分たちの父母を案内しているような、親孝行をしているような、そんな満足までいただきながら。宿に着くと、父上はすぐにカウンターで宿泊代を私たちの分まで払ってしまう。だから親孝行というより、甘えさせてもらうばかりだった。
ガハクが描いている赤い着物を着た女の子がどんなに美しい心を持った女性であるかは、彼女の夫であり親友の父でもあった人との絆を見せられて来た私達には、よく分かるんだ。
ある時ガハクがその二人に向かって、「彼が山で死んだからご両親にお会いできた」と言ったので私は慌てふためいた。黙って聞いてくださった。
とても超えられそうもない苦しい体験、忘れようとしても消えない記憶がある。それをそのまま持ち堪えて生き続けることは、亡くなった人への愛なんだ。(K)